2018年11月06日
東京国際映画祭は今年で31回目を迎えたが、コンペを全作品見た感想で言うと、「例年通り」。グランプリの『アマンダ』を始めとしてハイレベルの作品もあるが、そうでない作品と玉石混交のように混じっていた。アジアの作品は世界初上映だが、欧米作品はまずほかの映画祭に出品済み。邦画2本はこれが今年の日本の代表とは思えないほど中くらい。今年は何か変わるかもと期待していたが、何もなかった。
実は、昨年(2017年)この映画祭に大きな動きがあった。3月にトップが椎名保氏から久松猛朗氏に変わったのだ。当然ながら1年目の昨年10月では時期や会場やコンセプトも含めて新しいカラーを出すのは難しい。今年こそはまさに「やりたいこと」が出てくるかと思ったが、見当たらなかった。
2008年にトップになった依田巽氏は「エコロジー」を前面に押し出し、緑色をシンボルカラーにした。彼はこの映画祭が、カンヌ、ベネチア、ベルリンの三大国際映画祭に並ぶ存在になるためには日本人がディレクターでは無理と、ベネチア映画祭を辞めたばかりのマルコ・ミュラーの起用さえ具体的に準備していた。2013年に依田氏から引き継いだ椎名氏は、アニメ重視を打ち出したほか、1年間の話題の日本映画を集めた「JAPAN NOW」や古典のデジタル修復版を集めた「日本映画クラシックス」のほか、「歌舞伎座スペシャルナイト」を始めた。1年分の新作や古典の上映は、私がここで提案したことでもあった。
連載 東京国際映画祭はどこがダメなのか――[3]誰のための映画祭か
ところが今年のラインナップを見る限り、新しい動きは見えない。あえて言えば去年から始まった「ミッドナイト・フィルム・フェス!」と「TIFFマスタークラス」と「TIFFティーンズ映画教室」くらいで、上映というよりイベントに近い。
しかし東京は1985年の創立当初からいつも内外から批判されてきた。最初は誰が選んでいるかわからないという「ディレクター不在」が言われ、今世紀になってようやくディレクターをはっきりと立てたが、レベルが低い、世界初上映の作品が揃わない、と批判を受けてきた。1996年に始まった釜山のように、東京よりも後発の映画祭にも、アジア映画の登竜門やアジア映画見本市としての位置を奪われてしまった。
依田氏はそのことに敏感だった初めてのトップだった。依田氏の1年前から着任しているコンペ部門のプログラミング・ディレクターの矢田部吉彦氏とアジア映画部門のプログラミング・ディレクター石坂健治氏という2人による作品選定さえも変えようとしていた。その後、椎名氏はその2枚看板を変えずに、国の予算が増えたこともあってアニメなどの部門を増やすことで魅力を出そうと努めた。ところが久松氏には2年目に至っても改革のサインが見えない。まるで「これでいい」と開き直っているかのように見える。
今回、「これでいい」という開き直りを感じた3つの出来事があった。
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