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[書評]『沸騰インド』

貫洞欣寛 著

堀 由紀子 編集者・KADOKAWA

インドが気づかせてくれたこと

 最近、インドのニュースが多くなったような気がしていた。首相のモディという名前もちょくちょく耳にする。とはいえ、これまでインドとあまり接点もなく、ほとんど興味を持てないでいた。IT立国、映画大国、厳しいカースト制度……私が持っていたインドのイメージといえば、情けないがこのような感じだった。

 インドになにか起きているのか。そんな小さな動機で読んだのが本書だ。内容はおどろきの連続で、自分が持っていたイメージがいかにアップデートしていなかったにも気づかされた。

[書評]『沸騰インド――超大国をめざす巨象と日本』(貫洞欣寛 著 白水社)定価:本体2200円+税拡大[書評]『沸騰インド――超大国をめざす巨象と日本』(貫洞欣寛 著 白水社) 定価:本体2200円+税
 たとえば本書に記されたインドの一面を紹介したい。

・経済での急成長が著しい。成長率は現在7%超。このまま行けば、10年ほどで日本のGDP(国内総生産)を追い抜くと予測される
・首都デリーの郊外には「インドのドバイ」といわれる複合産業都市、グルガオンが発展中。日系企業も多く進出
・カースト制度を含む、いかなる差別も憲法は禁止している
・しかし、カーストは今も人々の暮らしの中に深く入り込んでおり、カーストの順位をめぐってデモが起きている
・慢性的な電力不足。首都デリーでもほぼ毎日停電が起き、電気のない暮らしをしている人が2億4000万人もいる
・核兵器を保持し、実態をほとんど明かしていない。日本はその国と原子力協定を結んだ
・貧富の差が激しく、教育への影響も大きい。北部には識字率が約63%の州もある

 このように記してはみたものの、本書でインドという国の広さと深さを知って「なんと言葉をつなごうか」と途方にくれてしまう。著者自身、「インドを一言でくくるとすれば『多様性』という言葉しか思い浮かばない」(263ページ)といっているが、そのような社会を、新幹線やメトロの輸出など日本とインドの関係からスタートし、モディ首相の素顔、したたかな外交、分断社会の今、とさまざまな話題で展開。ダイナミックに変貌するインドの外枠に触れさせてくれる。

 著者の貫洞欣寛(かんどうよしひろ)さんは、元朝日新聞のニューデリー支局長として2014年に赴任し、2016年に退社後はフリーのジャーナリストとしてインドなどを取材しているという。

 本書を読み終えてしばらくたち、頭の中に浮かんでいるのは、「どんな社会が理想なのだろう」という大きな問いだった。漠然としすぎていて恥ずかしいのだが、そんなことを考えている。

 ナショナリズムの台頭、軍事費の拡大、台頭する中国との綱引き……インドが直面している問題は、日本が抱えるそれらととても似ている。

 そのなかで教育格差の固定について書かれた章は、「社会」を考える大きなヒントをくれる。

 教育格差の固定については日本でもさまざまに指摘されており、たとえば東大生の54%超は親の世帯収入が950万円以上であり、一般層での22%と比べてもその差は明らかになっている。一方で、奨学金の返済に悩みつづける学生たちもいる。

 インドの教育格差の一例として挙げられているのが英語だ。

 多民族、多言語国家のインドでは英語が半公用語となっていて、英語が使えるかどうかで進学や就職の選択肢がかなり限られてしまう。親たちは子どもたちに幼少期から英語を身につけさせたいと必死だが、公立校では英語を話せる教員がいないことも多く、小学校から私立校に入れざるをえないという。

 しかし当然、私立の学費が払えない家庭もある。独学で努力し、有名大学に行く例も紹介されていたが、限られた例だと思う。高校では数学を教えられる先生がおらず授業がないこともあるというし、夜、電気もつかない地区も多いのだ。そのなかで勉強し続けるというのは並大抵ではない。

 そういった社会構造の中で、インドにはその格差をなんとかしようと奮闘する「文化」がある、という点に私は感銘を受けた。

 一例として、貧しい子どもたちのための私塾を立ち上げたアナンド・クマールという人物が紹介されている。貧しかったが非常に優秀だったクマールは、ケンブリッジ大学に合格するも、学費や渡航費が払えず進学を諦めた過去を持つ。

 その後、数学専門の私塾を立ち上げたクマールは、「数学に才能がある」「貧しい」という2条件で子どもを選抜。授業料も滞在費も無償で1年間、鍛え上げ、100倍以上の倍率があり「世界最難関の入試」といわれる名門大学IIT(インド工科大学)に9割以上合格させているという。

 著者はこう記している。

 インドは日本とは比べものにならないほどの厚みを持つNGOとシンクタンクの伝統があり、地域社会には助け合いの精神も残る。多くの人々が社会の改善のために日々頭を悩まし、汗を流しているところも、高く尊敬すべき点だと思う。(264ページ)

 経済成長と格差、それは双子のようなものなのかもしれないが、巨大な国を支えているのはこういった一人ひとりの思いや行動なのだろう。

 経済成長に沸騰するインドの姿に、「知らないことを知る」読書の楽しさを感じながらも、「どんな社会がいいのか」「個人に何ができるのか」と根本的な問いについて考えさせてくれるきっかけになった。そんな一冊に出合えてうれしい。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

*三省堂書店×WEBRONZA 「神保町の匠」とは?
年間2万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

筆者

堀 由紀子

堀 由紀子(ほり・ゆきこ) 編集者・KADOKAWA

1975年、山梨県生まれ。1999年より角川書店で、主婦向けのテレビ誌「しってる?」、スポーツ誌「SPORT Yeah!」、都市情報誌「横浜ウォーカー」の編集に携わる。2012年より書籍編集に。担当した書籍は、柳田国男復刊シリーズ(角川ソフィア文庫)、黒田勝弘『隣国への足跡』、望月衣塑子『武器輸出と日本企業』、室井尚『文系学部解体』、柴田一成『とんでもなくおもしろい宇宙』など。ハードボイルド小説と自然科学系の本が好き。