メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

勤勉で人懐っこい。作曲家・池辺晋一郎の素顔

第48回JXTG音楽賞で洋楽部門本賞受賞。文化功労者として顕彰も

池田卓夫 音楽ジャーナリスト

池辺晋一郎さん池辺晋一郎さん

JXTG音楽賞の洋楽部門本賞を受賞

 日本を代表する作曲家の一人、池辺晋一郎が第48回(2018年)JXTG音楽賞の洋楽部門本賞に選ばれた。石油業界の再編に伴ってモービル音楽賞、エクソンモービル音楽賞、東燃ゼネラル音楽賞……と頻繁に名称を変え、JXTGになって二回目の受賞。

 「連絡をいただいたときは妻が電話に出て、いったいどこの会社なのか、すぐには分からなかった」。社名変更を理解しても、「今までつねに選考する側にいたので、まさか自分が受賞する側に回るとは、思ってもみなかった」と、第一印象を率直に打ち明ける。

 さらに9月の文化庁創立50周年記念表彰に続き、文化の日(11月3日)には文化功労者として顕彰されることにもなった。「今年は4月に結婚50周年。9月15日に75歳となって後期高齢者の仲間入り」と、プライベートの節目も重なる特別な一年になった。

「地方症」を自認

 かつて池辺にインタビューを申し込むと、東京・渋谷のNHK放送センターを指定された。廊下の椅子でドラマの音楽の譜面に手を入れながら、よどみなく質問に答える超人ぶりに圧倒された。今回のロケーションは横浜みなとみらいホールの館長室だったが、他にも東京オペラシティ文化財団ミュージックディレクター、せたがや文化財団音楽事業部音楽監督、石川県立音楽堂・洋楽監督、姫路市文化センター芸術監督など、全国各地のホール・劇場の要職を兼ね、本業の作曲と同時進行でこなす。

 「『地方症』を自認しているが、そこの館に行けば、ずうっとそこだけ、やっているような顔をする。つらいとも思わない。スケジュール管理だけは抜かりないよう、気をつけている」と、涼しい顔だ。

 「はたから見ると何をやっているのか、よくわからないだろうが、僕自身はそんなに幅広いとは思っていない。一つの幹から枝葉が広がっているだけ。唯一、音楽大学の教授で週に1回、学校へ通っていたのだけが異質の仕事に思えたけど、名誉教授となった今は、それもなくなった。後は何をしようと、自分の仕事。思いっきり働いたとしても、すべて、お釈迦様の手の上の内だから、外に飛び出ることはないだろうと安心している」

「誰かを嫌いになったことがない」

池辺晋一郎さん(C)東京オペラシティ文化財団 撮影:武藤章池辺晋一郎さん(C)東京オペラシティ文化財団 撮影:武藤章
 この勤勉さ、人懐っこさは、どこから来るのか?

 「子どものころ病気をして、小学校に入るのが1年遅れた。70歳と75歳じゃ大差ないが、小学校で1歳の年齢差は大きい。まとめ役と目され、学級委員や生徒会長に必ず選ばれる。水戸から東京へ転校、外様のはずの中学校でもいきなり学級委員長に就いた。『自分は常に全体の中の個に過ぎない』とのバランス感覚が小学生の時代からはぐくまれた結果、ホールの館長職を引き受けても『全体をみるのが仕事』とわきまえ、自作を無理やり上演しようなどとは思わないし、演劇の付帯音楽の依頼が殺到しても『自作は自作できっちり書く』と決めているから、欲求不満も覚えない。自分を表現する場、しない場の違いを理解していれば、それぞれの枝葉の意義も理解できる」。

 フレンドリーであると同時に、冷静な頭脳の持ち主だ。

 池辺自身は「不思議な癖」と謙遜するが、「誰かを嫌いになったことがない」と自身で言い切れる人は少ない。「人と会うこと、接することが子どもの時分から、すごく好きだった」という。権力者や政治家で主義主張に共感できず、「自分とは意見が合わない」と思っても、「人物の評価は別」。実際に付き合ってみない限り実像はわからないし、「付き合った結果、嫌いになった人が今まで、本当に1人もいないのです」。

 お得意のダジャレも、かなり潤滑油の効果を発揮しているはず。ちなみに、嫌いな食べ物も全くない。

反戦平和を信条に

 もし世界中、池辺のように「誰も嫌いな人がいない」「実際に付き合って判断する」人ばかりだったら戦争や紛争は起きないはずだが、現実は厳しい。むしろ国際情勢は緊張の度を高めており、反戦平和をクレド(信条)とする池辺の心中も穏やかではない。

池辺晋一郎さん(右)の指揮で「731部隊」を題材にした合唱のリハーサルをする合唱団員=2018年6月23日、富山県射水市池辺晋一郎さん(右)の指揮で「731部隊」を題材にした合唱のリハーサルをする合唱団員=2018年6月23日、富山県射水市

 実は池辺、「世界平和アピール七人委員会」のメンバーに2014年から名を連ねている。同委員会は1955年、平凡社の下中弥三郎社長(当時)の提唱で始まり、初代メンバーには女性運動のレジェンド平塚らいてう、日本人初のノーベル賞受賞者だった物理学者の湯川秀樹も入っていた。

