90年の『ちびまる子ちゃん』とたまと『ガロ』
さくらももこのマニアックな趣味とメジャーシーンで生き続ける覚悟
松谷創一郎 ライター、リサーチャー
『ちびまる子ちゃん』のこうした“隠し味”は、さくらももこのマニアックな趣味から導かれたものだ。

一時代を画した雑誌『ガロ』=1997年8月号
よく知られているように、登場するキャラクターの名前はマイナーなマンガ誌『ガロ』(青林堂)で活動をしていたマンガ家から取られている。花輪くんは花輪和一、丸尾くんは丸尾末広、みぎわさんはみぎわパンである。当時の『ガロ』は、白土三平が『カムイ伝』を連載していた60年代の面影はまったくなく、実験的な作品が並ぶアンダーグラウンドな雑誌だった。現在タレントとして活躍する蛭子能収や杉作J太郎などの奇っ怪な作品が毎月掲載されており、おそらく部数は1万部もなかったのではないか。
「国民的」と評されるアニメが、なぜかそんなマイナー文化と繋がっていたのだ。『ちびまる子ちゃん』を通してこの丸尾末広や花輪和一を知ったひとは、おそらく仰天したことだろう。彼らの作品は、エログロとナンセンスだからだ。
こうした『ガロ』から影響を受けたであろう表現も、さくらももこ作品ではチラホラ見受けられる。その筆頭はやはり『神のちから』や『COJI-COJI』だろう。
たとえば『COJI-COJI』は、「メルヘンの国」を舞台とはしているものの、主人公のコジコジを中心に奇妙なキャラクターによるシュールな物語が展開される。たとえば1巻の「学級劇 ちびまる子ちゃん」の回では、登場人物たちが『ちびまる子ちゃん』の劇をやるというもの。まる子に何回も会ったことがあったと言うコジコジは、彼女のことをこう評す。
「あの人バカだけど すこしはいい人だよ」
一事が万事この調子なのである。大ヒットした『ちびまる子ちゃん』に対し、そこでできない表現を『COJI-COJI』で放出させていたようにも思える。
『紅白歌合戦』の奇妙な光景
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