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完成から約半世紀を迎える北海道百年記念塔 拡大北海道「開拓」100年を記念して建てられた北海道百年記念塔

北海道150年=北海道開拓150年

 「北海道150年」を祝うということは、一体どういうことなのか。人びとが歴史をふり返ることは、重要である。巨大な権力を持つ、北海道庁という行政機関にとっては、なおのことそうであろう。

 しかし、ふり返るべき時がなぜ150年前なのか。「北海道150年」で問題にされているのは、どう言いつくろおうと要するに開拓使以来の開拓の歴史である。この100年、道庁は「北海道開拓50年」、「北海道開拓100年」を祝ってきた。今回は「開拓」と言わずに単に「北海道150年」あるいは松浦武四郎による命名を前面に出して「北海道命名150年」と呼んでいるが、いずれも結局は「北海道開拓150年」とほとんど同義である。アイヌに一言の相談もなしに「北海道」と命名したことと、無主地という名目でアイヌモシリ(アイヌの静かな大地)「開拓」にまい進したこととは、同じ楯の両面である。

 とはいえ、今回の「北海道150年」事業が、四半世紀にわたる新たなアイヌ認識・政策を確かにふまえている事実の意味は大きい。私はその限り、今回の行事に一定の評価をしうると考える。実際、北海道150年事業から、「開拓」視点が後退したのは事実である。例えば、「開拓100年」事業時に作られた北海道開拓記念館(1970年建設)がアイヌ関連施設とともに北海道博物館へと装いを新たにした(2015年)事実は、典型的な例である。

 そもそもアイヌモシリには、主にアイヌと自称する先住民がおり(「主に」なのは他にもウィルタと自称する少数民族もいたからである)、そこには人びとの、あたり前の、多分つつましくそれでいて幸福な生活があった。知里幸恵編訳『アイヌ神謡集』(岩波文庫、1978年)をひもとくと、それがひしと感じられる。だが和人はアイヌモシリに入り込んでアイヌを徹底して虐待・搾取したし、明治以降の「開拓」は、彼らの存在を無視した土地の収奪であり、彼らの和人への同化を前提にした、彼らの文化・伝統の破壊にほかならなかった。

 今回の北海道150年事業を見ていると、そうした「開拓」のあやまちが、それを固有の任務とした行政機関である道庁に、あるていど理解されていると確かに感じられる。

道庁には同化政策への自己批判が求められる

 だが、今回でさえアイヌに関して強調されているのは、相変わらずアイヌが有する自然に対する価値観であり、細々と残された少数民族としての伝統・文化にとどまっている。「北海道150年」という祝典の場に不似合と感じるのであろうが、アイヌに対する和人の非道な――これに道庁自体も使命感をもって加担した――開拓の歴史は、どこまで自覚されているか。目をふさぎたくなるであろうが、だがわれわれ和人は、かつてアイヌに加えた非道をもはっきりと知る必要がある。

 アイヌにとっては、和人による虐待・搾取ひいては同化という悲話を聞かされるのは、さぞつらいことだろう。だが、和人はそれをほとんど、あるいは全く知らずにいる。ちょうど、かつて朝鮮半島や中国大陸、台湾・太平洋アジア諸国・諸地域で日本(人)が行ってきた非道を知らないように。

 今回の行事では未来へのつながりが強調されている。だが未来につながるためには過去をはっきり踏まえる必要がある。しかも道庁という行政機関の長は、道庁がとってきた「同化」政策の誤りをはっきり指摘し、アイヌに謝罪する必要がある。アイヌの今日までの苦難は、同化政策の必然的帰結である。それは、政策と別に偶然起こったのでもなければ、政策に反して起こったのでもない。アイヌを、和人と同様の日本臣民に仕立てようとしながら、両者の間に非常に大きな差別を持ちこんだのも(前述のように付与される土地の広さに100倍もの開きがあった)、確たる政策の一環である。

 アイヌを人間視しない政策の目線が、その執行者(吏員)に伝染するのは必然的であった。だから、上川アイヌの「給与予定地」150万坪の多くは詐取されて、いつのまにか3分の1以下の45万坪へと減らされてしまったのだし、アイヌの共有財産は、乱脈経理企業の株券に換えられたあげくに無価値にされてしまったのであり、二風谷(にぶたに)の裏山は大資本に付与されたためにアイヌは利用権・採集権を奪われてしまったのである。これにはすべて道庁の吏員が関わっている。

 前述のように、1997年、北海道旧土人保護法を廃止する際、アイヌ共有財産についてそれまで道庁がどれだけズサンな行政的処置をとってきたかについて、深刻な総括は行われなかった。北海道150年事業はけっきょく開拓150年の祝いにすぎないと、こうした道庁の甘さからも判断しなければならない。今後、北海道150年を記念して50年ぶりに『新新北海道史』が書かれるのであろうが、開拓100年時の『新北海道史』に見られる、道庁に関する相対化・批判の欠如という轍を踏まないよう、強く望む。

実質的な権利回復の努力を

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筆者

杉田聡

杉田聡(すぎた・さとし) 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

1953年生まれ。帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)。著書に、『福沢諭吉と帝国主義イデオロギー』(花伝社)、『逃げられない性犯罪被害者——無謀な最高裁判決』(編著、青弓社)、『レイプの政治学——レイプ神話と「性=人格原則」』(明石書店)、『AV神話——アダルトビデオをまねてはいけない』(大月書店)、『男権主義的セクシュアリティ——ポルノ・買売春擁護論批判』(青木書店)、『天は人の下に人を造る——「福沢諭吉神話」を超えて』(インパクト出版会)、『カント哲学と現代——疎外・啓蒙・正義・環境・ジェンダー』(行路社)、『「3・11」後の技術と人間——技術的理性への問い』(世界思想社)、『「買い物難民」をなくせ!——消える商店街、孤立する高齢者』(中公新書ラクレ)、など。

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