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1968年から50年、いま何を考える

身近な課題に向き合い人生を切り開く。対話の意思を伝える。在野の哲学者が得たもの

長谷川宏 哲学者

1997年。ヘーゲルの相次ぐ新訳が「画期的」と称賛され、文化面のトップ記事にもなる
拡大1997年。ヘーゲルの相次ぐ新訳が「画期的」と称賛され、文化面のトップ記事にもなる

――長谷川さんの場合、闘争体験は「敗北だが挫折ではない」ということでした。改めてお聞きします。後悔したことはありませんか。別の人生もあったのではないか、とか。

 ないなあ、それは。全共闘がうまくいった、と言いたいわけではなく、いろいろ失敗もあったけど、僕自身は、アカデミズムを離れた解放感は大きかった。

 有り難いことに、大学で教えないかと何度も誘ってもらったし、時々、頼まれて大学に出向くこともありました。昔の知りあいと顔をあわせるときなどは、居心地の悪さを感じないわけではなかった。若い研究者とのつきあいで、迷惑をかけてはいけないと遠慮したこともある。

 そうこうしながら、ずっと一人で仕事を続け、仲間に恵まれ、地域で自然体で暮らせたのはよかった。比較することではないですけど、こっちのほうが豊かだし、ほんとにそれは得したなと思う。

78歳。研究と執筆、読書会や講演などのかたわら、今も週3回は塾で教える。一対一の授業も。合宿にも参加する。そのレポートでは、一人ひとりの子供たちの動き、性格や周囲とのかかわりについて記す筆致が、実に細やかだ。そして最大の日課は、家族のための食事づくり。3人の孫育てに忙しい。

――日常の地平を大事にする、長谷川さんの目には、いまの政治や世界情勢など、どんなふうに映りますか。

 孫たちの将来を考えると、憲法9条をめぐる動きは気になりますね。また政治家の品のなさは、本当にくさくさする。どうにかしなきゃと強く思うのは、経済格差。なぜ日本では、経済面での社会主義的な平等思想が支持を得ないんだろうと、とても不思議です。経済的に平等なのが人間の自然なあり方だと思うのですがね。

 そういえば、特定秘密保護法の成立のときは、塾のOBたちと一緒に、国会前へデモに行きました。何十年ぶりになるのかな。最近は若い人たちもデモに出かけて、非常にいいことだと思いますね。僕も本当はもっと行きたいんだけど、体力的にしんどくて。

生活の中から政治の課題も見えてくる

――とはいえ、中長期的に見れば、異議申し立てのムードは強くありません。政治のていたらくを許してしまったのは、人々が愚かになった、自分の利益のみに関心を向けてきた結果だ、という見方もあります。

 人々が愚かだという感じは持ちません。まあ、僕が塾や読書会や地域の集まりなどでつきあいのある、せいぜい200人くらいの顔を思い浮かべてのことですが。

 確かにそこでは、ふだん政治の話はほとんど出ません。でも、普通に暮らす人たちが、政治よりも身の回りのことに懸命になるのは、ある意味で当然でしょう。 ・・・ログインして読む
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筆者

長谷川宏

長谷川宏(はせがわ・ひろし) 哲学者

1940年、島根県生まれ。58年、東大文科一類入学。文学部哲学科に進み、68年、大学院人文社会系博士課程満期退学。70年、大学を離れて埼玉県所沢市で学習塾を開く。単著に『ことばへの道』『ヘーゲルの歴史意識』『黒田喜夫―村と革命のゆくえ』『同時代人サルトル』『丸山眞男をどう読むか』『初期マルクスを読む』『日常の地平から』『日常を哲学する』。共著に『魂のみなもとへ』(谷川俊太郎との共著)など。2015年、古代から近世までの美術、文学、思想をたどった『日本精神史』(上下巻、講談社。パピルス賞)が話題に。訳書に『精神現象学』(ドイツ政府から、レッシング翻訳賞)をはじめ、ヘーゲル、マルクス、フッサール、アランなど多数。