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アイヌから奪われた「先住民の権利」とは何か

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

サケを祭壇に供え、川の神に祈る「ペッカムイノミ」=白老町 2015サケを祭壇に供え、川の神に祈るアイヌの儀式「ペッカムイノミ」=2015年、白老町

 前回、先住民の権利にふれた。だが、そもそも先住民の権利とはいかなるものか。国連の「先住民族の権利宣言」(2007年)に見るように、それは多くの権利を包括するが、ここでは同前文で唯一強調された権利を中心に論ずる。

土地、領域および資源に対する権利

 同宣言において唯一前文に記されたのは、「土地、領域および資源」に対する権利である。それは条文としては第25~28条に記されている。この権利は、北海道ウタリ協会(当時)による「アイヌ民族に関する法律(案)」(1984年)の条文では不明確だが、それに先立つ法の制定理由において強調されている。そこには、「土地も森も海もうばわれ、鹿をとれば密猟、鮭を取れば密漁、薪をとれば盗伐とされ、一方、和人移民が洪水のように流れこみ、すさまじい乱開発が始まり、アイヌ民族はまさに生存そのものを脅かされるにいたった」と、開拓がアイヌにもたらした苛酷な歴史的現実が記されている(『アイヌ民族の概説――北海道アイヌ協会活動を含め』改訂版、2017年、13頁、以下『概説』と略記)。

 小野有五氏はこれを意識してか、先住民族の権利として、「自治権」「土地権」の他に「自然環境の管理権」(後述)をあげている(小野有五他著、北大大学院法学研究科附属高等法政教育研究センター編『先住民族のガバナンス――自治権と自然環境の管理をめぐって』同センター発行、2004年、5頁)。

アイヌの先住権が認められなければならない

 そもそもアイヌは、かつて自在に行使することができた各種の権利を(権利意識などないままに)有していた。鮭等の捕獲権、熊・鹿等の狩猟権、各種木本・草本の採集・利用権、言いかえれば河川・山の利用権等がそれである。

 だが「開拓使」はそれらの権利を剥奪した。北海道という名称付与もアイヌモシリ(アイヌの静かな大地)の無主地扱いもそうだが、これらはアイヌに何の相談もなしに開拓使が決め、後に3県庁(函館県・札幌県・根室県)および道庁がより大きな規模で追認した施策である。特に道庁は、「北海道国有未開地処分法」により、「他に従来の採取生活を続け得べき広大な未処分未開地」(高倉新一郎『アイヌ政策史』日本評論社、1942年、534頁)をアイヌから最終的に奪いとった。

 来るべき「アイヌ新法」を考えるとき、これらの事実を深刻に受け止めなければならない。言いかえれば、アイヌから奪われた各種の権利をアイヌの先住権として認めなければならない。だがこれまで、日本政府は一度もその先住権を認めたためしはない。「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」報告書も、一部のあまり意味のない場合以外は「権利」という言葉を巧みに避けている。使われるのは「先住民族の権利宣言」にふれる場合だけである。しかも同宣言がアイヌ政策に積極的な意味をもつと認めているのに(22頁)、それでも権利という言葉を用いないとすれば、「有識者」の名を汚す。「懇談会」といえども、政府に対してはっきりと物を言うのでなければ存在価値はない。

 なるほど「アイヌ文化振興法」の衆参両院内閣委員会での附帯決議には、「アイヌの人々の『先住性』は、歴史的事実であり……」とある(『概説』16頁)。また後に衆参両院は、ひいては日本政府は、アイヌを先住民であるとはっきり認めた(2008年)。だが、「旧土人」という言葉に見るように、アイヌの先住性自体が歴史的に疑われたことは、実際はない。問題は先住民としての法的権利=先住権を認めるかどうかである。

土地・資源の所有・利用権――国公有林・社有林等の返還

 ここで重要なのは、やはり先住民族の権利宣言である。宣言は、文化――広く宗教・儀礼・日々の衣食住のあり方まで含めて――や伝統の継承を権利として認めているが(第11~12条等)、さらに土地・資源に対する権利等を最も重要な権利と見なしている(前述)。

 これを保障せんとすれば、おのずと所有権に関わる問題が発生するが、アイヌの宗教的・精神的生活の中心に置かれるイナウ(木幣)用の樹木採集のために、かつてのコタン(集落)を取り巻いていた山々の所有権を、アイヌに返還すべきであろう(本来アイヌが所有意識を持っていなかった点からすれば利用権と記すべきだが、現状ではそれでは不十分である)。

 物質的生活の面でも同じことを主張しなければならない。伝統的なアイヌの衣食住を維持するためには、各種の木材・樹皮・植物等が不可欠である。例えばアットゥシ(厚羽織り)を始めとする衣服作りのためには、オヒョウニレの樹皮を自由に採集できなければならない。コタン周辺の一定の国公有林、社有林の返還が不可欠である。

 貝澤正氏は、二風谷(にぶたに)コタンの裏山を所有する三井物産社長に対し返還を求めた(貝澤正『アイヌ わが人生』岩波書店、1993年、186頁以下)。私は現行法制下にあって当社有林の返還を合法的に請求する方法を知らない。だが、少なくとも三井物産は、率先してアイヌコタンにそれを返すべきであろう。その所有は当時の法に基づく合法的なものだったかもしれないが(もっとも当時ほとんど法を曲げてアイヌから土地を奪った者も多かった)、実際の法の執行、道庁側の対応等を見れば、瑕疵が多かったと判断せざるをえない。

 それを踏まえたとき、いま特別法を用いてアイヌを救済することは可能である。法改定による、所有者への補償を前提した返還も可能だが、社有林の所有企業それ自体が、企業としての社会的責任を自覚しつつ率先して返還できるなら、おそらく最も望ましい。

 先住民に対する土地の返還は、実際、世界各地で行われている。貝澤氏もサハリン州政府と先住少数民の土地返還協定にふれているが(同前、194頁)、オーストラリアでも先住民に対する土地返還が進んでいる(友永雄吾『オーストラリア先住民の土地権と環境管理』明石書店、2013年、33頁)。

 なるほど「土地に関する権利」は、国際人権規約・差別撤廃条約においてどこまでを含意するのかは、各国の判断に委ねられているようである。つまり、所有権まで含むと考えるべきか、利用権を認めるていどと考えるべきか、がそれである(小坂田裕子『先住民族と国際法――剥奪の歴史から権利の承認へ』信山社、2017年、214頁)。「有識者懇談会」報告書はその辺をあいまいなままにしているが――「土地・資源の利活用については、一定の政策的配慮が必要」と記すのみ(28頁)――一定条件下での所有権を認めるべきであろう。

鮭の捕獲権――許可願いを不要とすべきだ

 鮭の捕獲権も同様である。日本では、鮭の捕獲は「水産資源保護法」によって漁業者以外には禁じられている。なるほど1987年には、アイヌによる長年の運動が実って、祭儀のための捕獲が例外的に認められた。だがその例外的捕獲のためにさえ、道知事に捕獲許可願いを出さなければならない。つまり鮭の捕獲権はアイヌに依然として認められていない。だが

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