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[書評]『生存する意識』

エイドリアン・オーウェン 著 柴田裕之 訳

西 浩孝 編集者

生と死の境目を見つめる

 植物状態の患者と対話する? 奇妙な題名である。動くことができない、話すことができない、呼びかけにも応じない、つまりは意思疎通がほとんど不可能である。こういう人のことを植物状態と呼ぶのである。したがって彼らは、一般的には「言われたことを理解できない」「記憶や思考、感情を持たない」「喜びも痛みも感じられない」と思われている。そう考えることに不思議はない。

『生存する意識――植物状態の患者と対話する』(エイドリアン・オーウェン 著 柴田裕之 訳 みすず書房)定価:本体2800円+税拡大『生存する意識――植物状態の患者と対話する』(エイドリアン・オーウェン 著 柴田裕之 訳 みすず書房) 定価:本体2800円+税
 だが、本書の著者であるイギリス生まれの神経科学者は、「物事を認識する能力が皆無だと思われている植物状態の人の15〜20パーセントは、どんなかたちの外部刺激にもまったく反応しないにもかかわらず、完全に意識があることを発見した」というのである。

 いったい、どのようにして? 技術の進歩と、驚くべき探究心によってである。

 1990年代、まずPET(陽電子放射断層撮影)の登場により、脳のデータを取り、デジタル画像にすることが可能になった。脳の活動は酸素を必要とし、その酸素は血液によって運ばれる。だから血流が増えた部分が、活発に働いていることになる。これをスキャナーで計測すればよいというわけだ。

 ついでfMRI(機能的磁気共鳴画像法)である。PETスキャンは放射能を含む薬剤を用いるため放射線負荷の問題があったが、fMRIにはそれがない。被験者に対し、何度でもスキャンをおこなうことができる。しかも結果は目の前のコンピューター画面に、ほぼ一瞬にして現れる。画期的なテクノロジーだった。

 さて、こうした技術を駆使し、著者たちは何をしたのか。植物状態の患者は「意識がない」という。だが、彼らには本当に意識がないのか。それを確かめるためには、植物状態の患者にこちらから指示を出して応答させればよい。そこで考え出されたのが、次のような方法だった。患者をfMRIにかけて、なんと「テニスをしているところを想像してください」と言うのである。

 なぜテニスなのか? テニスの仕方は誰もが知っている。ラケットを手にして立ち、空中で腕を振ってボールを打つ。これだけだ。サッカーだとうまくいかない。ストライカー、ディフェンダー、キーパーと、それぞれ動きが異なるから、さまざまに想像が可能だ。もちろんテニスにも、サーブ、ボレー、スマッシュがあるが、空中で腕を振ることに変わりはない。さらに、テニスの想像はいったん始めると、スキャンするのに必要とされる30秒間にわたって簡単につづけられるのだ。

 もうひとつ、同じように有効な心象課題として、「自宅で部屋から部屋へと移動しているところを想像してください」というのが挙げられるという。

 このふたつを健常者で試験すると、テニスをしているところを想像したときは「運動前野」が盛んに活動する様子がスキャナーで捉えられ、自宅を歩きまわっているところを想像したときは「海馬傍回」というまったく別の領域が活性化した。やめるように言うと、活動は消えた。何度やっても変わりはなかった。参加者全員が同様の反応を示したのである。では、植物状態の患者の場合、どうだったか? はたして、一部の患者に対しては、健常者と同じ結果が得られたのである。

 この方法を応用すれば、質問を用意して、それに答えさせることもできる。イエスならテニスをするところを、ノーなら自宅で歩きまわるところを想像させればいいのだ。たとえば、「痛みがありますか?」と聞くことができる。返事があれば、その患者は、こちらの問いかけに耳を傾けており、しかも物事を認識していたことになる(以上の実験の様子をBBCがドキュメンタリーとして撮影した。こちらで見ることができる)。

 しかし、あとでわかるように、これは完璧な方法ではなかった。意識があっても、それを伝えられない場合がありうる。意識があることを伝えられないというだけでは、意識がないことにはならない。彼らが自分で報告できないなら、どうするか。著者たちは、今度は患者に映画を見せることを思いつく。健常者にスキャナーの中で同じ映画を見せると、話が展開していくうちに全員の脳が同期する。この現象を利用するのだ。

 実験の目的に最適な映画は、はっきりした筋立てがあり、物語が明瞭で徐々に展開し、際立った登場人物たちが明確に定義された役割を演じるものだ。そこでたどり着いたのが、サスペンスの神様、アルフレッド・ヒッチコックの映画だった。ある植物状態の患者にヒッチコックの映画を見せると、ストーリーの決定的な変わり目、すなわち画面で展開している物語を明確に理解することが不可欠な箇所のすべてで、前頭葉と頭頂葉が健常者とまったく同じように応答した。これは映画を「見ていた」だけでなく、映画を「経験していた」ことを意味する。なんということだろう。

 著者たちは、「完全に植物状態のように見えても、間違いなく意識があり、人生を最も微細なことにいたるまで経験している患者がいて、誰一人それに気づいていないことがありうる」ことを証明してみせた。これは、ある意味では恐ろしいことである。その人生は、いったいどういうものでありえるのか。生きることを望むのか、それとも「死んだほうがマシだ」と考えるのか。現在は、こうした状態から回復を遂げる人の例が報告されているものの(本書にもそういう人が登場する)、なぜ回復する人としない人がいるのかや、回復の仕方については、まだほとんどわかっていないという。

 そしてまたいっぽうで明らかになったのは、意識がある/ないという二分法では捉えきれない「グレイ・ゾーン」が存在するということだ。生きているとはどういうことか、人間であるとはどういうことか。本書は、生と死の境目を見つめることで、深遠な問題を提起する。重いテーマと言えるが、しかし筆致はさわやかであり、科学者らしい明快さによって読み通すのに困難はない。そのうえで、私たちの人生観に揺さぶりをかけてくる。

 「グレイ・ゾーンの科学とは、あらゆる人生の価値を肯定することだ」と著者は言う。「グレイ・ゾーンの科学には奇妙なところがある。患者たちは植物状態のたぐいのカテゴリーにひとまとめに分類されるので、みな何かよく似ているという誤解を生むが、現実には、患者は一人ひとり完全に異なる」。よく考えれば、当たり前のことである。だが、そのことに気づくのは、案外むずかしい。

 本書は科学書というより、むしろ哲学書に近いかもしれない。何度でも読み返したくなる。生きることへの傲慢さを戒め、他者への敬意を取り戻させてくれる何かが、著者の探究には秘められているようだ。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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*三省堂書店×WEBRONZA 「神保町の匠」とは?
年間2万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

筆者

西 浩孝

西 浩孝(にし・ひろたか) 編集者

1982年、富山県生まれ。現在、長崎市在住。2016年9月まで大月書店編集部に勤務。その間、川原一之『闇こそ砦 上野英信の軌跡』、宮地尚子『傷を愛せるか』、アモス・オズ『わたしたちが正しい場所に花は咲かない』、永田浩三『ベン・シャーンを追いかけて』等を編集。2017年に「編集室 水平線」を立ち上げる。木村哲也『来者の群像――大江満雄とハンセン病療養所の詩人たち』、渋谷直人『遠い声がする――渋谷直人評論集』、藤井貞和『非戦へ――物語平和論』を刊行(2018年現在)。その他の仕事に、岡田秀則・浦辻宏昌編著『そっちやない、こっちや――映画監督・柳澤壽男の世界』(新宿書房)など。編集室水平線ウェブサイト