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[書評]『現代社会はどこに向かうか』

見田宗介 著

今野哲男 編集者・ライター

安定平衡期の世界との向かい合い方

 生物学にロジスティック曲線と呼ばれる、時にS字型を描く曲線があるらしい。一定の環境条件の下に、これによく適合したあらたな生物種を入れ放つと、初めは少しずつ繁殖し、やがて爆発的な増殖期が続き、環境容量が臨界を超えて一定の条件を保つことができなくなると、時に安定平衡期に入ることがある。この推移を、縦軸に「個体の数」、横軸に「時間の経過」を取ってグラフで表すと、Sの字を斜めに引き延ばしたような曲線になるわけだ。

 ただし、これは成功した種の場合であり、繁栄がピークに達した後、安定平衡期を迎えられずに滅亡する種もあるという。再生不可能な環境資源を過剰に消費した愚かな種である。

『現代社会はどこに向かうか――高原の見晴らしを切り開くこと』(見田宗介 著 岩波新書) 定価:本体760円+税拡大『現代社会はどこに向かうか――高原の見晴らしを切り開くこと』(見田宗介 著 岩波新書) 定価:本体760円+税
 著者は、この意味ありげな曲線のアナロジーを述べる前に、本書第一章の冒頭で1973年以来5年ごとに実施されてきた「NHK放送文化研究所」の「日本人の意識」調査を紹介している。日本人のものの考え方と感じ方の変動を、統計学的に信頼できる規模と方法論をもって追い続けてきた「ほとんど唯一の資料」だそうで、この資料で2008年に至る35年間の変化を見渡してみると、おどろくべき「発見」に遭遇してしまうというのだ。その結論とは、簡単にいうと、こういうことだ。

 まず、現代日本を構成する「年代層」をほぼ15年ごとに「戦争世代」「第一次戦後世代」「団塊世代」「新人類世代」「団塊ジュニア世代」「新人類ジュニア世代」と6つの世代に分ける。つぎに各世代の調査で得た数値化された8回分の「精神の軌跡」を、縦軸を「〈あそび志向〉(プラス方向)と〈まじめ志向〉(マイナス方向)」、横軸を「〈伝統離脱〉(プラス方向)と〈伝統志向〉(マイナス方向)」とした座標面にそれぞれ点として表す。

 こうして各世代ごとにできあがる78年から08年までの調査数値を示す点をそれぞれ順に結ぶと、6つの世代がおのおのの塊として示され、各「世代の塊」が最近になるほど近接しているのが見て取れるのである。つまり、「戦争世代」と「第一次戦後世代」と「団塊世代」の先行する3世代では大きく離れている「精神の軌跡」が、「団塊世代」と次の「新人類世代」ではやや接近し、「新人類世代」と「団塊ジュニア世代」では一部が重なって、「団塊ジュニア世代」「新人類ジュニア世代」になるとほぼ混じり合ってしまうのだ。

 1937年生まれで「第一次戦後世代」に属する著者の見田宗介は、自らの経験や友人たち、あるいは年代が近い教師生活初期の教え子たちに共通する実感に照らしてのことだろう、「少なくとも『団塊の世代』までは、歴史というものは『加速度的に』進展するということを、当然の感覚のように持っていた」と書く。「一八世紀よりは一九世紀が、一九世紀よりは二〇世紀が変化が激しく、二〇世紀でも一九七〇年くらいまでは、最近の一〇年はその前の一〇年よりも変化が早い、という時代の連続であった」と。

 ここで読者の中には、本書目次前の「はじめに」で、さしたる説明もなく刻印された「球はふしぎな幾何学である。球表はどこまで行っても際限ない。それでもその全体は有限な閉域である。球は無限でありながら有限である」という謎めいた詩句のような書きつけを思い出す人がいることだろう。そして、この書きつけの直後にはこう述懐されているのである。

 数千年来少しずつの増殖を重ね、産業革命期以後は加速に加速を重ねてきた人間の増殖率は、……(中略)…一九七〇年代という時代に、史上初めての急速な減速に反転し、以来現在に至るまで、おそらく増殖の停止に至るまで、減速に減速を重ねることとなった。これは一九七〇年代以降、人間は歴史の第二の巨大な曲がり角に入っていることを端的によく示している。
 第一の曲がり角において人間は、生きる世界の無限という真実の前に戦慄し(「球表はどこまで行っても際限ない」――筆者注)、この世界の無限性を生きる思想を追求し、……確立して来た。現代の人間が直面するのは、環境的にも資源的にも、人間の生きる世界の有限性という真実であり、この世界の有限性を生きる思想を確立するという課題である(「球は無限でありながら有限である」――筆者注)。

 ここで冒頭のロジスティック曲線に立ち戻って考えてみる。すると「成功した生物種」が安定平衡期に移る時があるのに比して、「安定平衡期を迎えられずに滅亡に至る種」があり、それは「再生不可能な環境資源を過剰に消費した愚かな種である」という指摘が俄かに胸に迫り、我がこととして腑に落ちてくる。

 そして、人間という生物種が、地球という、有限であることが、最近になって漸(ようや)く自覚された環境下にあって、いずれにせよロジスティック曲線の軛(くびき)から免れることができないことを、第一章「脱高度成長期の精神変容――近代の矛盾の『解凍』」と第二章「ヨーロッパとアメリカの青年の変化」で示されている、多くの実証的なデータによって納得させられるのだ。

