育った環境は問題ない! 大事なのは、互いを思う、寛大なる意志なのだ!
2018年10月20日
1回目の記事「だから私の職業はミュージシャン!」のおかげで、私は、たくさんの医師、弁護士、教授を敵に回してしまったようだ。記事を読んだ方たちからのクレームが何日か後を絶たなかった…。
そんなつもりで書いたわけではなかったが、良い方たちもたくさんいるわけで…。まあ、そんなことは気にせず、どんどん書きましょう!
今日、映画を観ました。韓国の。今劇場で上映中の「暗数殺人」。
近年の韓国映画はとても面白い。内容もそうだし、俳優たちの演技がとてもいい。音楽もいい。
そういえば、一昔前は、よく映画音楽のレコーディングにも参加したなあ。
内容は詳しく説明できないが、ある刑事と殺人鬼の、長い長いたたかいである。
こういう映画はだいたい、生い立ちが貧しいとか、両親から虐待されたとか。韓国で多いのは、両親が財閥という人が犯人になるパターン。
そういう家に育った子たちが、何らかの環境や影響やショックによって、犯罪を犯してしまう。怖いのが犯罪を犯罪って思っていないところ。
で、思った。
人間、生まれや育った環境は、ほんとに大事である。
それによって、将来がほとんど、決まってしまうかもしれない……
金持ちの子は、だいたい金持ちになるし、貧乏な家はむっちゃ頑張っても大金持ちになる確率は低い。
何が、何が、資本主義国家や! うそつけ!
私はというと、1970年に大阪市西成区という、日本でも一番の由緒ある閑静な工場街に生まれた。外に出ると、常におじさん達が、道で段ボールの家を作り、寝ていた。
他の地域に行くと、そのおじさん達がいないので、逆に不思議だった。
小学校は、近所にあった韓国人学校金剛学園に通った。その時から、近所の公立小学校に向かう大群を、避けながら歩いて行った。
普通に勉強して、成績も普通だったが、音楽だけは群を抜いていたらしく、そのおかげで、韓国の伝統音楽専門高校、その名も「国立国楽高等学校(元李王朝雅楽部養成所)」へ留学することになった。
こんな私は、何? ちょっと他にはない人生でしょ。
超貧乏人だった家から、今はたぶん普通レベルにまで、くることができた。とりあえず、親や、先生たちに、感謝!です。
クラシック音楽の巨匠、チョン・ミョンフンさん。
彼とは、もうだいぶ昔になるが、2度ほど、アメリカツアー、ヨーロッパツアーでご一緒させていただいた。
彼の姉である、チェリストのチョン・ミョンファさんとの、チェロとチャンゴの共演がきっかけである。
チョン・ミョンフンさんにも、いろいろお世話になった。「僕が学生の時はね、アメリカへの飛行機代が無かったから、当時韓国からアメリカへ養子縁組になる赤ちゃんを抱いて、飛行機代をただにして行き来していた」とおっしゃっていた。
カーネギーホールでの公演後、若手の私が楽屋出口で一人立っていると、「ヨンチ君! 一緒にご飯食べに行こう!」と誘ってくれた。タクシーに乗って行った先は、マンハッタンにある小さなコリアンレストラン。彼が学生の時からお世話になっている韓国のおばさんが一人でやりくりしていた。
イタリアでパスタを一緒に食べていたときには「僕は、昔、学生の時食べたパスタのおいしさを忘れられなくてね、どうしたらこのパスタを一生食べられるんだろう。そんなことをずーっと考えていたら、いま、イタリアのサンタ・チェチリアで指揮を振っているんだよ」
すげえ!! その時、こうもおっしゃってた。
「ヨンチ君、日本のそばっておいいしいよねえ」
で、彼は今、日本で指揮を振っている。
そんな彼の実家は食堂だったらしく、お母さんが一人で必死にごきょうだいを世界的なミュージシャンに育てた。
チェロ:チョン・ミョンファ
バイオリン:チョン・キョンファ
ピアノ:チョン・ミョンフン
この三人による「チョン・トリオ」の演奏は、世界的に有名だ。
実は、僕の実家も、食堂だ。大阪の小さな焼き肉屋さん。チョン・ミョンフンさんの実家と一緒。そして、僕の姉兄妹もみんな音楽をやっている。
