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バイロイトで聞いた理想の響きをつくる!

人生100年時代。西脇義訓さんの「好きを極める」生き方とは(後編)

丸山あかね ライター

 「65歳でオーケストラを創設し指揮者デビュー 人生100年時代。西脇義訓さんの『好きを極める』生き方とは(前編)」では、デア・リング東京オーケストラの創設者であり、指揮者でもある西脇義訓さんの「好きを極める」生き方をテーマに話を伺った。今回は西脇さんが挑むオーケストラの「理想の響き」を中心に、一問一答形式で、独自な理論、そしてデア・リング東京オーケストラの大胆な試みについて訊く。

 多くの音楽評論家やクラシックファンが度肝を抜かれた画期的な演奏法とは何か? 百数十年のあいだ続けられてきたオーケストラのスタイルに革命を起こしたと評される西脇さんの挑戦とは……。その全貌(ぜんぼう)をお届けしたい。

西脇義訓さん西脇義訓さん

西脇義訓(にしわき・よしのり) 1948年、愛知県生まれ。15歳でチェロを始め、大学で慶應義塾ワグネル・ソサィエティ・オーケストラに在籍。71年、日本フォノグラム(現ユニバーサルミュージック)に入社。2001年、録音家の福井末憲と共にN&F社を設立し、長岡京室内アンサンブル、サイトウ・キネン・オーケストラ、青木十良などの録音・CD制作に携わる。2013年、デア・リング東京オーケストラを創立し、録音プロデューサーと指揮者を兼ねる。

ワーグナーの「指輪」に衝撃

――まず、「デア・リング東京オーケストラ」という名称に込められた想いから聞かせてください。

西脇 先進性、独創性、開拓者精神で世界を席巻したワーグナーの代表作「ニーベルングの指環」(Der Ring des Nibelungen)にちなんで名づけました。「ニーベルングの指環」との出会いは学生時代。ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルのLP19枚を友人の家で聴いたのが最初でした。実に衝撃的でしたね。2度目は社会人になってから、日本フォノグラムでレコードコンサートの演奏係を命じられ、カール・ベームの指揮による「リング」LP16枚の発売キャンペーンで、表裏32回ものレコード針を落とすという役目を通してじっくりと鑑賞しました。

――役得だったと。

西脇 まさにその通り。その後、何週間も頭の中でライトモチーフ(繰り返し使われる短い主題や動機)が鳴り続け、すっかりワーグナー中毒になってしまったのには、いささか困惑してしまったのですけれど(笑)。

 ベーム盤はワーグナーの聖地バイロイト祝祭劇場でのライヴ収録で、目の覚めるような見事な録音ですが、解説書にあったバイロイト祝祭劇場のオケピットの構造からすると、客席ではこんな響はしないだろうと思いました。確かめるためには、バイロイトへ行くしかありません。とはいえバイロイト音楽祭には世界中からクラシックファンが押し寄せるため、チケットを入手するのは容易なことではないのです。

 私は周囲の人達に「バイロイト音楽祭へ行きたい!」「バイロイト祝祭劇場でワーグナーを聴くまでは死ねない!」などと伝え続けていましたが、その甲斐あって2009年に突如としてチャンスが巡ってきた。急に行けなくなったからチケットを譲ってあげましょうという奇特な人が現れたのです。

バイロイトで出会った至福の響き

――西脇さんのただならぬ執念を感じます。

西脇 私もそう思います(笑)。とにかく「是非、お願いします!」と手帳も確認せずに即答しました。あれは忘れもしない2009年、バイロイト音楽祭開幕の7月25日。演目はペーター・シュナイダーの指揮による「トリスタンとイゾルテ」でした。着慣れぬタキシードに身を包み、硬い木でできた客席に座って今か今かと開演を待ちわびていたところ、ついに前奏曲が始まり……。その瞬間、天井から降ってくるかのような至福の響きに包まれた。これこそが私の理想とするオーケストラの演奏だと歓喜しました。私の予想通り、オケ・ピットの構造によってブレンドされた柔らかく、深く、荘厳なまでに美しい響きを奏でていたのです。

――バイロイト祝祭劇場のオケ・ピットは、どんな風に特殊なのですか?

