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[書評]『中井久夫との対話』

村澤真保呂、村澤和多里 著

渡部朝香 出版社社員

交流のなかに息づく「こころ」

 伊丹十三はかつて、『モノンクル』(朝日出版社)という雑誌を刊行していた。精神分析をテーマに編まれたそれは、「ボクのおじさん」という意味の誌名のとおりに、親とは違う風通しのよい関係、話し言葉で、同時代の課題を捉えようとするものだった。

 本書を手にし、その『モノンクル』のことを思い出していた。

『中井久夫との対話――生命、こころ、世界』(村澤真保呂、村澤和多里 著 河出書房新社)定価:本体2500円+税拡大『中井久夫との対話――生命、こころ、世界』(村澤真保呂、村澤和多里 著 河出書房新社) 定価:本体2500円+税
 この本は、精神科医の中井久夫氏と父親が親友で、幼いころから「ナカイのおじさん」に近しい関係にあった兄弟が、長じて社会思想史と臨床心理学の研究者となり、氏との交流をふまえて書いたという特異な成り立ちをもつ。精神医学を専門としない著者たちは、中井氏を精神科医のみならず思想家として、より広い領域で再評価し、新たに継承することをめざし、この本に取り組んだ。

 著者兄弟と中井氏との私的な会話の断片から、氏の本質を掬うようにして編まれたのが、「第一部 中井久夫との対話」である。30頁に満たない紙幅ながら、著者たちが氏の著作を丹念に読みこんだうえでの問答は、「バカモノメ」「まだまだ勉強が足りないね」という言葉がかけられる率直さと温かさのなか、氏の思想の核心を導きだしている。

 「こころ」という言葉を意図的に使わないように努めてきたという中井氏は、こう話す。

 「『こころ』というのはその人を取り巻く(治療者も含む)無数の人や物と交流のなかで息づいているものだと思うんです」「その人の住んでいる世界とか、むしろ宇宙と呼んだほうがいいんだろうけれど、そういうものがその人のうちに局在化したもの、と言うべきかもしれない。そのようなかたちでしか『こころ』は生命あるものとしては存在できないんじゃないかと思うんです」(第一部)

 その「宇宙」を語る氏の喩えは、とても豊かだ。患者の成長は、ゆっくりと何かが溜まってはじけるオリヅルランのようなもの、患者の「内なる自然」の回復は、心の中にひとしずくの水をみつけて、泉、流れ、大河にまでなるのを見守ること、等。

 中井氏のイメージの具体性や鮮やかさからは、氏の著作に自身による魅力的な図解が多く添えられていることや、氏が翻訳者として詩集を含む精神医学以外の本も多く世に送り出してきたことなどが思い起こされる。私が最初に手にした氏の本は、阪神淡路大震災からわずか2か月で刊行された『1995年1月・神戸』(みすず書房)だったが、その本の表紙や見返しにも、著者の手による絵や地図が入っていた。

 『1995年…』以降、私はだいぶ遅れて中井氏が分裂病(現在は統合失調症)研究の大家であることを知り、著作のいくつかを手にとるようになる。そのころ――90年代半ばよりずっと以前から、「分裂病」は現代を読み解く鍵として、氏のような精神科医だけでなく、越境的に盛んに論じられていた。「分裂病」が、治療・研究対象として浮上した経緯も含め、本書「第二部 中井久夫の思想」では、ウィルス研究から精神医学へと転じた氏のあゆみや著作をたどりながら、結核を補助線に精神医学史が素描されていて、興味深い。

 第二部を通して著者たちは、歴史的な背景や他の研究者・思想家を援用しながら、中井氏の思想の一貫性や可能性を、体系化を退けつつ丁寧に論じていく。あるいはそれは、中井氏の思想を援用しての、著者たちによる思索の挑戦とも読める。そこには、氏の仕事を「徴候」――未来への指針、あるいは未来の思想として読み解くという意志がこめられている。「『こころ』と『世界』をともに『生命あるもの』として捉え、崩壊したそれらの関係をふたたび回復させることに正面から取り組んだ中井の仕事は、現在の私たちが崩壊しつつある『こころ』と『世界』をふたたび『生命あるもの』として取り戻すために、きわめて重要な参照点となるはずである」(第二部第七章)のだと。

 著者たちには、中井氏仕込みの「実験精神」が生きているに違いない。彼らが中井氏の大きな影響のもとに育ってきたことは、最後の「中井さんと私たち――あとがきに代えて」で詳述されている。この一文は、一篇の友情物語でもあった。

 著者たちの父と中井氏は、生まれた日が2日しか違わない。ともに京大入学時の健康診断で結核に罹患していることが判明し、療養休学を経た1年後、大学の診療所で出会い、意気投合する。一方がトイレに入っていても、そのドアの前に座り込んで議論していたという二人。その友情は大学卒業後も続き、著者たちの父が亡くなる前には、中井氏は頻繁に病床を見舞う。友とその家族とのエピソードから伝わる中井氏の人柄に、魅了される。中井氏自身が言うように、氏の「こころ」も、「無数の人や物と交流のなかで息づいている」のだろう。

 はたして、私自身の「こころ」も、さまざまな交流、影響のもとに息づいている。

 この本の著者の一人、村澤(和多里)くんとは、大学1年の秋、初学者向けのゼミで出会った。彼に誘われて小さな読書会に参加し、卒業近くまで続いたその集まりで一緒に読んだ本、彼との対話は、いまの私のたいせつな部分を作っている。当時から、読み、考え、話し、書くことに目を輝かせていた村澤くんに、読者として再会できたことが、心からうれしい。

 この本を読みながら、大学についても考えさせられた。経済的な効率性や合理性と一線を画し、自由と対話を尊ぶ場があり、人間にとってほんとうにだいじなことを考える人たちがいることは、なんてかけがえのないことだろう。

 本書の終わり近くでは、著者二人が、勤務先の大学が改革のさなかにあり、近年の大学業務の激しい現状とあいまって、執筆のための時間を探すのに非常に苦労したと明かされている。中井氏の仕事を次世代に継承し、人の「こころ」を「生命あるもの」として取り戻すために、私たちが生きる時代の課題は多い。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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*三省堂書店×WEBRONZA 「神保町の匠」とは?
年間2万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

筆者

渡部朝香

渡部朝香(わたなべ・ともか) 出版社社員

1973年、神奈川県生まれ。1996年に現在の勤務先の出版社に入社し、書店営業、編集、営業(内勤事務)を経て、2014年夏より単行本の編集部の所属に。担当した本は、祖父江慎ブックデザイン『心』、栗原康『村に火をつけ、白痴になれ』、石内都『フリーダ 愛と痛み』、ブレイディみかこ『ヨーロッパ・コーリング』、福嶋伸洋『リオデジャネイロに降る雪』、佐藤正明『まんが政治vs.政治まんが』、赤坂憲雄『性食考』など。