 では、70年代以降の地球とそこで生きる人間が、「安定平衡期」か「絶滅」かという種の大きな曲がり角にあるとして、われわれは、そのような「現代社会」をどうとらえ、どう乗り越えていけばよいのだろうか。

 著者は、「現代社会」の矛盾に満ちた現象は、(有限性が見えているにもかかわらず――筆者注)「高度成長」をなお追求してやまない悪しき慣性の力線と、安定平衡期に軟着陸しようとする力線との拮抗するダイナミズムの種々相として捉え、今や変化が急速だった「近代」の爆発期は過ぎさって、もはや変化の少ない「安定平衡期」に向かう展開点に、立ち尽くしているのが「現代社会」の本質だという。

 近代という時代の特質は、人間の生のあらゆる領域における<合理化>の貫徹にあった。未来に置かれた「目的」のために、現在の生を手段化すること。現在の生を犠牲にして、それ自体を楽しむことを禁圧すること。こうして未来へ未来へとリアリティの根拠を先送りし続けていた人間は(受験生などはその典型の一つだろう)、1970年代以降に起きた世界全体の意外な増殖率の低下をメルクマールとして、初めて生のリアリティの空疎化に気づき始め、少しずつ社会の表面に沁み出してくる。見田は、日本でも顕在化したその精神的な危機の象徴として、2008年に秋葉原で起きた無差別殺傷事件を挙げている。

 アキハバラの犯罪の出発点となったのは、犯人TKが仕事に出てみると、自分用のつなぎ(作業服)がなかったことである。TKは……自分はだれからも必要とされていなかった人間であると感じる(Mature man needs to be needed.「成熟した人間は、必要とされることを必要とする」エリクソン)
 TKはその手記の中で、自分とは反対の側の人間たちを「リア充」と呼ぶ。……トラックを借りて時代の中心地アキハバラに無差別殺傷のために行く途中……友人知人たちに何度も……これからやるぞ。と発信しつづける。だれからもレスポンスはない。ヤメロ! ともバカヤロー! とも言ってくれる人はいない。……無差別殺傷が目的ならば、トラックでそのままひきまわした方が効果的であろうが、ある地点でわざわざ降りて、用意していた刃物で一人一人追い回して刺す。どんなにリアリティに飢えていたことか。

 こんなにも広い生のリアリティの空疎の感覚は、ロジスティック曲線が急展開するステージ、つまり「現代」に固有のものだと著者は言う。「加速に加速を重ねてきた走行の果てに、突然目的地に到達して急停車する高速バスの乗客のように、現代人は宙に舞う」と。未来に置かれた「目的」のために現在の生を犠牲にして、それを楽しむ自由を封圧し、未来へ向かってリアリティを先送りし続けた人間は、この危機にあたってどうあるべきなのか。

 この恐ろしい慣性の力を乗り越えるために、まさに70年代に真木悠介名で『気流の鳴る音――交響するコミューン』(1977年、筑摩書房)という「近代」以後の世界を見据えた優れて実践的なコミューン論を書き、同じ時期に竹内敏晴の「からだのレッスン」を受けていた見田は、竹内の著書『ことばが劈(ひら)かれるとき』(1988年、ちくま文庫)の「解説」でこう書いている。

 言葉によって世界を変えることはできない。
 暴力によって世界を変えることはできない。
 どうすればよいか。
 そのころまでに、わたしたちのつかんでいた方向は、こういうことだった。言葉ではない、暴力ではない、<生き方の魅力性>によって、人びとを解き放つこと、世界を解き放ってゆくのだということ……

 そんな見田が、30年後の本書の末尾近くで、書いたことばはこうである。

 「オムレツを作るには卵を割らなければだめだ」というのは、レーニンの有名なことばであった……これに対してダグラス・ラミスは、「卵は内側から破られなければならない」と言った。……肯定的なものの実体が、まず現在に存在し、この実体が力強く育っていく時に、桎梏となるものがあるなら、それはこの生命自体によって、内側から破られるのでなければならない……そうでなければ卵の内部生命は生きられず、新しい権力者のオムレツとして、食べられてしまうだけだ。

 「からだ」が伝える信念とでも呼ぶべきか。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

*三省堂書店×WEBRONZA 「神保町の匠」とは?
年間2万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

筆者

今野哲男

今野哲男(こんの・てつお) 編集者・ライター

1953年生まれ。月刊『翻訳の世界』編集長を経てフリーに。「光文社古典新訳文庫」に創刊以来かかわり、また演劇体験をいかして『セレクション 竹内敏晴の「からだと思想」』全4巻(藤原書店)などを編集。著書に『竹内敏晴』(言視舎評伝選)、共著に森達也との『希望の国の少数異見』(言視舎)、インタビュアーとしての仕事に、鷲田清一『教養としての「死」を考える』、吉本隆明『生涯現役』(以上、洋泉社)、木村敏『臨床哲学の知』(言視舎)、竹内敏晴『レッスンする人』(藤原書店)、『生きることのレッスン』(トランスビュー)など。現・上智大学非常勤講師。