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[書評]『女たちの精神史』

伊藤由希子 著

佐藤美奈子 編集者・批評家

その強さに覚えあり

 「女性って強い」。自分も女性だが、こう感じることがけっこうある。「強い」というのは、たとえばイギリスの元首相サッチャーが「鉄の女」と呼ばれたような意味で、社会で男性と伍して活躍できる能力の高さや「強硬さ」を指して言うのではない。社会的な地位や肩書、学歴、外見などとはほぼ関係なく、もっと生物学的な意味合いを含んだ、生きる上での「強靭さ」のことだ。まあそれは、平均寿命などを見れば明らかではないか、と言われる事柄に属すのかもしれない。

 一方、いわゆるセクハラやDVという視点で見れば、被害者は男性より女性が圧倒的に多いのが事実。だからこそ見過ごされ、上げようにも上げづらかった声が少しずつ上がり始めているような現状(#MeToo運動の盛り上がりなど)にあって、一概に「女性は弱くない、強いのだ」と言うつもりは毛頭ない。それを前提で、でも「女性=弱い」という図式だけが広まることには大きな違和感を持つ私にとって「わが意を得たり」の感を得たのが、本書だ。

『女たちの精神史――明治から昭和の時代』(伊藤由希子 著 春秋社)定価:本体2200円+税『女たちの精神史――明治から昭和の時代』(伊藤由希子 著 春秋社) 定価:本体2200円+税
 著者は1975年生まれの、倫理学・日本思想史を専攻する研究者。本書では阿久悠、向田邦子、深沢七郎、下田歌子、中島みゆき、西原理恵子らの作品に、上に述べた「強靭さ」を持つ存在としての女性の姿を読み込んでいく。

 たとえば向田邦子は、「『何にも知らないのよ、母さん馬鹿だから』と言いながら、本当はなんでも知ってい」て、「家族を『要所要所』で操縦している」女(『寺内貫太郎一家』の里子)を描き、主婦として日常を護る役割に徹しているように見え、その実「子どもの命、そして夫の命まで犠牲にする」女の業も明るみに出した(「かわうそ」の厚子)。さらに、表面では「仁義礼智信を標榜し」、「心の内では『気が強くて、ひとの悪口を言うのが好き』な阿修羅」としての4姉妹が主人公のドラマで人気を博した(「阿修羅のごとく」)。そして向田はそういう「したたかさ」「底知れない生命の力」を持ち、業を抱えた女たちを「信じてない」と語ったが、同時に「『うまいなあ』、と感心しながら見つめているのである」と著者は言う。

 女性の「強靭さ」とリンクさせつつ、クローズアップする作品や人間像を通して著者が意識的に浮上させるのは、現代が喪失したものとしての「畏れ」の感情と共同体のありようだ。

 たとえば小説「楢山節考」のおりんは「ひとびとの心を慰めるような清らかさと、慰めようのない暗い残酷さが同居し」た女性だが、この「暗い残酷さ」は何もおりんだけが持つものではない。いわゆる「棄老」の風習が、それこそ日本人の共同体がもつ「暗い残酷さ」を象徴することを、著者は『古事記』における黄泉国神話を通して読み解く。この作品が第1回中央公論新人賞を受賞した折、選考委員の三島由紀夫、武田泰淳、伊藤整に恐ろしさを与えたのも、「彼らが実際に接してきたひとびとの生きかた、考えかたと『全然無縁じやない』」からだ、と述べるくだりには説得力がある。

 さらに、1992年発売直後より2000年代になって広く世間に浸透した感のある中島みゆき『糸』についても、著者はここで共同体と個人の関係が歌われていることに注目する。『糸』では、「幸せ」ではなく「仕合わせ」という表記が使われることと、日本語「しあわせ」の由来・語源を絡ませて、そこに日本の共同体で古来見られた思考や感性の特徴を展開するのだ。

 すなわちこの曲では、男女の恋愛の成就ということのほかに、「他のひとびとと共に織りなす『布』の一部という新たな生きかたへと踏み出そうとする『私』の決意」が歌われているのであり、「『布』の一部としてあってこそ、『私』という『糸』はその命を輝かせることができると、この歌の主人公は考えているのである」と。社会のさまざまな仕組みや制度が「個人」単位に見える現代にあっても、少し考えれば、観念通りの「個人」など共同体を無視しては成り立たないことがわかろうはずだから、その辺りに『糸』のような歌がじわじわと世の中に浸透した理由があるのかもしれない。

 いわゆるフェミニズムの文脈からは批判されがちな観念についても、そうした言葉やあり方が当初孕(はら)んでいた可能性を意識し、そこを掘り起こそうとする著者の姿勢が新鮮な問題提起になっている。また、「楢山節考」や『糸』に限らず、古文や漢籍を読んできた著者らしく、随所に日本語の在り方と性質を踏まえた分析がわかりやすくなされるところも、本書の読ませどころの一つだ。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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