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[書評]『男娼』

中塩智恵子 著

大槻慎二 編集者・田畑書店社主

LGBTのリアルな現実

 斯道の門外漢にとっては知るよしもない世界をチラとでも覗いてみたい、というのが本書を手に取った主な理由である。

『男娼』(中塩智恵子 著 光文社)定価:本体1500円+税『男娼』(中塩智恵子 著 光文社) 定価:本体1500円+税
 一方「性風俗は時代の風潮をあぶりだす」と本書の一節にある通り、自分でも判然としない「時代の風潮」に対するひとつの問いかけが、いくばくとも回収できるかもしれないという期待を持って本書を読み進めたのだが、そのことは後述する。

 第1章が「出張ホスト」、第2章「ウリセンボーイ」、第3章「ニューハーフヘルス」。各章それぞれ異なった3人の事例が目次に並ぶ。

 「従事者、利用者のセクシュアリティーのグラデーションも感じていただきたいため、順を追ってお読みいただければと思う」

 作者が「まえがき」で記す通り、目次に従ってページを追って行く。

 「セクシュアリティーのグラデーション」とは言い得て妙で、女性がストレートな男性を買う「ホスト」から、男に買われる「売り専門(ウリセン)」のゲイからノンケ(異性愛者)までは何とか想像が追いつく。

 ところが第3章のニューハーフに至って、倒錯の強度とバリエーションの豊富さにめまいがしてきた。

 それまでは感覚はついて行けなくても観念では何とかカバーができたのだが、次のような箇所に触れてその観念までが怪しくなってきた。

 「変な話、ニューハーフ業界は下をいじっちゃうとガクンとお客さんが減っちゃうんです。ついていたほうがお客さんが喜ぶんですね」

 「逆アナルと言って、私たちがお客さんのアナルに挿入するのが少しウケているみたいですね。すごく矛盾した話なんですけど、女性に犯されてみたいという願望が男性にはあるみたいで」

 しかもこのセリフの発言者は「トランスジェンダー(男→女)同士の同性愛」者を恋人に持っているという複雑さなのだ。

 「感覚」と「観念」という言葉が出てきたが、即物的な違和感(異物感)を感覚として受容できた最初の読書体験が、吉行淳之介の「寝台の舟」という短編だったことを思い出し、書棚から引っ張り出して再読してみた。

 印象的なのは不能の状態である主人公の力ない腹に、男娼の固い性器が突き刺さるようにぶつかってくる場面。

 「彼女が最も女らしくなろうとする時に、その躯は最も男らしくなってしまうということが、滑稽なことなのか、哀しいことなのか、私は戸惑った」

 もう何年も前にこの小説を読んだとき、その戸惑いは観念を超えて感覚として理解できた。

 ただ今回読み返してみて、当時まったく意識に留まらなかった次のような文章が、すこぶる重要に思えてきた。

 「彼女はセンチメンタルになっていた。身上話を、私に聞かせはじめた。(中略)しかし、その話は甚だしく退屈だった。(中略)異常である筈の物語に、私の予想できる範囲からはみ出すところが少しもなかった」

 そこで本書『男娼』に意識が戻った。

 ここに登場する9名はもちろん、尋常な生き方をしてきたわけではない。特にその生い立ちにおいては、親の離婚から母子家庭の貧困、いじめから虐待まで、まるで社会問題のオンパレードのような様相を呈している。

 しかし、にもかかわらず、読んでいて一様に「退屈」なのだ。

 対して本筋とは離れた瑣末な箇所、たとえば54歳の現役ニューヘルス嬢(しかも彼女は大手企業を辞めて46歳でデビューした!)の次のようなセリフに、妙なリアリティを感じてしまう。

 「一概には言えないですけど、セックスのうまい人は仕事もできます。それだけちゃんと自分のことがわかっているし、相手の表情もきちんと窺いながら、プレイスタイルを変えていく」

 退屈と熱狂、絶望と歓喜、打算と夢……本書の特徴をひと言であらわせば「矛盾の共存」であろう。そしてそれがまさに、本書に描かれている事象が紛れもない「現実」であることの証でもあるに違いない。

 ところで冒頭の「ある問いかけ」について。

 これはすこぶる大きな話になってしまうのだが、最近、「これからどんな恋愛小説が可能なのだろう」という疑問がしばしば頭をもたげる。

 というのも大学などで若い世代に接していると、彼らがいかに身近に「LGBT」の問題を抱えているのかに驚かされるのだ。

 別の大学で教えている知り合いの教授に言わせると、「若者が本を読んでいないなんてとんでもない。たとえば彼らはLGBTに関する本を驚くほど読んでいる」そうである。

 小説などを書かせると十中八九このテーマが上ってくることを見ても、その切実さがわかる。

 我流の仮説ではあるが、恋愛小説に必須な「個としての差違」が見る見るうちになくなってきている現代において、「性差の揺らぎ」は恋愛小説にとって最後に残された聖域であるように思われるのだが、果たしてどうだろうか?

 だとしたら前述したような、この問題が孕むティピカルな「退屈さ」をどう考えたらいいのだろう。

 あるいは「性差」自体が細分化されたとき、感覚的に共有できる範囲はどこまで広げられるのだろうか。

 そんなことを探りながら本書を読んだ。当然、容易に答えが出るはずはないのだが、一片の示唆は得ることができたように思う。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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年間2万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。