勝部元気(かつべ・げんき) コラムニスト・社会起業家
1983年、東京都生まれ。民間企業の経営企画部門や経理財務部門等で部門トップを歴任した後に現職。現代の新しい社会問題を「言語化」することを得意とし、ジェンダー、働き方、少子非婚化、教育、ネット心理等の分野を主に扱う。著書に『恋愛氷河期』(扶桑社)。株式会社リプロエージェント代表取締役、市民団体パリテコミュニティーズ代表理事。所有する資格数は71個。公式サイトはこちら
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
杉田水脈衆議院議員による「LGBTに生産性はない」旨の記事を掲載した月刊誌「新潮45」が、今度は2018年9月18日発売の10月号で、「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と題した特集を組んだことで批判が続出し、休刊に追い込まれる事態にまで発展しました。
私も『杉田水脈という“名誉男性”が抱える「心の闇」』と題した記事をここWEBRONZAに寄稿させて頂きましたが、既に様々なメディアで杉田論文への批判が盛り上がっていたにもかかわらず、「新潮45」がむしろさらに“延焼”を招くような燃料を投下したことには、驚き呆れるばかりです。
特集そのものの設定が正常なバランス感覚を逸脱しているように思いますが、とりわけ文藝評論家の小川榮太郎氏の記事「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」は、あまりに酷い内容でした。
彼はその論文でLGBTと痴漢加害者を同列に並べた論理展開をしており、もはや評論のレベルではなく、単なる差別やヘイトと言えるでしょう。また、小川氏自身の性的嗜好を「犯罪そのものでさえあるかもしれない」と公表したことに対しては、仮にそれが本当に犯罪行為であるならば、ヘイトの問題以前に絶対に許されないことです。どういう真意で書かれたのか、大変奇異に思いました。
様々な人々が小川論文に批判を加えていますが、私も、連載を持っている「エキサイトニュース」で、「新潮45の杉田擁護論を赤ペンで添削したら真っ赤に染まった」と題した記事を投稿しました。ここでは、ベネッセコーポレーションが展開する「進研ゼミ小学講座」の在宅添削指導員「赤ペン先生」のサービスを捩(もじ)り、小川論文の誤った記述に対して赤色の注釈文字で指摘するスタイルの批判を展開しました。
小川論文について、どこがどのように間違っているかの詳細については上記の記事をご覧頂きたいのですが、1点だけ触れたい箇所があります。
論文の中に「LGBTという概念について私は詳細を知らないし、馬鹿らしくて詳細など知るつもりもないが、性の平等化を盾にとったポストマルクス主義の変種に違いあるまい」という発言があるのですが、ここWEBRONZAでこのようなフレーズを書いたら、編集者は許してくれるでしょうか? おそらく「調べてから書いてください」「根拠を書いてください」等の指摘が入るはずです。
当たり前のことですが、評論というのは、「●●だから〇〇だ」という論証のステップが必要になります。そこがなければ自分自身の情緒だけで綴っているエッセイに過ぎません。ところが彼はそのステップを一切踏まず、何も調べずにとりあえず思い込みで叩いているわけで、それは反知性主義以外の何ものでもありません。
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