2018年08月09日
現在、どのようなアイヌ政策が行われているか。
シリーズの1回目(「北海道開拓150年、和人がアイヌに加えた非道」)で、この四半世紀におけるアイヌや先住民族をめぐる世界・国内の変化にふれた。この点をより詳しく記しつつ、現在のアイヌ政策をその問題点とともに論ずる。
この四半世紀、アイヌ政策の進展はめざましい。何よりも「北海道アイヌ協会」(前「北海道ウタリ〔同胞〕協会」)のねばり強い活動があったことはもちろんだが(『アイヌ民族の概説――北海道アイヌ協会活動を含め』改訂版、4-8頁)、国際労働機関(ILO)や国連の努力は、特筆に値する。
ILOは1989年、先住民の生活と労働条件に関わる第169号条約を起草し、以前の第107号条約に見られた同化主義に否定的な立場を表明した(マヌエラ・トメイ他『先住民族の権利――ILO第169号条約の手引き』論創社、2002年、15頁)。1990年、国連は1993年を「国際先住民年」とし、その後に先住民族問題を持続的な課題とし、先住民族の権利宣言を起草すべく「世界の先住民の国際10年」(1994年)、「第2次世界の先住民の国際10年」(2004年)を推進した。
国内に目を転ずれば、二風谷(にぶたに)ダム問題で萱野茂氏、貝澤正氏が札幌地裁公判でアイヌとしての立場をはっきりと述べたのが1988年であり、その判決がアイヌを「先住民族」(国際人権規約B第27条)と認めたのが1997年である。その間の1994年には、萱野茂氏が参議院議員として、参議院本会議で初めてアイヌ語を用いてアイヌが先住民族であることを主張している。また、同1994年に成立した村山内閣において、五十嵐広三官房長官(元旭川市長)の私的諮問機関「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」が設置され、その報告書(1996年)にもとづいて、「北海道旧土人保護法」(1899年)に代えるに「アイヌ文化振興法」が制定されたのが、二風谷ダム訴訟判決が出たのと同じ1997年であった。
その後、2007年には国連の努力が実り、「先住民族の権利宣言」が採択され、翌2008年には衆参両議院において「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」がなされた。それを受けて内閣官房長官が、この趣旨を生かした総合的な施策の確立に取り組むという談話を発表し、それを具体化するために「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」(以下「有識者懇談会」)が設けられ、その報告書(後述)がだされたのが2009年である。先に「民族共生象徴空間」開設という事業にふれたが、これを提言したのが同報告書である。
すでに北海道アイヌ協会によって「旧土人保護法」に代わる新法の案が提示されていたが、日本政府は前者の廃止は認めたものの、アイヌ政策を「文化」面だけに限定する姿勢をとった。1997年に制定されたアイヌ新法は「アイヌ文化振興法」にすぎなかった。
しかも「文化」の意味は非常に狭い。
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