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65歳でオーケストラをつくり指揮者になった!

人生100年時代。西脇義訓さんの「好きを極める」生き方とは(前編)

丸山あかね ライター

 そう語る西脇さんだが、それにしても壮大な夢だ。指揮者に求められるのは、音楽的な才能、耳の良さ、楽曲の知識、分析力、オーケストラをまとめるための人間力、コミュニケーション力、説得力、統率力、表現力……。いわば万能でなければ務まらない。西脇さんは続ける。

 「指揮者はオーケストラが存在しなければできません。ブリュッヘンやアーノンクーも自らオーケストラを創って指揮者になった。そういう前例にならって自前でオーケストラを作りたいという発想が生まれた。といって指揮者になりたかったのかというと、それもちょっと違って、私がこだわっているのはオーケストラが奏でる音の響きなのです。天から音が降ってきて聴く人を包み込むような、私が理想とする演奏を実現したいという一心でここまできました。

 デア・リング東京オーケストラを作って5年になりますが、毎回仮説を立てて実証することを繰り返しているわけで、これまでに発表した5枚のCDもほとんど売れていません(笑)。それでも夢に向かって確実に一歩踏み出すことができたといえるでしょう。かくなるうえは、行けるところまで行ってみたい。ひいては悔いのない人生を生きたいという想いがあります」

アイドルはベートヴェン

 西脇さんと音楽との出会いは3歳の時。幼稚園の教室からスキップをして歌いながら出てきた様子を見て、この子は音楽が好きなのかもしれないと閃いた母親の勧めで木琴を習い始めた。

 「当時、アメリカ帰りの木琴奏者・平岡養一が大変な人気を博していたのです。私はたちまち木琴演奏の虜になりました。ところが、あれは小学校5年生の頃だったでしょうか。音楽の時間に『ウィリアム・テル』の序曲を聴いて、オーケストラの主役は木琴ではないのかと愕然(がくぜん)としてね。なぜヴァイオリンを習わせてくれなかったのかと両親を恨みましたが、今では感謝しています。三つ子の魂百までではないけれど、木琴で培ったリズム感が指揮には大いに役に立ち、現在の自分を支えていると感じるのです」

 進学した私立東海中学校には当時オーケストラ部がなく、暗黒時代だったとか。そんな中、親にせがんで買ってもらったベートーヴェンの交響曲全集(ワルター指揮コロムビア交響楽団)をレコードが擦り切れるほど聴いて過ごす。巷(ちまた)で流行りの歌謡曲や映画はまったく感心がなかったという。西脇少年にとってはベートヴェンこそがアイドルだったのだ。

チェロを習ってオーケストラに

 「とにかくオーケストラへの憧れは募るばかりで……。東海高等学校に通う2年の時に、ヴァイオリンはもう間に合わないと思ってチェロを習い始めました。そしてチェロの先生の紹介で名古屋市立大学管弦楽団の演奏会にエキストラで出演し、ついにオーケストラに参加したいという長年の夢を叶えたのです」

 慶應義塾大学を目指したのも、ワグネル・ソサィエティという洒落た名称の歴史あるオーケストラでチェロを弾きたい一心からだった。

 「入学した当初は学生運動が激しくてあまり授業がなく、おかげでオーケストラ三昧の毎日を送ることができました。我ながらもの凄い熱量で、たとえばワグネルの仲間と麻雀をする時もBGMはクラシック。『今日はベートヴェンのカルテッドを全部聴こう!』とか言って。最良のオタク友達に恵まれました(笑)」

「弟子にしてください!」と直談判


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筆者

丸山あかね

丸山あかね(まるやま・あかね) ライター

1963年、東京生まれ。玉川学園女子短期大学卒業。離婚を機にフリーライターとなる。男性誌、女性誌を問わず、人物インタビュー、ルポ、映画評、書評、エッセイ、本の構成など幅広い分野で執筆している。著書に『江原啓之への質問状』(徳間書店・共著)、『耳と文章力』(講談社)など

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