ガルシア・マルケス『エレンディラ』を内田春菊さんと共に読む
2018年09月08日
内田春菊さんの漫画との出会いは、1984年、私が大学生の時だった。
それまで大島弓子の漫画で精神形成をしてきた私にとって、彼女の漫画は衝撃だった。そこに描かれていたのは、少女の主観によって現実を少し異化した世界(それは異国であったり、猫の世界であったり、デヴィッド・ボウイ似の少年が恋人だったりする)とは異質な、今、ここにある、リアルであった。
彼女がやわらかな線で描くメリハリの少ない女性の裸体は、男性の妄想でも、西欧の女性をモデルとしたものでもない、日本人の女性のリアルな身体だった。登場する女性たちの男性や恋愛に対するクールで、時に毒やユーモアを含んだ眼差しは、少女と女との間で自らの立ち位置に戸惑い、ともすれば少女の世界に逃げ込みがちな私に、ある解放感をもたらした。
だから、読書会「少女は本を読んで大人になる」を再開するにあたって、真っ先におよびしたいと思ったゲストのひとりが内田春菊さんだった。
内田さんは依頼のメールをお送りすると、すぐに快諾してくださった。
内田さんが選ばれた一冊は、ガルシア・マルケスの『エレンディラ』。メールには、「<少女>という設定にはあまり思い入れのない私ですが、娘や学生たちによく勧める本であれば」と書き添えてあった。
内田さんはマルケスの代表作『百年の孤独』に20歳の頃出会い、それからすっかりその作品世界に夢中になったそうだ。当時、内田さんはホステスをしていて、同伴したお客さんに「本を読むのが好きだ」と言った時に薦められたという。「そんな本との出会い方も嬉しかったし、読み難いといわれる分厚い一冊の本を全部読み切れたのも嬉しかった」と内田さんは語った。
実際、内田さんはものすごい読書家だ。読書会では、「内田春菊に影響を与えた10冊」もご紹介いただいたが、文学から医学書までその幅はとても広く、その多くが人に勧められて出会った本だった。本は人を介して伝わっていく。
「エレンディラ」は、正式なタイトルを「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」という。『百年の孤独』から5年後に書かれたこの中編は、少女エレンディラの成長譚である。
白鯨のような体躯の祖母と砂漠の邸宅に暮す14歳のエレンディラは、女中のようにこき使われ、ある晩、過労と睡眠不足で火事を出し、屋敷が全焼してしまう。無一物になった祖母は、エレンディラに売春をさせることで、膨大な損害を償わせようとする。強欲な祖母に連れられ、行く先々でテントを広げ、春をひさぐエレンディラの旅が始まる。
美しいエレンディラの噂は遠くまで拡がり、多くの客が訪れる。旅の一行はまるで隊商のようで、行く先々で見世物小屋が出たりする。マルケスが描くその光景は実に幻想的で、美しく、時に滑稽で、過剰だ。
とにかく数字が半端ない。実はエレンディラは、『百年の孤独』の主要人物アウレリョノ・ブエンディア大佐が若き日に恋におち、結婚を決意する娼婦として登場しているのだが(マルケスの個々の作品は、どこかで連環していることが多い)、「彼はその日64人目の客だった」とあるのだ。
こんな惨い目にあいながらも、エレンディラは祖母に対して従順だ。一度は教会に保護され、修道院で安寧を得るが、結局祖母のもとに戻ることを選んでしまう。それは「生まれた時からかけられた呪術」のように、虐待にあった子供が母親から離れられない現象と似ている。
小説ではエレンディラの内面はほとんど語られない。しかし少しずつ、彼女は学び、変わっていく。そして彼女に恋する美少年をけしかけて、祖母を殺させ、彼を残したまま、飛び出していくのだ。
そのラストが素晴らしい。
彼女は、風に逆らいながら鹿よりも速く駆けていた。この世の者のいかなる声にも彼女を引きとめる力はなかった。彼女は後ろを振り向かずに、熱気の立ちのぼる塩湖や滑石の火口、眠っているような水上の集落などを駆け抜けていった。やがて自然の知恵に満ちあふれた海は尽きて、砂漠が始まった。それでも金の延べ棒のチョッキを抱いた彼女は、荒れくるう風や永遠に変わらない落日の彼方をめざして走りつづけた。その後の消息は杳としてわからない。彼女の不運の証しとなるものもなにひとつ残っていない。
「エレンディラ」を読んだとき、私は内田さんの小説『ファザーファッカー』(文藝春秋刊、今秋再版予定)を思った。
『ファザーファッカー』は、内田さんが34歳の時に発表した初の小説である。実母の協力のもと養父による性的虐待に遇い、少女期をもたないまま16歳で家を出るまでの内田さんの体験を基にしている。発表されるや、70万部を超えるベストセラーとなり、直木賞候補にも選ばれ、ドゥマゴ文学賞を受賞、映画化もされた。
とても重い自伝的小説だが、その語り口は実に淡々として、私たちはそこに書かれてあることに驚愕しながらも、それを受け容れ、一気に読めてしまうのだ。
内田さんにとって、『ファザーファッカー』は「遺書」のようなものだったという。実母、家族への訣別の書。それを書き上げるのに、内田さんは27歳から7年の歳月を要した。書くことは、過去の辛い体験を再体験することであり、どれほど大変なことであったかと思う。そして、24歳で漫画家としてデビューを果たし、「南くんの恋人」などヒット作を連発、すでに世に名の出ていた内田さんにとって、相当の覚悟と勇気を要することだったろう。
でも、同じような苦しみを抱えている人たちがいるはずだ、と内田さんは小説を発表した。1993年、現在の#Me Tooにさきがけること四半世紀も前のことである。
私たちの読書会は、途中、本やゲストにちなんだおむすびをいただきながらの休憩をはさんで、後半はゲストとの質疑応答や参加者とのワークショップを行う。
「今回も来場者が参加できるようなプログラムを」という私たちのリクエストに対し、内田さんの提案は、「買春を恋と思う男、またはセクハラを恋と思い込む男について、自分が体験したこと、あるいは聞いた話を書いてください。思い当たることがなければ白紙で」というものだった。
「エレンディラ」の中で、買春を「恋」と表現するシーンがある。
「恋は、飯と同じくらい大切なもんだよ」
内田さんは参加者に問いかける。果たして、「買春」という圧倒的な力関係において、恋愛は成立するのだろうか。セクハラは恋愛感情、好意から発しているから、許されるのだろうか。
「養父の行為は、私にとっては苦痛でしかなく、本当に嫌だった。でも、振り返ると、養父は、私に恋をしていたのではないか、と思うのです」と内田さんは語った。
いわゆるセクハラの問題が面倒なのは、「する側」に悪意がない、その自覚がないことが多いからだ。しかし、それによって「される側」が受けた心や体の傷は深く残る。
一方、「セクハラされるのは、女性として魅力があるからだ」と言われることも、逆手にとって「女を武器」にすることもある。「女子力」も、そのヴァリエーションであると言えるかもしれない。
#Me Too運動に抗議して、女優カトリーヌ・ドヌーブらが「『性の自由』とは切っても切り離せない『口説く自由』」を主張して、謝罪に追い込まれるということもあった。
話は、表現の自由や人間の本質にも及び、ことほど左様に、セクハラ問題は複雑だ。連日のようにセクハラやパワハラの告発が相次ぎながら、有耶無耶になって霧消するこの国で、怒りを通り越して呆(あき)れながら思うのは、男女、あるいは人と人を隔てる溝の深さであり、関係性の歪(いびつ)さ、コミュニケーションの成り立ち難さだ。
内田さんは、かつて執筆をお願いした『子どもと話すマッチョってなに?』(クレマンティーヌ・オータン著、現代企画室刊)の「あとがき」で、「男の機嫌を取ってないとうまく暮らしていけないように社会は出来ています。男は歓迎されるが、それ以外は男に気に入られるようにしなければねって感じが優勢です。そしてそういうことを考えたこともない人が多い国だからこそ、『マッチョ』って言葉もぼんやりするだけ」と書いている。
読書会で驚いたのは、とても短い時間であったにもかかわらず、参加者から多くの「体験談」が集まったことだ。無記名を条件にしてはいたものの、ほとんど集まらないのではないか、と私たちは思っていた。中には、「墓までもっていこうと思っていた」と書いてくれた人もいた。
