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人騒がせな名画にひそむ真実

高瀨毅 ノンフィクション作家・ジャーナリスト

欧米の人たちを相手に国際的な仕事をする日本人が増えた。取引相手との会合やパーティー、私的な交流の中で、欧米人との付き合いが深まる。大きなビジネスに携わるような人ほど、「教養」として西洋美術の知識を身につけている。欧米はキリスト教徒も多い。西洋美術はキリスト教の歴史とも深く関わり、絵画の中にも聖書の物語が直接的に描かれたり、散りばめられたりしている。欧米人と仕事をする上で、西洋美術史は身につけるべき「共通言語」として見直されているのだ。

『人騒がせな名画たち』(マガジンハウス)拡大『人騒がせな名画たち』(マガジンハウス)
 「10年くらい前はまだ、美術史という言葉が浸透していなかったんです。それが最近はやっと、その言葉があまり抵抗なく受け取られるようになりました」と木村は話す。

 木村は、米国カリフォルニア大学バークレー校で美術史を学び、その後英国ロンドンのサザビーズ美術教養講座でWorks Of Artを修了している。海外の知己も多く、欧米における美術の位置付けや役割について造詣が深い。西洋美術史に関する著作も多く、10月に最新作『人騒がせな名画たち』をマガジンハウスから出版する。

 肩書は西洋美術史家だが、木村はエンターテインメントとしての西洋美術史を目指すことを標榜していて、タイトルにもその指向性が色濃く反映されている。

フェルメールの絵から分かること

 『人騒がせな名画たち』で取り上げた画家は約30人。それぞれの画家の絵の中に、秘められた「人騒がせな物語」が、コンパクトにまとめられている。

 その一人が17世紀オランダの画家、ヨハネス・フェルメール(1632-75)。日本でもとても人気のある画家で、10月5日から東京・上野の「上野の森美術館」でフェルメール展としては過去最大級の展覧会が開かれる。

 フェルメールと言えば、まず挙げられるのが風俗画だ。中でも『牛乳を注ぐ女』はよく知られている。素朴で働き者という感じの体格の良いメイドが、壺の中にミルクを注いでいるシーンだ。硬くなったパンをミルクで調理しようとしている。これだけ見ると、なんということのない日常のワンシーンに見える。

 だが、よく見ると、後ろの壁の床に近い所にタイルがあり、そこに小さくキューピッドの絵が描かれている。キューピッドの矢は右を指していて、その方向に足温器がある。この足温器は「女性のお気に入り」と呼ばれ、恋人を望む女性を示唆すると解釈されていた。つまりこの一見素朴に見えるメイドは、実は油断がならない人物とみなされるのではないかと木村は書くのだ。

美術講座でフェルメール『牛乳を注ぐ女』について話す木村泰司さん=東京都大田区拡大美術講座でフェルメール『牛乳を注ぐ女』について話す木村泰司さん=東京都大田区

 フェルメールの絵は「控えめで品がいい」と木村は言う。フェルメールが住んでいたオランダのデルフトが近隣のデン・ハーグのオランダ総督や周囲の宮廷人の影響があり、表現が控えめなのが特徴だ。だからどこかミステリアスでもあり、日本人を引きつけるのだともいう。

 なぜフェルメールはこういう風俗画を描いたのか。それは、隣国のフランドルを含めたネーデルラント絵画の特徴として、絵画の中に描かれるシンボリズムの発達があったからだ。

 たとえば靴や楽器などがどう置かれているかで、あるメッセージを示していた。脱いである靴は性的奔放さを示す。楽器のリュートは、女性の生殖器を意味した。フェルメールが生きた17世紀オランダは、大航海時代で多くの利益を得て、市民社会が経済的に豊かになった。美術市場のすそ野が広がり、教訓的なメッセージが込められた風俗画が流行った。オランダはプロテスタントの国で「信仰への導きや、美徳・悪徳といったメッセージが強い点が特徴」と木村は説明する。

 フェルメールの絵ひとつから、17世紀のオランダが経済発展を遂げ、市民社会に美術市場が広がり、そこに同じキリスト教でもカトリックではなく、プロテスタントの倫理観が反映されていたことが説明されている。それが分かるのと分からないのでは、まったく絵の見方が違ってくる。木村が強調する「絵を読む」とはこのことかと腑に落ちるのである。

豊かな教養がにじむルーベンスの絵

 

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筆者

高瀨毅

高瀨毅(たかせ・つよし) ノンフィクション作家・ジャーナリスト

1955年。長崎市生まれ。明治大卒。ニッポン放送記者、ディレクターを経て独立。『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』『ブラボー 隠されたビキニ水爆実験の真実』など歴史や核問題などの著作のほか、AERAの「現代の肖像」で人物ドキュメントを20年以上執筆。ラジオ、テレビのコメンテーターなどとしても活躍。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです