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「目からウロコ」の響きを求める小倉貴久子さん

第48回JXTG音楽賞で洋楽部門奨励賞を受賞したフォルテピアノ演奏の第一人者

池田卓夫 音楽ジャーナリスト@いけたく本舗

モダンピアノが抱えるリスク

 作曲家のアイデアは楽譜に記された様々な記号を介して「後の世にも伝わる」と、一般には考えられている。小倉がアムステルダムで痛感したのは「記号とは、あくまで作曲家の眼前に置かれた楽器を前提に書いたものであり、モダンピアノでそのまま再現すると、違う効果を発揮してしまうリスクが高まる」という苦い現実だった。

 「例えば休符の持つ意味。音の立ち上がり(発音)と減衰がフォルテピアノとモダンピアノでは全く異なるのです。そもそも弦の張り方が違います。フォルテピアノは平行に張るので対位法の響きが明確、バロック音楽の通奏低音の名残もあって、低音の上にメロディーを乗せていく感じです。これに対しモダンピアノは弦を交差させているために混濁を避けようと最初から高音を強調、メロディーを際立たせる効果を持たせています」

 「楽器のフレームも最初は木だけでしたから、ヴァイオリンやチェロといった弦楽器と同じでした。ピアノの発達に従って表現できる音域が広がり、音量も増やそうと、弦が次第に太くなる過程で重量を支える必要が生じ、金属を取り入れます。19世紀半ばからは金属自体の共鳴も重視してどんどん比重が高まり、音の安定も得たのです。現代の芸術の広がりを否定する立場ではありませんが、モダンピアノが作曲家のメッセージをダイレクトに伝えているかどうかは、もっと慎重に考える必要がありますね」

「完成されていない音」を愛する

 美意識の観点からピリオド楽器、その奏法の重要性を世界に向けて説いた音楽学者で指揮者、チェロ&ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者のニコラウス・アーノンクール(1929〜2016)に筆者は2005年、京都市内でインタビューしたことがある。「20世紀後半、北米のオーケストラ界ではジョージ・セル、フリッツ・ライナーら主にハンガリーから合衆国へ渡った厳格な指揮者たちが、正確無比の演奏を究めた。ミスを徹底的に嫌い、金管楽器をどんどん小型に改良して均等な響きを出しやすくした結果、オーケストラはロボットに堕した。美と正確の両立など、ありえない」と、モダン楽器の〝暴走〟を批判した。

 アーノンクールは、不均等な音の並びから独特の抑揚や語りが生まれる「修辞法としての音楽」の復権に生涯をかけた音楽家だった。小倉もフォルテピアノの「完成されていない音」を、こよなく愛する。「モダンピアノの安定を過大評価するのは、ゴッホの絵に対し『もっと上手に描けなかったの?』と疑問を投げかけるのにも似た発想です」

ニコラウス・アーノンクールさん拡大ニコラウス・アーノンクールさん

 少し専門的になるが、音楽学では「不均等な音たち」を「ノート・イネガル」と呼ぶ。「音の立ち上がり、減衰とも、モダンピアノより早いフォルテピアノでは、イネガルで語りかけるように弾くのが当たり前。特に『イネガル』の指示を記さない場合も多いです。逆に『ノート・エガール』(均等に)と書かれていたら、融通の利かない人物の描写とか、一種のスパイス効果を狙っての指示でした」


筆者

池田卓夫

池田卓夫(いけだ・たくお) 音楽ジャーナリスト@いけたく本舗

1958年東京都生まれ。81年に早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業、(株)日本経済新聞社に記者として入社。企業や株式市場の取材を担当、88〜91年のフランクフルト支局長時代に「ベルリンの壁」崩壊からドイツ統一までを現地から報道した。音楽についての執筆は高校在学中に始め専門誌へも寄稿していた。日経社内でも93年に文化部へ移動、95〜2011年に編集委員を務めた。18年9月に退社後は「音楽ジャーナリスト@いけたく本舗」を名乗り、フリーランスの執筆、プロデュース、解説MC、コンクール審査などを続けている。12年に会津若松市で初演(18年再演)したオペラ「白虎」(加藤昌則作曲)ではエグゼクティブプロデューサーとなり、三菱UFJ信託芸術文化財団の佐川吉男賞を受けた。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです