「作品に優劣は付けたくないため、コンペティションも賞もありません」
2018年07月25日
フランス西部のシャラント=マリティーム県ラ・ロシェルは、中世の面影を刻んだ風光明媚な港町。近くには俳優のファブリス・ルキーニやナタリー・バイ、リオネル・ジョスパン元首相など、有名人が別荘を持つレ島がある。ラ・ロシェルからは橋でつながり、フランス屈指のセレブの避暑地として有名だ。
第46回目の今年は6月29日から7月8日まで開催され、人口7万5000人の町に8万6000人の観客を集めた。これは昨年(2017年)の9万人に次ぐ、歴代2位の記録。昨年より動員を減らしたのは、期間中に豪雨に見舞われたことがあるだろう。
巨匠のレトロスペクティブ上映で名高く、今年は生誕100周年のスウェーデン人イングマール・ベルイマンの『夏の夜は三たび微笑む』で幕開け。彼の20本の回顧上映を目玉に、他にもロベール・ブレッソンとアキ・カウリスマキの全作品の上映や、女優に焦点を当てた無声映画、新世代のブルガリア映画、『ウォレスとグルミット』で知られるクレイアニメのニック・パークとアードマン・スタジオ特集など、多様なプログラムで構成された。
上映本数は約200本(上映回数は計350回)。うち50本が新作(新作は基本的に1回上映)で、多くの監督が舞台挨拶に立つ。助成金に絡む規定により、7割をヨーロッパ映画に割り当てないといけないが、残りの3割は最大限、他の国の作品を紹介する。例えば、日本からはこれまでオマージュ上映の監督として、是枝裕和(2006)、高畑勲(2007)、山村浩二(2011)、昨年はヨーロッパでも評価が高まる富田克也(2017)が選ばれた。
1977年から本映画祭のスタッフとして参加し、2002年からは総合ディレクターを務めたのがプリュンヌ・アングレーさん。今年からは後輩ふたりに総合ディレクターの座を譲ったが、今なお共同芸術ディレクターとして活躍する。ラ・ロシェルのゴッドマザーことアングレーさんに、知られざる映画祭の裏側を伺った(取材は2018年7月2日)。
――ラ・ロシェル映画祭は、独特の立ち位置の映画祭です。今年のポスターはベルイマンの『夏の夜は三たび微笑む』(1955)ですが、基本的に旧作の上映で名高いですね。新作の上映はありながらも、コンペティションは設けません。あらためて映画祭の基本方針と、その理由を教えていただけますか。
私たちの望みは無声映画から新作まで、映画作品を並列に並べることにあります。観客には好奇心の赴くまま、映画史を発見してもらいたい。作品に優劣は付けたくないため、コンペティションも賞もありません。
二つ目の方針は、映画祭を通して、映画史の全てを駆け抜けるということです。無声映画という映画の黎明期から、今年でしたら2018年の映画までの作品を、一気に上映するのです。私たちは映画祭を立ち上げた頃から無声映画の上映を始め、音楽演奏付きの上映は今や定番となりました。観客が無声映画の鑑賞に慣れており、みなが列を作って待ち、大きな喜びとともに上映を迎えるのです。ラ・ロシェルの観客は無声映画を愛し、心から味わう感性を備えています。
――旧作に花を持たせながらも、古今東西の作品を並列に並べる、それは素晴らしいことだと思います。その一方で、映画祭のわかりやすいイメージを構築し、現在の観客にアピールするためには、決して易しい選択ではないとも思えたのですが。
アングレー どうでしょうか。でも、私たちにはすでに非常に多くの常連客がいます。それこそプログラムが発表される前から、映画祭に来ることを決めているような人たちです。それにいくつかの作品を同時上映しますから、ここに来れば、必ずや興味を引く作品を選べるはずなのです。
――作品の選択眼に対する信頼がしっかり築かれているということですね。さて、あなたの前には、ジャン=ルイ・パセックさんがディレクターとして長らくトップの座にいました。彼はどういった方でしたか。
アングレー パセックさんは映画祭を立ち上げた人で、2001年に引退しました。私は彼の後を継いで、2002年からディレクターになりました。彼は大変変わり者でした。要求が多くラディカルで、人とのコミュニケーションが苦手でした。
――映画祭のディレクターとしては、珍しい気がしますが……。恥ずかしがり屋だったのでしょうか。
アングレー いえ、彼のコミュケーションの不得手さは、恥ずかしさから来るものではありません。頭脳明晰ですが、とにかく変わり者だったのです。映画祭の引退間際は、映画祭の引き継ぎを巡って内部で揉めたりと、実はあまり良い終わり方ではありませんでした。
――そうですか。しかし、映画祭は彼の素晴らしい遺産をしっかり引き継いでますね。
アングレー その通りです。彼が築いた基盤は今も変わっていません。この映画祭には長い歴史がありますが、この46年間でトップの交代は2回のみ。最初が私がディレクターになった2002年、そして2度目がちょうど今年。私は15年ほど一緒に働いてきた若いスタッフふたりに、バトンを渡したばかりなのです。
――40年以上にわたり映画祭を見てこられたと思うのですが、この間、基本方針は変わらなくても、何か大きく変わったことはありますか。映画祭を取り巻く環境も随分変わったと思いますが……。
アングレー まず映画祭そのものが、随分と大きくなりました。そして外に目をやれば、フランスにたくさんの新しい映画祭が誕生しました。しかし、その弊害もあります。現在は、他の映画祭が「プレミア上映」にこだわり、映画作品を囲い込んでしまうのです。私たちは他の映画祭に対して、作品を囲い込むことは決してしません。観客に質の高い映画をたくさん見せることを大事にしているからです。現在、映画祭があり過ぎることは、問題かもしれませんね。
――成功しているように見えるラ・ロシェル映画祭ですが、他にも何か運営に当たっての困難はありますか。
アングレー やはり経済的な問題が一番大きいです。
――国や地域からは助成金を受けていますよね。
アングレー もちろんです。ラ・ロシェル市、シャラント=マリティーム県、ヌーヴェル・アキテーヌ地域圏、CNC(国立映画・動画センター)、ヨーロッパのプログラム・メディア(EUの助成プログラム)からです。
また民間のパートナーがいますが、こちらはまだまだ足りないです。同じ会社に声をかけるライバルがとても多いですから。企業はコンペティションがあるイベントや、スポーツイベントを優先しがちで、ラ・ロシェルは不利なのです。昨今、公の助成金に関しては良くて現状維持、そうでなければ減少傾向。一方で、映画祭が必要とするお金は増えています。経済的な問題に関しては予断を許さず、楽観視していません。
――とはいえ、ラ・ロシェル映画祭は節約に長けているように見えます。公金の流れが不透明で無駄遣いが気になる日本の映画祭とは大違いです。例えば、コンペティションがないので審査員はいませんから、審査員の招待費用が浮きますよね。また、有名人を呼んでも、仰々しいアテンドはしないと聞きました。
アングレー たしかにコンペティションをしないのは、節約の意味もあります。それに、そもそも有名人を呼んで、「この映画がこの映画よりも優れている」と言わせることに、私は全く意義を感じません。
――今回、上映前に並んでいると、熱心な年配の常連客にたくさん会いました。彼らは20年から30年以上通い続ける人達で、友人同士も多かったです。日本では見られない現象だと思いました。現在のラ・ロシェル映画祭の観客層を教えていただけますか。
近年は、若い映画ファンを増やす努力をしています。新しい映画ファンが育たないと映画文化は廃れます。だからこそ地域と協力し、若者を映画祭に取り込む仕組み作りを心がけています。
――例えば、どういった試みでしょう。
アングレー たくさんあるので全てを語るのは難しいのですが、例えば、無声映画の短編の演奏を、高校生にお願いしています。地元のコンセルヴァトワール(ここでは公立の中等音楽教育の学校)に通う学生、または楽器ができる高校生でチームを組み、3日間の音楽アトリエを開きます。本番では長編の無声映画はプロのピアニストが演奏しますが、その前に上映される短編は、高校生が担当するのです。ちょうど明日はキング・ヴィダー作品の前に、高校生がアリス・ギイの短編に演奏をつけます。彼女は世界最初の女性監督ですね。
――高校生がアリス・ギイの存在を知り、映画史に触れる良いきっかけにもなりそうです。また、ラ・クルシーブ(映画祭のメイン会場)内では、カメラを持って観客にインタビューをする若者も見かけましたが。
――また若者向けの企画に限らず、ラ・ロシェル映画祭は社会的な活動にも熱心です。刑務所とのコラボレーションもあると聞き、驚きました。
アングレー レ島は有名人がバカンスを過ごす観光地として名高いのですが、実は大きな刑務所があります。特に長期の刑に服する人の刑務所で、島民にはこの中で働く人が多いのです。私たちはレ島が一面的な見方でしか語られないことに、苛立ちを覚えています。
刑務所との協力は2000年から始まりました。毎年、囚人と短編映画を作るアトリエを実施しています。今年は、近隣の町アングレームにあるドキュメンタリーとアニメのふたつの学校が参加しました。映画祭前に学生が刑務所に通い、アトリエを開いてグループで短編を制作するのです。囚人の顔を映せなかったり、刑務所内の撮影は難しいので、アニメーションは適しています。完成した作品は映画祭で上映されます。
他にも、今年は認知症の患者や看護師と一緒に、「記憶」についての短編を作り、やはり映画祭で上映されます。また映画祭以外の時期でも、入院する子供や老人ホームの人たちに映画を見せることがあります。先ほど映画祭の変化に関する質問がありましたが、これらの社会的な活動は、近年、ラ・ロシェル映画祭が非常に力を入れていることです。
――映画や映画祭が持つ力の可能性を感じます。ラ・ロシェル映画祭はシネフィルだけではなく、もはや地域の住民にとっても、なくてはならない存在だと感じました。
アングレー そうですね。しかし、それは一長一短でできることではありません。積み重ねてきた時間の長さが重要なのです。映画祭のスタッフは試行錯誤を繰り返し、仕事を覚えながら行動を続け、少しずつ信頼を得てきたのです。特に私たちのようにお金がない映画祭には、地道な努力こそが大切だと思っています。
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