梅津時比古(うめづ・ときひこ) 桐朋学園大学学長
1948年、神奈川県鎌倉市生まれ。早稲田大学第一文学部西洋哲学科卒。現在、桐朋学園大学学長、毎日新聞学芸部特別編集委員。著書『<セロ弾きのゴーシュ>の音楽論』で第54回芸術選奨文部科学大臣賞および第19回岩手日報文学賞賢治賞。2010年、「音楽評論に新しい世界を開いた」として日本記者クラブ賞。『冬の旅 24の象徴の森へ』、『死せる菩提樹 シューベルト《冬の旅》と幻想』など著書多数。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
「菩提樹」を含む名歌曲集の奥に潜むものは? シューベルトとは何者か?
「歌曲の王」と称され、31歳の短い生涯に600曲にものぼる歌曲を作曲したフランツ・シューベルト(1797~1828)。彼がウィルヘルム・ミュラーの「ヴァルトホルン吹きの遺稿からの詩集第2巻」(1824年デッサウで出版)に収められた24の詩に曲を付け、1828年に作曲を完成させた歌曲集「冬の旅」は、シューベルトの代表作のひとつとして知られる。
有名な「菩提樹」を含む連作歌曲集「冬の旅」の楽曲や歌詞、その背後にあるさまざまな要素を丹念に読み解き、10年のときを経て『死せる菩提樹 シューベルト《冬の旅》と幻想』を著したのは、桐朋学園大学学長、早稲田大学講師、毎日新聞学芸部特別編集委員の梅津時比古さん。
今回はその著作を中心にシューベルトの天才性、作曲家が生きた時代、「冬の旅」の奥に潜むものなどについて、WEBRONZA編集長の吉田貴文さんと対談を行った。(構成・伊熊よし子)
――まず、『死せる菩提樹』を読んだ感想から聞かせてください。
吉田貴文(以下、吉田) 私の母はイタリアやフランス、ドイツ歌曲を専門としている歌手でしたので、子どものころから声楽曲にはかなり親しんできました。よく歌曲のリサイタルに連れて行ってもらいました。
シューベルトの「冬の旅」は中学生のころに初めて聴き、最初は長くて退屈な曲だなあと思っていましたが(笑)、高校生になったころには録音を聴いたり、歌詞をじっくり読み込んだりすることで徐々に作品のよさが理解できるようになりました。
シューベルトは美しい旋律の曲が多いのですが、「冬の旅」は第1曲の「おやすみ」から最後の「辻音楽師」にいたるまで、ただ美しい曲ではなく、非常に叙事詩的で、心に残る曲集となっています。ただし、これまで「冬の旅」をこのように研究・分析した本を読んだことはなかったため、今回は非常に興味深く拝読しました。文字で「冬の旅」を聴くというのは初めての経験ですので。
私はこれまで「菩提樹」はきれいな曲だなと思っていましたが、この本には、曲の背後に潜むある種のぞっとするもの、樹はやがて枯れていくということも含めて描かれている。いろんな意味で発見がありました。私はデーィートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)とダニエル・バレンボイム(ピアノ)のCDを聴き直しながら本を読み、さまざまなことを勉強しました。
梅津時比古(以下、梅津) 中学生のころに初めて聴いたのは、どの演奏家ですか。
吉田 初めて買ったレコードはフィッシャー=ディースカウだったと思いますが、実演は誰だったか、よく覚えていません。ずいぶんいろんな歌手のナマの演奏を聴きました。
梅津 でも、中学生のころから「冬の旅」を聴いているというのはすごいですね。
吉田 当時、友人に「冬の旅」が大好きで、リコーダーで吹いている人がいました。歌だから吹けるんですよ。私もシューベルトはとても好きな作曲家です。本当の意味の天才だと思います。彼のまわりに若い友人が集まって音楽を聴いたシューベルティアーデは、完全にシューベルトの才能に惹かれたのだと思います。シューベルトはいわゆるスターに近い存在で、それまで宮廷で行われていた演奏会をベートーヴェンに継いで市民の間に根付かせた。新しい時代の天才だったと思います。
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