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[書評]『自衛隊失格』

伊藤祐靖 著

井上威朗 編集者

正面突破で「デビュー作が最高傑作」の呪縛を断ち切る

 ものすごく面白い著者が出現した。この著者で本を作りたい。でもデビュー作でこの著者の持ちネタは出し尽くされている気がする。さあどうしよう――。

 デビュー作(もしくは出世作)が最高傑作、という人は多いものです。そして本の世界では「手記」と呼ばれるジャンルがありまして、このジャンルの著者こそ、もっとも「デビュー作が最高傑作」になりがちな存在であります。

 考えてみれば当たり前ですね。手記の傑作というのは、想像もつかない面白い人生を歩んだ人が、自分の軌跡を明かしつつ、その過程で体得したユニークな人生観を展開してくれるもの。そこでネタを出し惜しみしないほど傑作の度合いが高まるわけで、そうなるとデビュー作が最高傑作になって当然、となるわけです。

 でもその大傑作を読んだ私たち編集者は、どうしても妄想してしまうのです。こんな面白い手記を残した著者なのだから、何か「違う切り口」で次回作を企画できたら凄いことになるんじゃないか――。

 こうして私も少ない脳味噌を絞って、どんな「違う切り口」があればデビュー作を超える企画ができるか、ひたすら考えてきました。いろんな著者とも打ち合わせを重ねました。でも結果は……悔しいことばかり。妄想は妄想のままのほうがいいのでは、そんなことを体で学ぶ人生であります。

 なんてことを思っていたら、おそらく周到なプロデュースのもと、「傑作のデビュー作以上にイイ感じの手記」が出現いたしました。

『自衛隊失格――私が「特殊部隊」を去った理由』(伊藤祐靖 著 新潮社)定価:本体1500円+税『自衛隊失格――私が「特殊部隊」を去った理由』(伊藤祐靖 著 新潮社) 定価:本体1500円+税
 自衛隊勤続20年。能登半島沖不審船事件の際、部下に確実に死ぬであろう「出撃」をさせかかった経験から、自衛隊初の特殊部隊を創設した人物。これが著者です。

 本著者の最初の手記は2年前、2016年に刊行された『国のために死ねるか――自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』(文春新書)。これがまたべらぼうに面白いのです。命をかけて守るべき何かが今の日本にあるのか、そんな自問をまさに命がけで重ねながら、すさまじいばかりの鍛錬を重ねていく著者の半生は目を離せません。

 ところが本著者が戦闘行動についての知識・経験の90%を得たのは自衛隊ではない、とのこと。自衛隊を辞めたあと、フィリピンのミンダナオ島で習得したものだ、と書いてあります。どういうことか、と思って読み進めると、また驚くべき展開です。本当に「殺すか殺されるか」の現場でどのようなことが起きているか、実に克明に描かれています。すごい説得力に、こちらはうなるしかありません。

 加えて、本著者の人格形成に影響した家族の言動も強烈なものばかり。かくして、どこを読んでも濃い話だらけ、これは参りました、と言うしかないデビュー作だったわけです(本著者の本当のデビュー作は護身術を説いた実用書ですが、そこは大目に見てください)。

 では今作『自衛隊失格』はどんなことになっているのか。話の盛り上がりに応じてエピソードの前後を入れ替えて配置した『国のために死ねるか』とは異なり、時系列に従って整理された叙述が展開されますが、起きている出来事は同じ、それに対する本著者の見解も同じ、となっています。

 短気なデビュー作のファンなら「ネタの使い回しだ!」と怒り出すかもしれない作りです。でも、前作とエピソードやその解釈が違っていたら、それこそ「ひとり歴史修正主義」みたいなもので、もっとひどい話になってしまいます。

 ではこの『自衛隊失格』、どうやってデビュー作を超えようとしているのか。それは読めば明らかです。全編にわたって「この本を通じて読者に考えてもらいたいこと」を示し続けているのです。それはこの一点です。

 憲法に書いてあることと、自衛隊って、どう考えたって矛盾してるじゃないか。

 誰もが気付いているけれど、政治的な目的があるときしか指摘しない、この矛盾。でも本著者は現場で命を張り続けながら、ずっとこの矛盾のことを考えてきていたのだ、と繰り返しています。前著では間接的にしか書かれていなかったこの論点を、第2作では中心テーマに据えたわけですね。

 そして本書では、この矛盾から逃げるために自分自身を偽り、やがては「微妙な」おじさんになってしまう自衛隊の「中の人」が無数に登場し、煩悶し続ける著者との好対照を見せます。これが本書タイトル『自衛隊失格』につながっていくのです。

 それでも本著者は、読者を特定の結論に誘導しようとしません。自分はこう悩んだ、と正直に書くばかりです。このフェアプレー精神に感動を覚えながら、前作よりもスムーズに読み終えてしまった次第です。

 こうして私は気付いてしまいました。私は次回作を企画するとき、「違う切り口」とか考えるから、失敗したのですね。

 「前と同じことをやるのを恐れない」
 「前のときは明確でなかったテーマがあるなら、それを正面に出し、誠実に向き合う」

 本書はこうした勇気ある試みをやりとげ、さらに叙述をグッと整理したことで、正面突破で「前作超え」をなし遂げたのです。

 それにくらべると、本を出すごとにエピソードが食い違っていく有名著者、何人も思い出すことができます。違う切り口とかいって、ああなったらいけないですよね。

 私自身も、若者に昔の自慢話とかするとき、話を盛るのは絶対にやめよう。自分について語るときはいつも以上に誠実にしよう。そう決意できる読書体験でした。

 まあ、自慢話するような相手なんかいないので、今日も1人で野球を観戦しに退社するわけですが。ではまた。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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年間2万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。