西脇 客席との間には巨大な壁が覆いかぶさるようにそびえていて、客席からオーケストラは全く見えず、オーケストラから客席も全く見えません。ワーグナーは観客が集中できるよう、こうした構造にしたと言われていますが、私は音の響きも計算してのことだと思うのです。

 こうして生まれた「至福の響き」をバイロイト祝祭劇場のような特殊なオケ・ピットを使わずに実現したいと考えたのが、デア・リング東京オーケストラを創設した大きな理由です。

原点はオーケストラの円形配置

マスターズオーケストラキャンプ 音楽監督:西脇義訓 講師:森悠子=2004年、第一生命ホール 
マスターズオーケストラキャンプ 音楽監督:西脇義訓 講師:森悠子=2004年、第一生命ホール

――西脇さんは、「至福の響き」を実現するためのアイデアを持っておられたのですか?

西脇 かねてから従来のオーケストラの配置に疑問を抱いていました。オーケストラというと、誰もが指揮者に向かって演奏者が半円形になって、指揮者の指示に合わせて演奏する図を思い浮かべることでしょう。一般にこれがアンサンブル(合奏)を機能的に行うための最良の配置だと考えられています。

 コンサートマスターがいて、各パートにもトップがいて、トップ奏者がまずアンサンブルの基礎を作って引率していく。つまりトップ奏者に合わせ、隣の人と合わせて演奏することがアンサンブルの基本だとされているわけですが、それがすべてではないはずだと私はずっと思っていました。

 2003年のマスター・オーケストラ・キャンプで、弦だけ80人ほどで円形に、しかも隣が同じ楽器にならないようにして演奏したことがあるのですが、これは6年後にバイロイトで体験した「至福の響き」にとても近いんです。それで、私の中にはオーケストラを円形配置にすることが原点にあるのです。

――オーケストラの配置を円形にする、ですか。

西脇 ただ、配置は二次的なことで、大切なのは目ではなく耳。指揮棒を目で追うのではなく、耳を使って全体の響きを聴き合うことです。その上でホールは楽器だととらえ、ホールという空間を最良の状態で響かせることも欠かせません。奏者の空間力とホールの空間力が一致した時に至福の響きが生まれるのです。

 相撲の土俵のように舞台が真ん中にあれば円を作るのが一番良いのですが、そうではないのでデア・リング東京オーケストラでは奏者が指揮者ではなく観客のほうを向いて座ります。指揮者が見えない人もいるし、弦楽器のボーイング(弓の上げ下げ)は各々の自由。誰かと合わせることに集中するのではなく、自由に、自発的に楽器を奏でることで意識を遠くに置くことができる。つまり演奏を俯瞰することができる。音を遠くに聴くことが「至福の響き」を生み出す秘訣なのです。

指揮者の役割はまとめること

――いろいろな配置を試しているのですね?

西脇 ええ。たとえばデア・リング東京オーケストラのCD第一弾となった「ブルックナー 交響曲第3番『ワグネル』」では、全員が観客の方を向いて演奏しました。第三弾となった「ベートーベン 交響曲第3番『英雄』」での配置はクァルテット式。扇型となって座る4人ずつのグループ6組によって構成されているため、指揮者に背を向けている人もいます。団員も最初は戸惑っていたようですが、どこにもない響きを演奏で体感し、録音した演奏も聴いて「こんなに響きが違うとは」と驚きを持って受け入れてくれました。

――団員が指揮者を観ないということになると、指揮者の役割とは?

西脇 日本では「指揮者」と訳されていますが、英語ではお客さんを快適な旅へと誘うのが役目だということから「コンダクター」。また、フランスでは「シェフ」と言います。さまざまな材料のそれぞれの素材を活かして料理をする人という意味ですね。「指揮者」というと支配するというニュアンスになってしまいがちですが、私は誘う、まとめるというのが本来の指揮者の役割だと思います。つまり英語のファシリテーターですね。音楽は文字通り、人を楽しい気分にしたり、心を癒したりするもの。一人ひとりの団員が自発的に方向性を定め、自然のうちに呼吸を合わせて演奏するのが理想ではあるけれど、それはそんなに簡単ではない。やはり促進する存在が必要なのだと捉えています。

