2018年08月23日
本シリーズ「「北海道150年」事業への疑問」の最後に、いくつかの提案をしておきたい。
ふだん表だって論じられる「大問題」とは見なされないが、アイヌ文化の存続・継承のためには、道内の地名をアイヌ語に戻す、あるいは併記することを考慮すべきである。アメリカ「合州国」の州名に見るように、先住民の地名の利用が直ちに先住民の尊重を意味するわけではないが、だがアイヌにとって異質な地名が使われている現在――発音が似ていても、表意文字である漢字によってアイヌ語との無縁性が強められている――、それを自らの母語による地名に戻せるなら、どれだけ民族の誇り・尊厳を取り戻すきっかけとなるだろう(鎌田遵『ネイティブ・アメリカン――先住民社会の現在』岩波新書、2009年、40頁)。
和人との「共生」を計るという観点からは、むしろ両名の併記が望ましいかもしれない。市町村名はもちろん、下位の地域名・字名・駅名・施設名・川の名・山の名等、いや「北海道」という地名についてさえ、可能な限りそれがはたされることを、筆者は望む(小野有五他著、北大大学院法学研究科附属高等法政教育研究センター編『先住民族のガバナンス――自治権と自然環境の管理をめぐって』、同センター発行、2004年、8頁)。
この種のことは、少数民族(かならずしも先住民とはかぎらない)の言語を尊重あるいは復権させた地域ではめずらしいことではない。例えば英国ウェールズにおけるウェールズ語の例(2016年2月28日付北海道新聞)を、中国における朝鮮語等の例(萱野茂『アイヌの碑』朝日新聞社、1980年、201頁)がそれである。地域の標識は、その地域が属する国の言語(日本なら日本語)と少数民族の母語の両方で、表示されているという。
先住民の例で言えば、ニュージーランドでもマオリ語が、北欧諸国でもサーミ語が、併記されている(反差別国際運動日本委員会『先住民族アイヌの権利確立に向けて』解放出版社、2009年、50頁)。こうした先駆的な経験に、日本も学ぶべきだと私は思う。
北海道各地で見られるようになった「イランカラプテ 『こんにちは』からはじめよう」という標語も結構だが(道内にはこの種の標語が空港はもちろんビール缶にまで広く見られる)、その姿勢をもっと広範に強めてほしいのである。
そしてこの努力は、かつてのアイヌに対する和人の犯した非道を後世に伝える努力とともになければならない。道内の学校では副教材を使って北海道「開拓」=アイヌの権利剥奪・生活破壊の歴史を教える努力をしていると思うが、仮に教えられたとしても、それはしょせん概略的なものにすぎまい。それに学校教育もだが、社会教育もまた求められる。「開拓」視点に基づく教育からは見えてこない先住民の固有の歴史が各地にあり、アイヌの集落・伝統・文化を和人がどのように破壊してきたかを、各地域で一般市民に対しても明示する努力が、不可欠である。
なるほどアイヌ語地名に関する説明板は、学校の周囲などに時に見られる。例えば、アイヌに対する給与地問題(前述)としてしばしば取り上げられる旭川の近文(ちかぶみ)にも、市教育委員会による「アイヌ語地名表示板」が設置されている。そこにはこう書いてある。
チカプニ 近文ちかぶみ/ Cikap-un-i(鳥 いる 所)
鹿さえも簡単につかんで飛ぶことができた大きな鳥が、嵐山〔近文の西の隣接地〕の石狩川沿いの崖がけにいたという伝承があり、そこから石狩川右岸は広くチカプニと呼ばれるようになりました。近文ちかぶみはこれを音訳したもの、鷹栖たかす〔近文・嵐山の北に隣接する自治体名〕はこれを意訳したものです。
この種の「アイヌ語地名表示板」は少なすぎる。市町村、字、地域、河川等に関して、もっと充実させるべきであろう。またそもそもこれは「地名表示板」であるため、書かれるべきもっと本質的なことが書かれないままになっている。いま重要なのは、「アイヌに関する歴史表示板」を各地に設置することである。
私は先日かつての「近文」(今日近文町と呼ばれる地域よりはるかに広い)地区を歩いてみたが、
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