こんなにも多くの女性が被害にあっていること、そして、こんなにも言葉を発したい、誰かと共有したいと思っている女性たちがいることに心を強く揺さぶられた。
内田さんの率直で真摯(しんし)な言葉と行動が彼女たちを促す場を目の当たりにして、#Me Tooがなぜこれほどの共感をもって世界中に拡(ひろ)がっていったのか、その理由がわかったような気がした。
今回、『ファザーファッカー』を読み返して、その最後のシーンが「エレンディラ」のラストを彷彿とさせると言うと、内田さんは、まったく意識していなかったと答えた。
苛酷(かこく)な少女の成長譚の最後が重なり合うのは、必然かもしれない。
家出の決心は突然やって来た。夜中にぼんやりひとりで考えごとをしていたときに、
「そうだ。私は別にここにいなくてもいいんだ」
という思いがいきなり頭の中にひらめいた。
そしてそれは、考えれば考えるほど至極もっともなことに思えてきた。
机の上には今月の授業料3600円の入った袋が置いてある。(略)その3600円をポケットに入れ、養父が一番嫌っている黒のマンボズボンに着替えた私は、小さな布のバッグに身の回りの物だけを詰めた。(略)それから忍び足で養父の引き出しのところまで行き、あのさんざんいびられるネタになっていた漫画のノートを抜いて、バッグに入れた。(略)
表は雨だった。午前四時くらいだったろうか。縁側のガラス戸を音のしないようにそろそろと開け、私は外に出た。初めて本当に、「外」という感じがした。
雨はそれほどでもなかった。道は濡れていたが、心地好い細かいシャワーのようだった。私は自由になるんだ、と思うと胸がときめいた。確かにはしゃいでいた。私は小躍りしながらいつもの坂道を降りて行った。
私が好きなのは、「漫画のノートを抜いて」というところだ。内田さんはどんなに虐待され、禁止されても、漫画を描き続けた。そして、漫画家になった。
漫画家は、昔も今も少女たちの憧れの職業で、現在放映中のNHK朝ドラ「半分、青い」の主人公・鈴愛(すずめ)も漫画家を志し、それを果すが、やがて挫折する、というのが前半のストーリーであった。
ひたすら紙に向ってペンを走らせ、カケアミやベタを繰り返す主人公らアシスタントの姿や、ネーム、トーン等々の漫画用語が出てくると、一時、漫画家に憧れたことのある私は、胸がきゅーんとなる。
「なにがあっても、すべてあの時のときめきからはじまっていることを忘れぬものか」
これは、主人公が漫画家を志すきっかけとなった『いつもポケットにショパン』(ドラマでは秋風羽織、実際はくらもちふさこ著)の中に出てくる言葉だ。内田さんはきっと、この"ときめき″を手放さず、漫画家になった人なのだと思う。そして、今も描き続けている。
「半分、青い」の鈴愛は、こうも言う。普通の人生を歩みたいと、漫画家をやめていく親友に向って述べたてる言葉だ。
「漫画を描くって、物語を作るって、人を感動させるって、人生を超えてる」
内田さんは、漫画と小説というふたつのメディアで表現し続ける。がんを発病して人工肛門になると、それすらも"ネタ″にして「がんまんが」を描いてしまう。今は「ファザーファッカー」を母親の一人称で書き直した小説を準備中だ(今秋発行予定)。その旺盛な創作活動はとどまることがない。
自分にとって、「描/書く」ことは「どうしようもないこと、人生からひっぺがせないこと」と内田さんは語った。人生を超えてしまう恍惚(こうこつ)と残酷に向き合いながら、内田さんは今日も描/書き続ける。
そして、そこから紡ぎだされる物語は、私たちを絶えず励まし続けるのだ。
次回の読書会は、ゲストにフォトジャーナリストの安田菜津紀さんをお迎えして、9月25日(火)19時よりクラブヒルサイドサロン(代官山)で開催します。テーマは「<遠い地>へと向かう想像力 『100万回生きたねこ』から『ぼくがラーメンたべてるとき』へ」。ご参加をお待ちしています。
詳細は、http://hillsideterrace.com/events/4887/
(撮影:吉永考宏)
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