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1968年 全共闘とは何だったのか?

デモ、討論、バリケード……。在野の哲学者が語る闘争の青春

長谷川宏 哲学者

 学生の反乱のうねりが全国に広がった「1968年」から50年。あの闘争とは何だったのかを問い直す書籍の刊行やイベントが相次いでいる。ヘーゲルの翻訳やエッセイで知られる哲学者の長谷川宏さん(78)は、当時、東大大学院に籍をおくオーバードクターで、全共闘運動に参加し、デモや討論に明け暮れる青春を送った。運動の終焉(しゅうえん)後は大学を離れ、在野で研究を続けるかたわら、小中学生向けの私塾や市井の人々との読書会、自身の子育てを通じて、日常こそが思想の母胎になるとする「生活の哲学」の構築をめざしてきた。

 忘れ得ぬ闘争の日々、それからの長い長い思索の旅を振り返ってもらうとともに、混迷を深めるこの時代との向き合い方についても助言をお願いした。3回の連載で報告する=太字部分が、長谷川さん発言。(聞き手 朝日新聞論説委員・藤生京子)

長谷川宏さん拡大長谷川宏さん

幸福はつかまえどころのない青い鳥のようなもの

――この夏の新著「幸福とは何か」(中公新書)は小さな本ながら、長年のお仕事のエッセンスがぎゅっと詰まった1冊のように感じました。

 そう感じてもらえたら、うれしい。ソクラテス、アリストテレスからヒューム、スミス、カントにベンサム、アラン、ラッセルと古今の西洋哲学の大家の幸福論をひもとく中で、目指すべき最高善が幸福だとするアリストテレスの考えには、同調できませんでした。幸福って、かっちり目標設定し努力して獲得するといった類いのものじゃないでしょう。静けさや、さりげなさに核心があって、つかまえどころのない青い鳥のようなもの、と僕は考えるからです。

 その点で、他者への共感、共生が豊かな生き方だと考えたアダム・スミスや、「あくび」をして心身の安定とゆとりを取り戻すべきであると、観念過剰を戒めたアランには、共鳴しています。アランはまた、日々の暮らしで立ち現れる困難に絶望せず、みずからの力量に応じて解決していくことこそが幸福の基本形だとも説いています。

 個の自立、他者との共同性、日常の尊重――。そうした生きかたを大切にする僕の価値観は、振り返れば、確かに、学生時代の運動体験と、その後選びとった生活の中で、育まれてきたように思えます。

東大全共闘(全学共闘会議)の結成は1968年7月。医学部のインターン制度廃止に端を発した反対運動の広がりと学内への機動隊導入に抗議したもので、3カ月後には全学無期限ストに突入。11月には大河内一男総長以下、学部長全員が辞任した。春に大学院博士課程を満期退学、非常勤講師をしながら研究を続けていた長谷川さんは、12月の哲学科院生によるストライキ決議に共鳴し、運動に飛び込む。

全共闘の学生の主張に共感

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筆者

長谷川宏

長谷川宏(はせがわ・ひろし) 哲学者

1940年、島根県生まれ。58年、東大文科一類入学。文学部哲学科に進み、68年、大学院人文社会系博士課程満期退学。70年、大学を離れて埼玉県所沢市で学習塾を開く。単著に『ことばへの道』『ヘーゲルの歴史意識』『黒田喜夫―村と革命のゆくえ』『同時代人サルトル』『丸山眞男をどう読むか』『初期マルクスを読む』『日常の地平から』『日常を哲学する』。共著に『魂のみなもとへ』(谷川俊太郎との共著)など。2015年、古代から近世までの美術、文学、思想をたどった『日本精神史』(上下巻、講談社。パピルス賞)が話題に。訳書に『精神現象学』(ドイツ政府から、レッシング翻訳賞)をはじめ、ヘーゲル、マルクス、フッサール、アランなど多数。