 現在は池辺と武者小路公秀(国際政治学者)、大石芳野(写真家)、小沼通二(物理学者)、池内了(宇宙物理学者)、高村薫(作家)、島薗進(宗教学者)の7人。池辺は「平和の問題に無関心でいること自体が、おかしい。今、この時代に生きていることを考えないで生きていけるなんて、思えない。作曲という仕事をしているのだから、何かを考えなければ存在できない」と、ひときわ厳しい表情をみせた。

対話の機会をなくさないように

作曲家クロード・ドビュッシー(右)と夫人 作曲家クロード・ドビュッシー(右)と夫人
 東京藝術大学音楽学部作曲科の1年先輩、三枝成彰とは作風も政治的主張も異にするが、反戦平和の根幹では強い絆で結ばれている。「学生時代は互いの作曲をめぐって大議論、しょっちゅう喧嘩していた」と振り返る二人の目には「今の若い作曲家の発想が昔より、かなり安直になってきた」と映る。

 ちょっと気の利いた作品を書き、もっともらしく企画やチラシの体裁を整えれば、どこのホールも池辺や三枝の時代よりも敷居が低く、簡単に受け入れてくれる。「やっている本人たちも、自分は自分、他人は他人で深く関わろうとはせず、とりあえず褒(ほ)め合う。聴き手の反応も、ツイッターを通じて知る。僕たちの若いころは、松村禎三、武満徹、林光といった先輩たちまで交え、めちゃくちゃ激しい意見のぶつかり合いがあった」。

 じかに人々と接するのが大好きな池辺としては、何としても「フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーション、対話の機会を復活させなければならない」と考えている。「それが無くなることでまた、世界は悪くなる」からだ。

 「なぜ、やるのか」が重要

 発信する側の作曲家、ホール館長として、聴く側の反応で気になるのは最近、「元気をもらいました」「癒されました」といった言い回しの感想が増えていること。「音楽を聴き、感動する行為とは、そういうものじゃない。ただ受け身でいるだけでは、ダメなのだ」と嘆く。

 供給サイドが抱える問題点にも、気付いている。一例を挙げれば、今年(2018年)の大きなテーマだったフランスの作曲家ドビュッシーの没後100年記念。日本ではオーケストラやピアニストが代表作のいくつかを演奏する程度にとどまったが、ヨーロッパにはドビュッシーの死が第1次世界大戦終結と重なった事実をとらえ、「1918年」全体を振り返る企画が目立った。

 第1次大戦は四世紀以上も続いたハプスブルク帝国の旧体制(アンシャンレジーム)を崩し、ロシア革命を引き起こし、後の広島と長崎への原子爆弾投下につながる大量殺戮兵器を史上初めて投入した負のイベントだ。ドビュッシーは「古き良きヨーロッパ」の終焉(しゅうえん)を嘆き、その痕跡をとどめる六つの異なる楽器のソナタの作曲にとりかかったが、失意の底で癌が進行、3曲を完成したところで世を去った。

 「周年企画を手がけるなら、背景を読み込み、『なぜ、やるのか』の企画意図を明確にしない限り、受け手の反応もお座なりなものにとどまる」と、池辺は気を引き締める。

とびきりのコミュニケーション上手

 このまま完全原稿を書けるかと錯覚するほど、インタビューは淀みなく進んだ。最後に巧みな話術の秘訣を訊いてみた。

 「まず与えられた時間の枠内で言いたいこと、やりたいことすべてをこなし、定時に終わる。次に『てにをは』を言い間違えたら冒頭に戻らず、先の表現を変える。『あのぉ〜』を言わない。話を始めた時点で、着地点を決めておく」

 ここまで厳格に管理しながら、次から次へと即興でダジャレを放ち、聴き手をリラックスさせるのだ。とびきりの人好き、コミュニケーション上手と納得した。(敬称略)

池辺晋一郎(いけべ・しんいちろう)さん
茨城県水戸市生まれ。東京藝術大学、同大学大学院修了。池内 友次郎、矢代 秋雄、三善 晃の諸氏に師事。1996年より2009年3月までの13年間、NHKテレビ「N響アワー」の司会を担当し、好評を博した。現在、東京音楽大学名誉教授、全日本合唱連盟顧問、横浜みなとみらいホール館長、東京オペラシティ・ミュージックディレクター、石川県立音楽堂洋楽監督などを務めている。作品には、交響曲No.1~10、ピアノ協奏曲No.1~3、チェロ協奏曲、オペラ「死神」、「鹿鳴館」、「高野聖」をはじめ、管弦楽曲、室内楽曲、合唱曲など多数あり、また、映画『影武者』、『楢山節考』、『うなぎ』、『スパイ・ゾルゲ』、『剱岳・点の記』、テレビ『独眼竜政宗』、『元禄繚乱』など多数の映画、ドラマ音楽の他、演劇音楽約470本を担当している。著書に『空を見てますか1~8』、『モーツァルトの音符たち』、『オーケストラの読みかた』など。