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必見!『つかのまの愛人』――簡潔で鮮烈な恋愛劇

説明を省いた意表を突く場面、一人の男をめぐる二人の女のライバル関係……

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

『つかのまの愛人』拡大『つかのまの愛人』(フィリップ・ガレル監督)の公式サイトより

 フィリップ・ガレル監督(仏、1948~)は、恋愛のもたらす孤独や不安や嫉妬といった負の感情を、ひたすら内省的、かつメランコリックに描きつづけたが、それゆえ彼の映画は、非凡な力を宿しながらも、重苦しさ、沈鬱さのなかで空転してゆく嫌いがあった。いきおいガレル映画の登場人物は、時に苦行僧のようにすら見えた。

 だが、2015年の『パリ、恋人たちの影』(モノクロ)で、ガレルの作風はがらりと変わる。モチーフは相変わらず、ガレル的な恋愛関係のもつれではあるが、その描法がおそろしく簡潔になったのだ。つまり、登場する男女は恋愛にまつわる何らかの鬱屈を抱え込んでいるが、その鬱屈の表現からは、かつてのような過剰さが思い切り削(そ)ぎ落され、結果『パリ――』は、シンプルで軽妙なタッチを獲得し(上映時間73分)、と同時に、恋人たちの情動は、それ以前の作品を上回る強度で表出されるに至ったのだ(『パリ、恋人たちの影』、およびガレルの映画的キャリアについては、2017/02/07同/02/13の本欄参照)。

冴える<寸描>

 今回取り上げるのは、『パリ――』に続いてガレルが撮った『つかのまの愛人』(2017)。前作と同じく簡潔で鮮烈なタッチで、父・娘・父の恋人をめぐる奇妙な三角関係を描く傑作である(2017、76分、モノクロ)。

――教え子のアリアーヌ(ルイーズ・シュヴィヨット)と同棲している大学の哲学教師ジル(エリック・カラヴァカ)の家に、ある日恋人のマテオ(ポール・トゥーカン)に別れを告げられた彼の娘、ジャンヌ(エステール・ガレル:ガレルの愛娘)が転がり込む。同い年のアリアーヌとジャンヌは、次第に打ち解けていき、恋愛感情や性的欲求について、秘密を打ち明け合うように語るが、彼女らはおのずと、共犯者めいた関係になる。しかし、やがて彼女らの間には、友情だけではない、ライバル心、嫉妬といった感情も生まれる。そしてジャンヌの自殺未遂、ジャンヌの友人で放蕩者のステファン(フェリックス・キシル)とアリアーヌの出会い、ジャンヌが街の売店でポルノ雑誌の表紙を飾るアリアーヌの写真を発見するくだり、ジャンヌの元恋人マテオに会いに行くアリアーヌの不可解な行動、などなどが、観客を不意打ちするように描かれる……。

 だが、それらの場面が観客の意表を突くのは、プロット自体の意外性もさることながら、何より、それらを描くガレルの演出が、とりもなおさず簡潔だからだ。たとえば冒頭、大学構内の階段をアリアーヌが足早に下りていき、少し遅れてジルが階段を上っていく、と思うまに、二人は教員用トイレに駆け込み立ったままの姿で情交する――という、息せき切ったような素早い展開、切れ味鋭い編集のリズムはどうだろう。

 つまり、階段の上り下り→二人のトイレでのセックス、というアクション/行為の畳みかけで、いわばシチュエーション――ジルとアリアーヌの恋愛関係――の只中(ただなか)から、いきなり映画が始まるのだ。ジルとアリアーヌがどのように出会い知り合ったか、という起承転結の「起」の描写も、あるいは彼と彼女の心理の説明も、ガレルはすべてすっ飛ばし、しかも二人の間柄を、的確に寸描してしまうのだ。私たちは不意を突かれながらも、二人の関係をすっと納得させられるわけだが、なんとも見事な導入部である。

 あるいは、ジャンヌの自殺未遂の場面でもやはり、ガレルの<寸描>は冴える ・・・ログインして読む
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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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