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1968年 全共闘とは何だったのか?

デモ、討論、バリケード……。在野の哲学者が語る闘争の青春

長谷川宏 哲学者

 全共闘の結成当初から、学生たちの主張には共感するところがありました。運動の盛り上がりの中、11月の上旬に文学部ストライキ実行委員会と林健太郎文学部長との8日間大衆団交があり、また下旬には東大の銀杏並木で日大全共闘と東大全共闘を中心とした全国学生総決起集会が開かれる。そういう状況で問われていることを自分たち一人ひとりの問題として考えるべきだ、とはっきり感じました。

 やがて10数人ほどいた文学部哲学科の院生の仲間たちと、哲学科の教授たちを相手に団体交渉をおこなうようになりました。議題は、学生の無期限停学処分が不当だとか、教授会の体質が押しつけがましいとか、学生も教授の選任権を与えられるべきだとか。大学の正しい体制をいかに作るか、という話し合いですね。

 教授たちはストライキをやめて早く授業を再開し、平常の研究に戻るよう勧める。そうじゃない!と突き返す。じゃあ、君たちどうしたいんだとなる。そんな議論を続けました。

 僕は28歳だったし、ほかの大学で教えていたりもしたから、年長者扱いされることも多かった。でも自分では、一人のノンセクト・ラディカルの院生として発言していました。

二晩続きの文学部団交拡大東大闘争。林健太郎・文学部長らが出席して開かれた文学部学部集会は二晩続きの缶詰め状態の交渉になった=1968年11月5日、東京都文京区本郷、東京大学文学部

哲学は本来、荒々しいもの

――何が一番、長谷川さんの心をとらえたのですか。

 もちろん、学生の処分などをめぐる当局の対応が不当に思えたことが、基本にありました。スローガンでいえば、「国大協(国立大学協会)・自主規制路線反対」「産学協同反対」「大学解体」。いずれも学問の自由への侵害、国家権力や産業界と連携した当局の権力行使に対する、異議申し立てです。

 同時に、自分自身の思想の問題として、ちゃんと考えられるぞという気持ちも沸き起こってきて。面白い、よりも「どきどきした」という感じが近いかな。

 つまりね、何のための学問なのか。一体、学問というものは、人間が生きることと、どうつながっているんだろうか、という問いです。

 大学の学部でサルトルを、大学院へ進んでからはヘーゲルを専攻して研究に取り組んでいたときから、しょっちゅう考えをめぐらせていた問題ではありました。

 哲学って、本来、荒々しいものなんです。大哲学者たちの遺した本を読めば、文体も論理展開も、荒々しく伸びやかなのがわかる。根底から徹底的に思考するってそういうこと。自分もそうありたい、殻を破りたい。そんな思いを自分の中に秘めていました。

 でも、大学にいると、研究対象ひとつ決めるにも教授の顔色をうかがったり、仲間同士でも周りとの関係にとらわれ発言を慎んだり。ちゃんとした議論も少ないし、意味があるとは思えなくなった。当時出ていた日本のヘーゲル研究者の本も大抵は面白くなかった。

 ならば、ヨーロッパに行って勉強して、いずれ自分の本でも出せばいい、と割り切ることもできたんでしょう。でも僕は、ただ社会的上昇の階段を上り、「立派な」研究者になることに納得できなかったんですね。

 じゃあ、お前は一体どんな議論がしたいのかと言われれば、こうだとはっきり言えるものは決まっていない。そんな、もやもやとした疑問を、運動の中で多少とも解決できるんじゃないか、という期待がありました。

反発や違和感から政治活動に向かう

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筆者

長谷川宏

長谷川宏(はせがわ・ひろし) 哲学者

1940年、島根県生まれ。58年、東大文科一類入学。文学部哲学科に進み、68年、大学院人文社会系博士課程満期退学。70年、大学を離れて埼玉県所沢市で学習塾を開く。単著に『ことばへの道』『ヘーゲルの歴史意識』『黒田喜夫―村と革命のゆくえ』『同時代人サルトル』『丸山眞男をどう読むか』『初期マルクスを読む』『日常の地平から』『日常を哲学する』。共著に『魂のみなもとへ』(谷川俊太郎との共著)など。2015年、古代から近世までの美術、文学、思想をたどった『日本精神史』(上下巻、講談社。パピルス賞)が話題に。訳書に『精神現象学』(ドイツ政府から、レッシング翻訳賞)をはじめ、ヘーゲル、マルクス、フッサール、アランなど多数。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです