宇野重規 著
2018年10月15日
勇気づけられる本だ。政治思想の研究者が、私立女子校の生徒を前に毎月、5回に分けて語った講義をまとめたもの。
『未来をはじめる――「人と一緒にいること」の政治学』(宇野重規 著 東京大学出版会)
編集者なら誰しも痛感するように、文字原稿はどれほど読みやすくても、談話・講演は分かりにくいという方は少なくない。だから、この著者の近年の成果、『保守主義とは何か――反フランス革命から現代日本まで』(中公新書)や『民主主義のつくり方』(筑摩選書)など、一般向けの著作があれほど読みやすく説得力があっても、10代の聞き手に語った内容が果たして分かりやすいかどうかは、内容の意義とはまた別、と警戒して読み始めた。
もし「女子校生相手に理想論ばかりじゃないの?」と軽侮するオトナは、年少者に説明する困難と挑戦への想像力が欠けている(10代を蔑ろにした結果、自分の現在を貶めることにもなる)。一方、いかに情熱が燃えさかり智慧の光が輝いていても、準備や工夫が乏しければ、相手はたじろぐだけ。あるいは、著者のような高名な大学教授が集まり10代を対象に専門知識と実践経験を伝えようと試みた良書も数多あるが、共著ゆえに総花式となり、せっかくの個性や主張がぼやける例も多いのではないか。
本書にそんな心配は要らない。培ってきた知見と個性を伝える準備と工夫がゆき届いている。まず準備として、<政治学を知識としてではなく、「人と一緒にいる」ことのおもしろさと難しさと結びつけて理解してくれるのは、むしろ女子生徒のみなさんではないか>と洞察して編集者に提案、実践したこと。工夫としては、講義の中核をその、<人と一緒にいること/いないこと>の意味(10代に限らず、現代人にとって最も切実!)を考えるヒントに定め、そこに著名な哲学者たちの言説を、著者ならではのセンスで描き出したこと。
かくして、「政治」とは高邁な理想を掲げることではなく(冷笑や皮肉の燃料を用意するためでもなく)、あなたや私の今を見極めることに直結する、と示唆したことだ。さらに、講義だけでまとめず、聞き手の反応・質問・無反応などを程よく挿入したことも奏功している(編集者の手腕が光る)。
まず、第1講「変わりゆく世界と〈私〉」のツカミが巧い。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で揶揄された現米国大統領と驕れるニッポンの今をマクラに置いて、しだいに「政治」が扱う課題の多義性へと、若い聴き手をやさしく誘ってゆく。さらに、先の2冊の前の単著『<私>時代のデモクラシー』(岩波新書)の主題、すなわち政治に無関心になりがちの<私>が<私>であり続けるために社会という関係性が必須で、それがすべて「政治」の課題なのだと導いてゆく。
第2講「働くこと、生きること」では、「労働」の本質に迫る。女子校生を前に避けられない<女性が活躍する社会って?>という重い問いかけがあり、〈市場経済〉〈働き方〉が丹念に論じられていく。ここまで読んで驚くのは、著者の専門のトクヴィルはもとより、F・フクヤマ、ネグリやハート、マルクス、ロールズ、ピケティまで、実に手際よく概説されていること。
そして、中核となる第3講「人と一緒にいることの意味」では、ルソー、カント、ヘーゲルが登場。しかも話題は<教室内にある政治>、イジメだ。にもかかわらず3人の横顔が実に愉しく、鮮やかに語られる。本書は全篇にわたり(井上ひさしのモットーのように)「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに」説いていると言えるが、第3講はその白眉。さりげないこんな箴言もある。<ルソーの中にある「いつまでも一人の人間として自由でありたい」という部分と、「それでも他の人と一緒に社会をつくっていきたい」という部分を、カントとヘーゲルがそれぞれ発展させた……僕らは、いまでも、この三人の思考の枠の中で、ものを考えている>。――シビレませんか。冒頭で著者は、<この講義のなかで一番大切な回になるかも>と予告したが、間違いなくその通りだ。
若い読者の中には、講義の相手が偏差値上昇で近年の受験界を刮目させている進学校(豊島岡女子学園)生徒であることに、偏見を感じる向きもあるだろう。だが、本書に籠められた熱量と光彩の前では、そんな偏見は無意味。男女誰でも一人でも多くの同世代に、第3講だけでも虚心に読んで欲しい。
また、選挙権行使を控えた高校生と教養課程の大学生には、第4講「選挙について考えてみよう」が問う、〈多数決は正しいか?〉という深い主題に向き合って欲しい(理念としてではなく、実際の選挙制度の問題と可能性が実にスッキリ頭に入ります)。そのうえで、第5講「民主主義を使いこなすには」で力説される〈プラグマティズム〉の(本来の)意味と〈習慣の力〉の影響力に気づいて欲しいと思う。
巻末には「講義を振り返る」と題し、著者と匿名の聴き手代表(高二2人、高一2人、中三[!]1人)との座談会が付いている。実は、ここが一番面白い。ただその面白さを味読するためには、全5講を読む必要がある。なんと秀逸な構成か。
こうまで言っても、すれっからしの成人読者は(若さへの偏見や嫉妬から)本書の内容を嘲笑するだろうか。そんな方には、著者の次の痛言を進呈したい。<ひょっとしたら悲観的なことを言う方が知的であるように見えるかもしれません>。そして、良識ある読書人とは、著者が締めくくりに引用した有名な言葉を共有したい。<人間が生まれてきたのは始めるためである>(アーレント)。座談の10代の声を読む限り、「未来」に希望は持てそうだ。楽観は禁物だが。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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*三省堂書店×WEBRONZA 「神保町の匠」とは?
年間2万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。
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