姉がカヤグム(お琴):ミン・ミファ
兄はピリ(篳篥):ミン・ソンチ
そして私。3人とも楽器だ。
チョン・ミョンフンさんは「育ちも一緒だね、ミン、トリオしなさい!!」と言ってました。ちなみに妹、ミン・ユミは韓国舞踊。
ワシントン大使公邸の晩さん会では、豪華ディナーのあとに世界的なアーティストが一人ずつスピーチをした。これからのスケジュールとか、過去の栄光とか、CDの宣伝とか…。最後にチョン・ミョンフンさんの番がやってきた。
先生、半分寝てたのか、関係者に呼ばれると、我に返ったかのようにびっくりして、「あのー、韓米間の、飛行機、留学生たちが、未だに、赤ちゃんを抱いて乗っている姿を見る。あれをお願いだから、終わりにしてほしい」。
大使やマスコミ、関係者たちはみんなびっくりしていた。カッコ良かった。
お食事中でも、私によく自分の手を見せて「小さいでしょ、これでもピアニスト。けど、努力と要領でなんとかなるんだよ」という。
彼は世界的なピアニストでもある。ほんとびっくりの連続。
もちろん、彼はスペシャル。だけど、一緒の人間。夢はかなうのだ!
決して、裕福な環境で育たなくても、心が寛大で成功している。
そして、全然威張らないし、弱者の見方である。人間の鏡や!
私は毎年6月の2週目の週末、アメリカ・コロラドの標高4000メートル級のロッキー山脈で開かれる「コリアンヘリテージキャンプ」に13年間、チャリティーで通った。韓国からアメリカへ、養子縁組で移住した家族達が主人公のキャンプだ。
そこで韓国の楽器や踊りを教える。
初めて行った時、クロージングセレモニーで3歳くらいの子に小さな声で「僕も韓国に帰りたいから一緒に連れてって」と言われた。涙が出た。「来年また来るから」と約束してしまい、13年間通うことになった。
参加者の子どもたちは0歳から大学生まで。白人の里親たちとの参加で、総勢600人くらいが3泊4日でコリアの文化や言葉、テコンドーなどを学ぶ。
親たちには別のクラスがあり、韓国語やキムチのつけ方、そして子供たちが大きくなったらどうしたらいいか、実の親に会わすべきかどうかといったことの相談まで、いろいろなクラスが設けられている。素晴らしいキャンプだ。
心の底から、アメリカの里親たちに、ありがとうと言いたい。
西洋の人たちは、好きではないこともあるが、こういった文化面での教養は、私たちは追いつけないほど進んでいて、素晴らしい考えを持っている。
里親たちの大半は、白人の方たち。里親になるのも審査が厳しく、経済状況なども審査があるので、アメリカ中部ではやはり白人が圧倒的に多くなるのであろう。
それにしても、韓国はこんなに経済発展したのに、いまだに海外に養子縁組に送っている。
ゆがんだ儒教のせいなのか、キャンプにはあまり男の子はいない。女の子ばっかり。
なぜって? 韓国は男の子を手放さないから。だからこそ、キャンプに来る男の子たちは、なんかかなしそう…。女の子はというと、お母さんたちの職業はお酒関係、在韓米軍さんとのダブルの子が一昔前は多かった。
子どもたちは、里親のお母さんに「私の髪はいつになったら金色に、眼はいつになったら、お母さんのように青くなるの?」と聞いている。
赤ちゃんの時に、親に捨てられ、施設に入り、養子縁組で米国に渡るという環境で育っても、里親たちの努力もあって、社会的成功者はたくさん出ている。
彼こそ、キャンプの子どもたちの星である!!
彼らも、その国で育って、頑張っている。共感して、何か手伝いたくて、応援したくて、13年間、僕は通った。また、ぜひみんなに会いに行きたい。
さてさて、それに比べて、分からないのは、自分が今何をしなければいけないか、何をしているのかにも、気づいてない人たち。自分が稼いだお金でもないのに、威張っている人たち。
彼らの多くが、良い環境で育ったはずだ。
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