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公演評/『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』

ヴァーチャルな世界での丁々発止のやりとりが教えてくれる人間関係の基本原則

中本千晶 演劇ジャーナリスト


 「ヴァーチャルな空間で出会った、様々な問題を抱えた人たち。サイトを通じて心を通わせながら、それぞれが自分の人生を取り戻していく愛と希望の物語」……チラシに書かれたこのフレーズに心惹かれずにはいられなかった私。なぜなら、私自身にもSNSやネットゲームなどにハマりすぎて困った前科があるからだ。

 作者はブロードウェイ・ミュージカル『イン・ザ・ハイツ』の脚本も手がけたキアラ・アレグリア・ヒュディス。本作品は戯曲部門でピューリッツァー賞を受賞している。翻訳・演出を手がけたのはG2だ。

 ヴァーチャルな世界とどう付き合うか? これは現代に生きる誰もが突き付けられている切実な問題である。果たしてこの作品、私たちに救いの手を差し伸べてくれるのだろうか? タイトルでもある「スプーン一杯の水」とは何を意味するのだろうか? 東京公演は22日(日)まで。大阪公演は8月4日(土)にサンケイホールブリーゼにて上演される。

ヴァーチャル世界の救世主が、実は?

拡大『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』公演から、左から、尾上右近、篠井英介=引地信彦撮影
 物語はリアルとヴァーチャル、2つの世界で進んでいく。一つはエリオット(尾上右近)やヤズミン(南沢奈央)らが属するプエルトリコ出身者のファミリー。昔ながらの地縁血縁で固く結ばれたリアル・コミュニティだ。

 エリオットはイラク戦争からの帰還兵で、負傷した足を引きずり、戦地で手を出したモルヒネ中毒の後遺症にも悩まされている。さらに彼は幼い頃、実の母親からネグレクトされた体験があり深い心の傷も負っている。従姉のヤズミンは彼の良き理解者だが、夫と離婚調停中であり彼女自身も生きる意味を見失って悩んでいる。エリオットの育ての親であり一族の誇りでもあった伯母が亡くなったところから、この物語は動き出す。

 そしてもう一つのヴァーチャルな世界は、ドラッグ中毒で苦しむ人たちの助け合いサイトである。そこにはドラッグと縁を切りたい人々が世界中から集まり、時に罵り合いながらも日々悩みを分かち合い、誘惑と戦っていた。

 「オランウータン」(村川絵梨)と名乗る若い女性はコカインの魔力から離れるため、そして自身の出生のルーツを辿って遠く日本までやってくる。コカインのため家族を失った中年男の「あみだクジ」(鈴木壮麻)は顔も本名も知らない彼女のことを心底心配している。そこに入ってくる新入り「ミネラルウォーター」(葛山信吾)はエリート気取りが鼻につき、メンバーと一悶着を起こす。大西洋岸のフィラデルフィア、太平洋に面したサンディエゴ、そして日本の釧路と、遠く離れた三都市で物語が進むのがいかにもヴァーチャルな世界らしい。

 深刻な問題を抱えた人たちのヴァーチャル・コミュニティなだけに、その運営は困難を極めそうだが、サイトの管理人「俳句ママ」(篠井英介)の手腕が見事としか言いようがない。常に温かく、時に厳しく、コミュニティの住人たちの問題発言をさばいてみせる。この「俳句ママ」の正体こそが、エリオットの実母オデッサなのだった。リアル世界での落伍者が、ヴァーチャル世界の救世主的存在なのである。

ネット上のチャットが舞台に乗る新鮮味

拡大『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』公演から、左から、尾上右近 篠井英介 南沢奈央 葛山信吾=引地信彦撮影

 リアルな世界の方で進む物語は、少しわかりづらい。そう感じてしまった要因の一つは、人種のるつぼのようなアメリカの大都市を舞台にしており、その多様性と混沌が日本人には縁遠いものだからだと思う。ことにエリオットやヤズミンが「プエルトリコ出身者ファミリーの一員である」ことは作品において重要な意味を持つのだろうが、それを日本人キャストが日本人の観客に伝えていくのは難しい。また、エリオットが抱えている戦争体験者の心の闇も想像を絶するものだろう。

 だが、ヴァーチャルなコミュニティの住人たちの鬼気迫る会話に聞き入っているうちに、気がついたら1幕が終わっていた。舞台というリアルな空間で展開するヴァーチャルなチャットが新鮮に感じられる。ネット上のチャットでここまで血の通った対話が行われることが意外に思われるかもしれないが、違和感はなかった。ここに国境の壁はないのだ。まさにその点に、この作品が伝えようとしていることが隠されているのかもしれない。

◆公演情報◆
『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』
~スプーン一杯の水、それは一歩を踏み出すための人生のレシピ~
2018年7月6日(金) ~ 22日(日) 東京・紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA
2018年8月4日(土)  大阪・サンケイホールブリーゼ
公式ホームページ
[スタッフ]
作:キアラ・アレグリア・ヒュディス
翻訳・演出:G2
[出演]
尾上右近 篠井英介 南沢奈央 葛山信吾 鈴木壮麻 村川絵梨/陰山 泰

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筆者

中本千晶

中本千晶(なかもと・ちあき) 演劇ジャーナリスト

山口県出身。東京大学法学部卒業後、株式会社リクルート勤務を経て独立。ミュージカル・2.5次元から古典芸能まで広く目を向け、舞台芸術の「今」をウォッチ。とくに宝塚歌劇に深い関心を寄せ、独自の視点で分析し続けている。主著に『なぜ宝塚歌劇の男役はカッコイイのか』『タカラヅカ流世界史』『宝塚歌劇に誘(いざな)う7つの扉』(東京堂出版)、『鉄道会社がつくった「タカラヅカ」という奇跡』(ポプラ新書)など。早稲田大学非常勤講師、NHK文化センター講師。

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