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「新潮45」休刊でも止まらない保守の無能力主義

勝部元気 コラムニスト・社会起業家

「新潮45」の記事に抗議するため、新潮社前でプラカードを掲げる人たち=2018年9月25日「新潮45」の記事に対して、新潮社前で抗議する人たち=2018年9月25日、東京都新宿区

 杉田水脈衆議院議員による「LGBTに生産性はない」旨の記事を掲載した月刊誌「新潮45」が、今度は2018年9月18日発売の10月号で、「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と題した特集を組んだことで批判が続出し、休刊に追い込まれる事態にまで発展しました。

 私も『杉田水脈という“名誉男性”が抱える「心の闇」』と題した記事をここWEBRONZAに寄稿させて頂きましたが、既に様々なメディアで杉田論文への批判が盛り上がっていたにもかかわらず、「新潮45」がむしろさらに“延焼”を招くような燃料を投下したことには、驚き呆れるばかりです。

小川論文は評論ではなく単なるヘイト

 特集そのものの設定が正常なバランス感覚を逸脱しているように思いますが、とりわけ文藝評論家の小川榮太郎氏の記事「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」は、あまりに酷い内容でした。

 彼はその論文でLGBTと痴漢加害者を同列に並べた論理展開をしており、もはや評論のレベルではなく、単なる差別やヘイトと言えるでしょう。また、小川氏自身の性的嗜好を「犯罪そのものでさえあるかもしれない」と公表したことに対しては、仮にそれが本当に犯罪行為であるならば、ヘイトの問題以前に絶対に許されないことです。どういう真意で書かれたのか、大変奇異に思いました。

 様々な人々が小川論文に批判を加えていますが、私も、連載を持っている「エキサイトニュース」で、「新潮45の杉田擁護論を赤ペンで添削したら真っ赤に染まった」と題した記事を投稿しました。ここでは、ベネッセコーポレーションが展開する「進研ゼミ小学講座」の在宅添削指導員「赤ペン先生」のサービスを捩(もじ)り、小川論文の誤った記述に対して赤色の注釈文字で指摘するスタイルの批判を展開しました。

「調べない」で済んでしまうのは反知性主義

 小川論文について、どこがどのように間違っているかの詳細については上記の記事をご覧頂きたいのですが、1点だけ触れたい箇所があります。

 論文の中に「LGBTという概念について私は詳細を知らないし、馬鹿らしくて詳細など知るつもりもないが、性の平等化を盾にとったポストマルクス主義の変種に違いあるまい」という発言があるのですが、ここWEBRONZAでこのようなフレーズを書いたら、編集者は許してくれるでしょうか? おそらく「調べてから書いてください」「根拠を書いてください」等の指摘が入るはずです。

 当たり前のことですが、評論というのは、「●●だから〇〇だ」という論証のステップが必要になります。そこがなければ自分自身の情緒だけで綴っているエッセイに過ぎません。ところが彼はそのステップを一切踏まず、何も調べずにとりあえず思い込みで叩いているわけで、それは反知性主義以外の何ものでもありません。

小川氏は妄想の世界に生きているのか

 また、小川氏は電通の社員だった高橋まつりさんの過労死事件に関しても、「私はこの事件をよくは知らない。いまも、実はあまり詳しくは知らずにこれを書いている」としながら高橋さんを非難するような文章を『月刊Hanada』2017年3月号(飛鳥新社)に投稿したことが、批判に遭っていました。

 さらに、森友・加計学園に関する朝日新聞の一連の報道について、一切の取材もないまま、根拠もなく、虚報、捏造、報道犯罪などと決めつけたとして、2017年12月に朝日新聞社から出版元の飛鳥新社とともに名誉毀損訴えられています。一度ならまだしも、何度も同じことを繰り返す現状を考慮すれば、小川氏が反知性主義だという推論は決して間違ってはいないように思います。

 にもかかわらず、ネットを検索してみると、「MOC」というWEBマガジンの動画インタビューでは、「日本人の知性について」と題して、日本人が大切にすべき知性について語っています。彼の言う知性には、「論じる対象のことを調べた上で論理展開する」ということは含まれていないのかと大変驚くばかりです。

なぜ小川氏は保守論壇で生き続けられたのか?

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