巨匠チョン・ミョンフンさんも私も実家は食堂!
育った環境は問題ない! 大事なのは、互いを思う、寛大なる意志なのだ!
ミン・ヨンチ ミュージシャン 韓国伝統音楽家
「うちの家は日本人ではなく韓国人よ」
私はというと、1970年に大阪市西成区という、日本でも一番の由緒ある閑静な工場街に生まれた。外に出ると、常におじさん達が、道で段ボールの家を作り、寝ていた。
他の地域に行くと、そのおじさん達がいないので、逆に不思議だった。

大阪で育った小学4年生ころのミン・ヨンチさん
小さい時は、近所の子たちと遊んでいる、ごく普通の子供だったが、たしか5歳くらいの時に母親から「うちの家は日本人ではなく韓国人よ」と知らされ、その瞬間、あれっ? 何かわからないが、みんなと違う何かに、つまずいたような気がしたのだった。
小学校は、近所にあった韓国人学校金剛学園に通った。その時から、近所の公立小学校に向かう大群を、避けながら歩いて行った。
普通に勉強して、成績も普通だったが、音楽だけは群を抜いていたらしく、そのおかげで、韓国の伝統音楽専門高校、その名も「国立国楽高等学校(元李王朝雅楽部養成所)」へ留学することになった。
こんな私は、何? ちょっと他にはない人生でしょ。
超貧乏人だった家から、今はたぶん普通レベルにまで、くることができた。とりあえず、親や、先生たちに、感謝!です。
「どうしたらパスタを一生食べられるか」
クラシック音楽の巨匠、チョン・ミョンフンさん。
彼とは、もうだいぶ昔になるが、2度ほど、アメリカツアー、ヨーロッパツアーでご一緒させていただいた。
彼の姉である、チェリストのチョン・ミョンファさんとの、チェロとチャンゴの共演がきっかけである。

チョン・ミョンファさんとミン・ヨンチさんの「チェロとチャンゴのためのトドゥリ」のCDジャケット
チョン・ミョンフンさんにも、いろいろお世話になった。「僕が学生の時はね、アメリカへの飛行機代が無かったから、当時韓国からアメリカへ養子縁組になる赤ちゃんを抱いて、飛行機代をただにして行き来していた」とおっしゃっていた。
カーネギーホールでの公演後、若手の私が楽屋出口で一人立っていると、「ヨンチ君! 一緒にご飯食べに行こう!」と誘ってくれた。タクシーに乗って行った先は、マンハッタンにある小さなコリアンレストラン。彼が学生の時からお世話になっている韓国のおばさんが一人でやりくりしていた。
イタリアでパスタを一緒に食べていたときには「僕は、昔、学生の時食べたパスタのおいしさを忘れられなくてね、どうしたらこのパスタを一生食べられるんだろう。そんなことをずーっと考えていたら、いま、イタリアのサンタ・チェチリアで指揮を振っているんだよ」
すげえ!! その時、こうもおっしゃってた。
「ヨンチ君、日本のそばっておいいしいよねえ」
で、彼は今、日本で指揮を振っている。