2018年11月02日
トロント国際映画祭で思い至るのが、神童と呼ばれた男、ケベック出身の映画監督グザヴィエ・ドランである。
彼の長編7作目となる新作『ジョン・F・ドノヴァンの生と死』は、今回、トロント映画祭でプレミア上映された。テレビスターの青年と、俳優志望の少年が文通で交流する話で、大人になった少年の回想劇にもなっている。ドランは8歳の時に、実際に本人が憧れのレオナルド・ディカプリオに向けファンレターを送ったことがあるため、本作はドラン自身の過去ともリンクする。ただし映画中の少年とは違い、ディカプリオから返事をもらえなかったドランは、保管していた手紙をトロントのガラ上映の際に壇上から読み上げ、話題となっていた。
本作は長らくカンヌ映画祭に出ると噂されていたが、編集の遅れを理由に出品はされなかった。そして、「次はベネチアか」と囁かれたが、こちらも謎のスルー。結局、コンペティション部門を持たないトロントの方に、しれっと流れてきたのだった。
実は、本人が告白したところによると、映画祭の間は別の新作『マティアスとマキシム』の撮影中で、トロントでは「心ここにあらず」状態だったとか。だが、見ている限りはどうもそれ以前の問題のようで、なるべくジャーナリストとの接触を避けている様子が伺えたのである。
そんな邪推をしてしまったのは、2016年のカンヌで、『たかが世界の終わり』が酷評された際、かなり傷ついた様子だったからだ。本作は結果的にグランプリを獲得したが、現地のジャーナリストからは評判が非常に悪かった。記者会見では、「これは自分の最良の映画」と主張はしたものの、その表情は固く、必要以上にナーバスになっていたように見えた。生粋の芸術家は感受性も強く傷つきやすいだろうが、この時から、ジャーナリスト嫌いが始まっていた気がする。
例えば、もしもジャーナリストが気にならぬのなら、アルフォンソ・キュアロンやジャック・オディアールのように、時期の近い8~9月のベネチアの後に立て続けにトロントに出品するという、近年流行りの「アカデミー賞狙いの黄金ルート」に乗れたはずである。特に、オディアールの『ザ・シスターズ・ブラザーズ』のように、今回の『ジョン・F・ドノヴァンの生と死』は、ハリウッドの俳優を起用した初めての英語作品だから、条件的には王道の作品賞狙いにうってつけなのだ。だが、この黄金ルートには乗らなかった。
さて、ドラン作品の肝心の評判だが、残念ながら今回も最初のガラ上映直後は、ネガティブな評価が目立った。「3500万ドル(約39億円)の予算と素晴らしい配役(ナタリー・ポートマン、キャシー・ベイツ、スーザン・サランドンなど)にもかかわらず、結果は期待外れ」「ドランの誤った歩み」「自分のパロディをしている」などなど散々な言われよう。室内劇のメロドラマはドランの十八番ではあるが、ナタリー・ポートマンに無駄な感情演技をさせたりと、少々、空回りドラマに見えたのは残念だった。でも毎回、『Mommy/マミー』並みの傑作を望むのは酷なことではあるだろう。それに、まだ29歳。ブレーキ全開で生き急がなくても良いのにな、とも思う。
とはいえ、思うに今回ドランは、
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