 指揮者は独裁者であり、性格的な偏りがあっても音楽的な才能が際立っていればカリスマ性のある人物として受け止められるということは大いにありますが、エキセントリックにダメ出しをして団員のプライドを傷つけたり、モチベーションを下げたりするのは本末転倒なのではないでしょうか。奏者がすべきことは楽譜に書いてあるのです。すべきことを全員がストレスなく演奏することができれば、自ずと純度の高い響きを持って聴衆の心に届くと思っています。

貯金はすべてオーケストラに投入

ミッシェル・コルボ氏から指揮の指導を受ける西脇義訓=2001年ミッシェル・コルボ氏から指揮の指導を受ける西脇義訓=2001年

――それにしてもオーケストラを作るのは並大抵なことではありません。どのような手順を踏んで実践なさったのですか?

西脇 ヴァイオリニストの森悠子さんと知り合った99年、51歳の時にフォノグラムを退職した一つのきっかけです。森悠子さんは当時リヨン国立高等音楽院で教えていて、バロック奏法も究められていました。フランスを本拠としながら、日本に京都フランス音楽アカデミー(パリ音楽院の教育システムを導入した機関)と長岡京室内アンサンブルとを創立し、私がまさに求めていた音楽を実践されていました。

 独立して真っ先に長岡京室内アンサンブルを録音すると共に、改めて音楽を基礎から勉強をしたいと考えていたので、森さんに頼んで、若い人に混じって京都フランス音楽アカデミーで様々な授業を聴講させてもらったり、実際にチェロでアンサンブルに加わったりしました。6年間ほぼ毎年、春には京都に行き、世界の最先端の音楽教育を目の当たりにするばかりか、身をもって体験することができたのです。

 アベイ・ドゥ・ノアラック(フランス)の講習会で、敬愛するスイスの指揮者、ミッシェル・コルボ氏による指揮と発声法の指導を受けたのは2001年のこと。実はコルボの講習会に参加した頃からオーケストラを作りたいと漠然と考えていたのですが、2001年に録音家の福井末憲さんと共にN&F社を設立する流れとなり、数多くの魅力的なアーティストとの仕事に恵まれました。

 瞬く間に時が流れ、オーケストラ創設に向けて具体的に動き始めたのは2011年。私の理論を理解してくれる団員を募るのに2年ほどかかりました。もちろんお金もかかります。仮に一度の演奏で一人に1万円払ったとしても、団員が50人なら50万円必要なのですから。幸い持ち家もあったし、息子も社会人となったしということで、貯金はすべてオーケストラの創設、運営に投入してもいいと腹を括って取り組んでいます。妻は言っても無駄だと諦めているのでしょう(笑)。でも、応援もしてくれていて心より感謝しています。

日本人ならではの方法で演奏

――最後に今後の抱負について教えてください。

西脇 たとえば宮本武蔵などの剣豪は、呼吸を整え、目や耳だけでなく、すべての感覚を開いて前方のみならず背後の気配も感じ取っているため、四方から立ち向かってくる敵を次々と倒すことができるといわれています。ここで注目すべきは、合気道や空手、古武道の世界ではいきり立つと視野が狭まり、逆にリラックスすることで視野が広がるとされていること。つまり呼吸を整え、平常心を保つことで最高のパフォーマンスを発揮することができるというわけです。

 今までオーケストラのことは、ウィーン・フィルやベルリン・フィルをはじめ、ひたすら西洋から学んできましたが、日本人ならではの感性をプラスし、日本人ならではの方法でオーケストラが演奏を奏でれば、世界のどこにもない新たな響きを放つことができると私は確信しています。

 目下の望みは8月31日に行うデア・リング東京オーケストラのデビュー演奏会の成功です。これまでCDの録音をするための演奏に特化してきましたが、今までの録音に立ち会ってくれた音楽関係者や、メンバー、CDを聴いた方からも「早い時期に演奏会を」とリクエストを頂戴していました。私自身も言葉で説明するより、聴いていただくのが一番だと考えています。一人でも多くの方に足を運んでいただければ幸いです。

デア・リング東京オーケストラ演奏会 8月31日16時開演 東京・三鷹市芸術文化センター「風のホール」にて。全席自由4800円(第6弾CDつき)。問い合わせはクレオム 03-6804-6526