2018年08月01日
今年は、アイヌモシリ(アイヌの静かな大地)に「開拓使」が置かれ、アイヌモシリが「北海道」と名づけられてから、150年目である。そのため北海道ではこれを意識した「北海道150年事業」が行われ、8月5日には、大規模な記念式典が札幌で開かれる予定である。
道外に住む人は、安倍政権が推進する「明治150年」(正確には「明治150周年」)に意識が向いていると思うが、ぜひ北海道に関心をよせていただきたい。「北海道150年」を考えることは、「明治150年」の最重要側面の一つである内国植民地化を考えることである。
北海道150年事業の「テーマ」の第一は「北海道151年目の新たな一歩を踏み出す」であり、「基本姿勢」の第一は「未来志向」である。いずれも結構。だが未来志向は、体よく過去を忘れるための魔法の言葉であってはならない。未来に向けて新たな一歩を踏み出すために重要なのは、過去を見つめることである。見つめるべき過去もいろいろあろうが、「北海道」にとってその筆頭におかれるべきは、先住民アイヌに関わる過去である。『北海道150年事業 事業計画』を見るかぎり、この点での配慮の足りなさが気になる。
事業にはアイヌに関わる企画も含まれる。だが私は、この事業は全体として無神経すぎないかと感じる。いかに北海道の「命名」(今回はこれが強調されている)および実質的な命名者である幕末の探検家・松浦武四郎を前面に出そうと、「北海道150年」の本質は――100年前の「北海道開拓50年」、50年前の「北海道開拓100年」と同様に――、結局は「北海道開拓150年」だからである。
アイヌモシリには人が暮らしていた。なのに、そこを「無主の地」と見なし、一方的に北海道と名づけ、アイヌになんの相談もないまま「開拓」に乗り出した150年前の歴史の意味を、深刻に考えてみるべきであった。そうしさえすれば、今回のようなお祭り気分に満ちた計画は立てられなかったであろう。
なるほどこの四半世紀の、「先住民」をめぐる世界および国内での動きをふまえれば、道庁の姿勢は決して「開拓」に偏したものとは思わない。だが、どういう形で2018年を祝おうと、その底流に北海道開拓という事実があり(「開拓」とは、土地に生きる人々への配慮と無縁なのがふつうである)、だから「北海道150年」は、北海道開拓を歴史的に評価した上での事業でしかないことは、明らかであろう。
以下、おのずとアイヌに論及する。各種報告書類は、これまで「アイヌ」に付された差別的な意味をふまえて「アイヌの人びと」と記すが、ここではその本来の語義、すなわち「人間」、しかも「誇りある人間」(新谷行『アイヌ民族抵抗史――アイヌ共和国への胎動』三一新書、1972年、56頁)を踏まえて、なんの付加語もつけずにそのまま「アイヌ」と記す。
長年、日本政府はアイヌを先住民であると決して認めてこなかった。
1991年、国連による国際先住民年(1993年)への準備の過程で、政府関係者がそれを消極的に認めた事実はあるというが(公益社団法人北海道アイヌ協会『アイヌ民族の概説――北海道アイヌ協会活動を含め』改訂版、2017年、5頁; 以下『概説』と略記)、やはり2007年の「先住民族の権利に関する国連宣言」(以下「先住民族の権利宣言」)が決定的なきっかけとなり、翌2008年、衆参両院において「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」がなされ、これを下に日本政府もそれまでの姿勢を改めるようになった。
そうした姿勢の下に行われてきたアイヌに関する各種事業(後述)は、ひとまずそれ自体として評価してよいだろう。アイヌに対する「和人」(ヤマト民族)の見方に与えた影響も、小さくなかった。
だが今、「北海道(命名)150年」を祝い、東京オリンピック・パラリンピックにあわせ急ごしらえで、政府主導で行われている「民族共生象徴空間」の開設――有力なアイヌコタン(集落)があった、苫小牧に近い白老(しらおい)の広大な敷地にいまこれを建設中であるが、
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