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「新潮45」と小川榮太郎に人知れず怒るのは…

大槻慎二 編集者、田畑書店社主

 まず気づくのは、「性的嗜好」と「性的指向」とを取り違えている、あるいはわざと置き換えているとしか考えられないことだ。

小川榮太郎なる「文藝評論家」の「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」拡大「新潮45」に掲載された小川榮太郎氏の記事「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」
 ここを混同すれば、およそLGBTというデリケートな問題を論ずることは難しいはずだ。もし後者の「わざと」であるならば、少なくとも論の前提として、通常この問題で当てられる「指向」という漢字を、あえて「嗜好」と変えた理由を示さなければならないだろう。

 それとも、もしかすると作者は、LGBTに関して巷で耳にした「セーテキシコー」という音を「性的嗜好」と早合点してしまったのか。いやまさか、本人曰く「少なくとも新潮45から寄稿を求められる程度には(呵々)」通用する「文藝評論家」なのだから、そんなことは……と思いつつ本文を仔細に読み進めるうちに、「おや、待てよ」と首を捻ることになった。

 まずP84の下段、「性的嗜好についてあからさまに語るのは、端的に言って人迷惑である」という文章に引っかかった。

 「人迷惑」? こんな言葉はあったかしら。これはひょっとしたら「傍迷惑」と書きたかったのだろうか。

 まあそれはどちらかと言えば些細なことかもしれないが、P86に至っては頭を抱えてしまった。

 上段に出てくる「インテリという名前の精神薄弱児たちに言論と政治を乗っ取られた挙句」とマルクス主義者を最大に貶めているつもりの文言。ご承知の通り、いまは「精神薄弱」という言葉はメディアではまず使わない。1997年の障害者雇用促進法の改正もあって、公的な文書でもすべて「知的障害」に置き換えられているはずだ。ここはどんな校正者でも真っ先に「エンピツ」で疑問点を入れてくる箇所だろう。仮にそう直したとしよう。すると「インテリという名前の知的障害児」となって語義矛盾をきたす。だいたい「インテリ」という曖昧で雑な言葉遣いが蔑称として評論の文章に出てくること自体、噴飯ものなのだが。

ひょっとして、国語ができない?

 さらに決定的なのは

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筆者

大槻慎二

大槻慎二(おおつき・しんじ) 編集者、田畑書店社主

1961年、長野県生まれ。名古屋大学文学部仏文科卒。福武書店(現ベネッセコーポレーション)で文芸雑誌「海燕」や文芸書の編集に携わった後、朝日新聞社に入社。出版局(のち朝日新聞出版)にて、「一冊の本」、「小説トリッパー」、朝日文庫の編集長を務める。2011年に退社し、現在、田畑書店社主。大阪芸術大学、奈良大学で、出版・編集と創作の講座を持つ。フリーで書籍の企画・編集も手がける。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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