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[書評]『カルピスをつくった男 三島海雲』

山川徹 著

松澤 隆 編集者

「初恋」は甘く「平和」は重く

 読み終えたくない本だった。飲み干したくない一杯の何かのように。味わいつつも「美味」に抗えずつい進んでしまい、ああ、もう少ししかないと恨めしく思いながら読み終えた、そんな本だ。

『カルピスをつくった男 三島海雲』(山川徹 著 小学館)定価:本体1600円+税『カルピスをつくった男 三島海雲』(山川徹 著 小学館) 定価:本体1600円+税
 国民的飲料の創業者・起業家の略伝というだけなら「カルピス」(現在アサヒグループホールディングス所属)のサイトにも、簡潔な記載がある。大阪の寺に生まれ、渡航して内モンゴルで遊牧民が常飲する酸乳に出会い、帰国。試行錯誤の末に1919年、日本初の乳酸菌飲料を製造・発売し、企業化に成功。様々なアイデアで単一商品カルピスを広め、経営を通じて社会貢献をした……と、概略は伝わる。

 では、概略以上の何がこの傑作ノンフィクションには描かれているのか。4つポイントがある。

 第1に、時代背景の深掘りである。三島海雲は明治維新から10年め、真宗の貧しい寺に生まれたが、西本願寺教団が新時代に即して積極的に国内の教育と大陸への布教を推進したことに、恩恵を受けた。まず布教を名目とする北京の日本語教師、やがて雑貨商に転じ、軍馬購入の途を開くが、良馬は三井・大倉両財閥が独占。そこで、モンゴルに活路を求める。折しも日清戦争直後から清朝崩壊までの激動の時代である。国策と太い結びつきはないが影響下にあった。だが、モンゴルで偶然、遊牧民の常食である乳製品に遭遇したことで、運命が変わる。そんな時代の起伏と陰影が、多くの史料と取材から照射される。

 第2に、人物群像の活写である。京都の学生時代の英語教師で後年朝日の名物記者となる杉村楚人冠、帰国後に意気投合して生涯交友を続ける東洋史の泰斗羽田亨など、各界の多くの有力者が三島の一途な性格に惚れこみ、助言し、事業を陰に陽に援けた。一方、各時代の三島を知る人の後裔や縁者、例えば生まれ育った教学寺(現箕面市)の後継者や、社長としての三島の謦咳(けいがい)に接した複数の元カルピス社OBへの取材も充実しており、その豊かな人間味が伝わってくる。

 第3に、災害・戦争と家族である。カルピス発売の4年後に関東大震災が発生。すでに評判になっていたカルピスを入れた飲料水をトラック4台分に詰め込み、三島は社員と共に被災者に配って回った。いつの時代でもこうした救援活動を売名と非難する向きはある。しかし、三島は芯の通った仏教徒であり、衆生救済の信念が実践に化したといえよう。

 昭和前期には軍需物資あるいは統制物資となり、1939年には満洲カルピス製造株式会社が設立される。大陸で、満洲カルピスの代表として1945年を迎えたのは、三島の長男・克謄である。8月、奉天の家にはカルピスを求める人が次々とやってきた。せめてもの懐かしい味に青酸カリを投じ、自決するためだ。著者はこの話を、克謄の長女から直接聴き取っている。長女は〈生きて帰ってきた父に対して、素っ気なく接する祖父の姿を覚えている〉。読みどころの多い本書の中でも、ここは白眉だ。

 敗戦後しばらくして三島は社員に向けて、「美味」「滋養」「安心感」「経済性」こそカルピスの柱と唱え、〈今後、誰が社長になっても、この四つを繰り返し、繰り返し宣伝すればよい〉と力説する。しかし、いやそれゆえにか、長男は戦後も役員として精勤したものの、ついに社長にならなかった。〈父は祖父以上にカルピスを愛していました〉。誰からも慕われた三島と唯一人の子息とのカルピスをめぐる〈溝〉。

 著者は別の箇所で、映画『火垂るの墓』(1988年公開)の一場面、〈おいで! お腹空いたやろ。カルピスも冷えてるよ〉という、兄妹の(在りし日の)母の声を引く。この飲料の価値を象徴していて、胸に迫る。だが自分は、三島父子の〈溝〉にいっそう胸を締め付けられる。

 そして第4は、著者のモンゴルへの熱視線である。就職氷河期世代と称する著者は20代前半、〈現実から逃れるように〉世界を巡った。「モンゴル国」では、ほろ苦い青春も体験した。帰国後入り直した大学の授業で、大陸で長く諜報活動を行なった石光真清を学ぶ。やがて、三島への関心と石光への憧憬、モンゴルへの思慕とが「発酵」していく。ついに向かった「モンゴル高原」は、20代の彷徨の中で訪れた「モンゴル国」ではなく、強い意思を抱いた気鋭のライターの取材地としての「内モンゴル」であった(前者は独立国、後者は中国領。両者の違いを印象づけるよう、現地の人々への取材成果が存分に注ぎ込まれている)。

 こうして、三島が1908年に敢行した北京から内モンゴルまでの旅が、2016年に再現されるのである。三島と関わった人の家族も登場する。目にしみ入る緑の草原、100年後も続く遊牧の生活。他方で、都市化=定住化の進捗という厳しい現実がある。とはいえ、資料を分析してきた著者は、招かれたパオ(ゲル)の中で現役の遊牧生活の証である数種類の乳製品を供され、その一つが、三島の記述にある一品ではないかと実感する。

 もちろん、三島が最初に口にし、数日で体調を回復させたというその乳製品が直接、カルピスの素になったわけではない。しかし、三島が初めて接した乳製品への衝撃(いわば「初恋の味」の感動)を、モンゴルに焦がれた著者が100年ぶりに再現してくれた瞬間だったといっていい(この有名なキャッチコピーの本来の誕生譚も、本書で詳述されている)。

 三島は「国利民福」を説いた。だが今や、そうした経営理念は必ずしも理解されない。しかしだからこそ、〈誰もが知るカルピス〉をつくり、〈健康と平和〉を希求した男の生き方を知ってほしい、それが著者の動機でもあったろう。もし、これを甘いという方には、三島自身の前で詠まれたという、次の歌を紹介したい。

 〈カルピスは友を作りぬ蓬莱の薬といふもこれにしかじな〉

 作者は、創業期に試飲した多くの著名人のひとり、三島と同い年の歌人・与謝野晶子である。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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