エジプト人とイスラエル人のささやかな交情を提示した今日性
2018年09月04日
ニューヨーク・ブロードウェイで、今年のトニー賞受賞作や話題作の『アナと雪の女王』を見てきた。ミュージカル作品賞に輝いた『バンズ・ビジット』は同名のイスラエル映画(邦題『迷子の警察音楽隊』)をミュージカル化したものだが、極めて異色のトニー賞作品賞と言ってよい。
原作映画は、イスラエルを訪れたエジプトの警察音楽隊がバスを乗り間違えて無関係な辺鄙な町に着いてしまい、そこの人々と一晩の交流をする、といったストーリー。気まずい空気が漂い、ぎこちない会話が延々と続いて、劇的な出来事など何も起きない。
映画のミュージカル化が盛んな昨今とは言え、これだけ地味で寡黙な物語をミュージカルにしようと発想したことに、まずは驚く。しかし、バツの悪さ、うまく言えないもどかしさ、会話のズレなどは、ちょっとした距離感や誇張を加えることで笑いに転化するのだ。
バスは砂漠の中に孤絶した、退屈な日常に倦んだ町に到着する。警察音楽隊の一行が、場違いな町のカフェに出没した時の異物感と言ったら! カフェの従業員二人は唖然として言葉を発することができず、英語が話せる女主人のディナを奥から呼んでくる。
音楽隊が、「ここが間違った場所である」と説明された時の徒労感、「ここには文化など何もない」という状況の落差、「もはや今日は帰るバスがない」と知らされた絶望感がおかしい。ともあれディナの好意により、一行は複数の家庭で一宿一飯の恩恵を受ける。
隊長である中年のトゥフィークは離婚歴のあるディナの家に泊まる。朴訥として言葉少ななトゥフィークとディナの会話は弾まない。それでもディナは夕食に彼を連れ出し、アラブ音楽と映画の話題で共感を見出す。さらに公園のベンチで二人は気持ちを通わせ、トゥフィークは無理解から息子と妻を失ったことを告白する。この二人の誠実なやり取りにぬくもりがある。
音楽隊のサイモンらは、カフェの従業員イツィクの一家に厄介になる。ちょうど誕生日だった妻カマルは招かれざる客の到来に不機嫌で、気まずい雰囲気が覆う。だが、イツィクの義父がふと口ずさんだ「サマータイム」(ミュージカル『ポーギーとベス』のナンバー)に、みなが唱和して空気が和む。
さらにサイモンが自作した未完成のクラリネット曲を披露すると、イツィクの家族は興味を示す。妻のカマルは赤ん坊の世話を夫に押し付けて外出してしまったが、帰ってみると、サイモンのクラリネットが泣き続けていた赤ん坊を寝付かせており、夫婦は和解する。
一方、カフェのもう一人の若い従業員パピは、片思いの女性を含めた男女4人のダブルデートに誘われていたものの怖気づいており、女好きの音楽隊員カレードが同行することになる。デートの場でカレードはパピの隣に座り、彼女の抱き寄せ方をじかに伝授する。『シラノ・ド・ベルジュラック』の身体版パロディだ。
終盤でリプリーズ(反復)される「違った何か」という曲にメッセージが込められている。ディナはトゥフィークについて歌う、「見たことのない、何か違うものを彼は感じさせる」と。それが異文化、異質の人間に触れたということなのだ。
さらに幕切れで彼女は言う。「ある一日、エジプトの音楽隊が来た。別に重要なことではなかった」。しかし、彼女は何かが確実に変わったのだ。ディナの歌唱には身体の底から湧き出るパワーがあり、演じたカトリーナ・レンクはトニー賞主演女優賞を受賞した。
ラストナンバー「答えて」も特異だ。端役として、公衆電話の前で日がな一日、恋人からかかってくる電話を待ち続ける電話男が登場するが、なんとこの端役が重要なラストナンバーのリードボーカルを取るのだ。これは従来のミュージカルの文法から言えばありえない。
しかし、ここに作品の
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