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必見!『女と男の観覧車』 アレンについての補遺

警句めいたセリフやジョークのキレ、役者アレンの滑稽さ

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

『女と男の観覧車』拡大『女と男の観覧車』の公式サイトより

 今回は前稿、前々稿で触れえなかった『女と男の観覧車』についてのポイント、およびウディ・アレン映画の特色の一端を、例によって断章形式でコメントしたい。

*一つの場面内で照明が変わるところや、アレン好みの長回しによる会話シーンの<演劇性>については、劇作家ケラリーノ・サンドロヴィッチのエッセイ、「ウディ・アレン、演劇への急接近」(パンフレット)が興味深く論じている。もっとも、あくまでカメラで撮影されたのち、編集やミキシングなどの作業を経て制作される以上、「演劇的な映画」といえども、<舞台>とは異なる<フィルム>であることに変わりはない(隣接する両ジャンルの相互関係は重要な論点だが)。

*口達者なミッキー/ジャスティン・ティンバーレイクの、憎めないキャラだが、どこか胡散くさく軽薄な感じもユニークだ。またキャロライナ/ジュノー・テンプルの、ツルリとした人形のような影の薄さも、ケイト・ウィンスレットの存在感を引き立てる見事な配役。

*前作『カフェ・ソサエティ』の撮影もヴィットリオ・ストラーロだが、30年代ハリウッドを舞台にしたこの映画でも、彼独特のまろやかな色感、あるいは陰影の深い画調は目を奪うが、『女と男の観覧車』のそれに比べると、人工的なキッチュ感はいくぶん抑えられている。

名セリフの数々

*いうまでもなく、アレン映画の面白さのひとつは――脚本家としての彼の才能に関わることだが――、皮肉っぽい警句めいたセリフや、機知に富んだジョークのキレにある。本作でもたとえば、「愛はあるのに相手がいない」(ジニーの独白)、「ジニーは期待の海で溺れている、ロープを投げればすぐにつかむ」(ミッキーの観客へのコメント)、などなど。こうしたセリフをもっと洗練すれば、トリュフォーらと並ぶ仏ヌーヴェル・ヴァーグの代表格の一人、エリック・ロメール監督の恋愛喜劇のセリフに近いものになろう(芝山幹郎氏によれば、ロメールとアレンの類似はすでに何度も指摘されており、またアレンのエロティック・コメディは、その元祖たるエルンスト・ルビッチ<1892-1947>の艶笑譚との関連も指摘されているという<「芝山幹郎×渡部幻:そのときどきのウディ・アレン」、『KWADE夢ムック/文藝別冊 ウディ・アレン』、河出書房新社、2017>。

 また、ロマンティック・コメディの傑作『マンハッタン』(1979)で主人公のアレンは、「ぼくは不倫がいいとは思っていない。人は一生添い遂げるべきだと思うよ。鳩とかカトリック教徒みたいにね」、と名セリフを吐くし、『アニー・ホール』(1977)でもやはり主人公アレンは、ドラッグを使ってメイク・ラブするシェリー・デュバルに言う――「オーガズムでは人生の空虚を満たせない」。あるいは『マジック・イン・ムーンライト』(2014)のマジシャン、コリン・ファースの箴言風のセリフ、「すべてインチキだよ、交霊会もバチカンも何もかも」。あるいはさらに、おそらくアレンの最高傑作の1本であろう、ショービジネスのしがない芸人たちへの愛を、スラップスティックなギャグを交えて活写した『ブロードウェイのダニー・ローズ』(1984)では、負け犬の芸能マネージャーのアレンが、カムバック寸前の歌手の浮気相手、ミア・ファローにこう言う――「彼〔くだんの歌手〕は誠実な男だ。浮気の相手は君一人、浮気は一度に一人と決めている」。なお、心温まる本作のファローは、お得意のか弱い内向的なキャラクターを振り捨て、髪をブロンドに染め大きなサングラスをかけた――姉御肌で義理人情に厚い――マフィアの元妻を好演している。ドラマとコメディのバランスが絶妙に釣り合い、また<時間との競争>がサスペンフルなこの映画については、稿を改めて論じたい。

笑いを誘うアレン=心配性の男

*役者としてのアレンは、しばしば過度の心配性の男を自作で演じており、笑いを誘う。たとえば、ヒポコンデリー/心気症――自分が重病にかかっていると思いこむ恐怖症――の男(名作『ハンナとその姉妹』<1986>)、エレベーター恐怖症(閉所恐怖症)の男(『マンハッタン殺人ミステリー』<1993>)など(後者に対しては、エレベーター嫌いの私は感情移入してしまい、笑えなかったが)。さらに『僕のニューヨークライフ』(2003)で主人公の青年の指南役に扮するアレンの、死の恐怖におびえ銃で武装する偏執狂的なサバイバルマニアぶりもおかしい。

前述の<ボヴァリズム>は、実は『僕のニューヨークライフ』で、ヒロインのクリスティーナ・リッチの母親の恋愛妄想を説明する“病”として言及されるが、リッチ自身、快活だが男を振りまわす、気まぐれな「カミカゼ・ウーマン」の典型だ。彼女いわく、「運命の人と熱烈な恋をするのが夢よ。最後は捨てられてもいい。出会いはまだだけど」。アレン的「カミカゼ・ウーマン」といえば、これまたロメール映画を粗っぽくしたような、『それでも恋するバルセロナ』(2008、快作)の情緒不安定で気まぐれなペネロペ・クルスが、半端なくおかしい。

*50年代アメリカが時代設定の近年の傑作としては、トッド・ヘインズ『キャロル』、ティム・バートン『ビッグ・アイズ』があげられるが、この2本については、2016/04/12同/04/13同/04/192015/03/10、および同/03/11の本欄を参照されたい。

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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