愛があるから世話をするだけでなく、世話をするからこそ愛するようになる
2018年11月15日
もし生まれてきた自分の子どもが障がいを抱えていたら、どうしただろうか?
もし自分の子どもがLGBTだと告白してきたら、どうしただろうか?
もし自分の子どもにネグレクトや虐待をしてしまったら、それは愛していないということなのだろうか?
こんなことを考えさせられる世界的ベストセラー「FAR FROM THE TREE」が映画化された。日本でも11月17日からドキュメンタリー映画「いろとりどりの親子」として公開される。
原作者で出演もしている作家アンドリュー・ソロモンさんへのインタビューや、朝日新聞に寄せられた若い世代のメッセージを通して、多様性を認め合う社会について考えた。2回に分けて報告したい。
映画は、ダウン症、自閉症、低身長症、ゲイ、犯罪、こういった「違い」を持った子どもと親の、それぞれの物語が束ねられている。
「普通に生まれてきてくれるだけでいい」「人並みに育ってくれればいい」。私たち親は、漠然とだが、こんな言葉をよく口にしてしまう。
この映画で取り上げられているような障がい、つまり親との「違い」を持った子どもが生まれてきたら、困難な人生を想像し、絶望感や不安を抱く人が多いだろう。
アンドリューさんは現在、コロンビア大学メディカルセンターの臨床心理学の教授であり、PENアメリカン・センターの会長もしている。2012年に出版された原作本は、24カ国語に翻訳され、世界的なベストセラーになった。
少しだけ映画の内容を紹介しよう。
低身長症の女性は、過保護な親から家の外に出してもらえず、「私の気持ちを分かっていない」と反発する。
「もっと外に出たい」「いつか恋人も欲しいわ」
そしてこう告白している。
「子どもの頃は知らなかった。私みたいな人が他にもいるなんて」
フロリダのホテルで開かれた低身長症の人たちの団体の会合で、友だちを得て、「違い」を抱えつつも普通の人生を楽しむことを知る。
なかなか言葉を話さないことで病院に行った母親は、息子が自閉症だと診断を受ける。両親はありとあらゆる治療法を試したが、息子はストレスがたまっていく。コミュニケーションが取れず、互いの気持ちがわかり合えない中、ある小児科医と出会い、タイプを通じて話せることを発見する。
両親は、絶望から希望の道筋を見いだしていく。
ダウン症の仲間3人と一緒に一軒家でもう13年も暮らす息子の「違い」を、母親はやっと「個性」として受け入れられるようになった。ただ、生まれた直後、医師から「『歩行も会話も読み書きも無理でしょう』と言われたことは本当に怖かったわ。まるで額に『知恵遅れ』と刻印を押されたような気分だった」という。それでも、両親は息子のことをそこで見捨てず、「学べるはずだ」と考え、努力していった。しかし、母は「彼の成長の限界を悟った時、私の夢は終わった」という。
アンドリューさんは、「親が子どもを受け入れることは、生涯かかるプロセス」と語っている。
私は、この映画の試写を見て、この本の原作者であるアンドリューさんにいくつか話を聞きたくなった。日本での配給会社ロングライドを通じて、メールで答えてもらった。日本語訳もロングライドがおこなった。
――アンドリューさんが「FAR FROM THE TREE」の著者として、映画化によって多くの人に伝えたいメッセージは何ですか。
本と映画で伝えたいメッセージはいくつかあります。まず、ネグレクトや虐待をしてしまった親の話を聞くと、多くの場合、子どもを愛していて、彼らにとっての最良を望んでいます。そして、子どもに愛があるから彼らの世話をするだけでなく、世話をするからこそ彼らを愛するようになるということです。
私の本や映画で取り上げられた子どもたちは大きなケアが必要ですが、同時に深い愛も得ることができるのです。さらに、困難な時期を乗り越え彼らを愛するプロセスは、深遠で恩恵に満ち、それ故に、家族は避けようとしていた人生に感謝するようになります。
本作が伝えるのは、困難を抱えた子どもたちを愛することを学んだだけでなく、その行為に計り知れない意義を見出す人々のストーリーです。
――身体障がい、発達障がい、LGBTなど、親とは「違う」子どもを抱えた親と子にインタビューをしていくきっかけと、それを300組以上続け、社会に伝えていかなければならなかった理由を教えてください。
私がインタビューを始めたのは、家族が「違い」をどう乗り越えるかを理解したかったからです。直接の理由は、私がゲイである事実を私自身の両親はどう受け入れたかを理解したかったからです。
1994年にNYタイムズ紙の編集者にろう文化についての執筆を依頼され、ろうの世界に飛び込み、共通の手話という言語を通してつながる世界があること、ろうの方の多くはろうではない親の家庭に生まれ、青年期以降にろう文化に初めて出会い、それが彼らにとってとても大きな体験であることなどを知りました。同じことがゲイについても言えます。そして、私の友人の娘さんが低身長症で、低身長の多くは普通身長の親から生まれ、その母親が低身長の文化を理解するために苦労したことを知りました。
自分たちを普通だと思っている家族に「普通」を超えた子どもは生まれ、どうしたら彼らと子どもたち双方にとってより良い人生を送れるか、自ら進んで選択したのではない人生でどうしたら尊厳を保つことができるかを模索し、最後には大きな意義を見つける、ということを何度も実感したのです。
――アンドリューさんがこのプロジェクトを初めて10年以上が過ぎましたが、始めた当時と今では、親とは「違う」子どもを抱えた親と子に対する社会の受け止め方は、変わったと思いますか。変わった点と依然変わらない点を教えてください。
概して、社会の中で多様性の受け入れは進んでいます。まだ道のりは長いですが。少なくともアメリカは今、トランプ政権と不寛容の時代、過去数十年で出来上がったリベラリズムに疑問が投げかけられている時代にあります。
情報が豊富で開かれた輪の中では簡単ですが、偏見が深く根付き、“違う”人に対する恐れが至る所にあります。しかし“違い”を持つ彼らは必ずしも敵ではありません。彼らの多くはとても意義のある違いを持っているのです。障がいは進んで選ぶものではありませんが、障がいを持つ人々は豊かで恩恵のある人生を生き、それを手放そうとは思いません。(低身長症の)リアが言ったように“治すところなんてない”のです。
――過去40年の間で、病気だとみなされていた同性愛が、個性として認められるようになった社会の変化のプロセスにアンドリューさんは興味を持ち、「FAR FROM THE TREE」のプロジェクトを始めたそうですね。アンドリューさんは、「治療すべきものと(個性として)祝福すべきものの境目」はどこにあると思いますか。
私は個人や家族、社会、文脈によって境目は異なると思います。ある人は困難に大きな意義を見出し、そうでない人もいます。自尊心を強く主張できる人もいる一方、自己批判で惨めな思いをする人もいます。誰もが自分自身の境目を決めなければならないのです。そしてその境界は個人・家族・社会の変革の結果、変わり続けることに気づかなければならないのです。それぞれが変化を経験し、非難を受けていた違いを受け入れるのを簡単に感じたり、困難に感じたりします。
私はより大きな社会、世界中で、違いを非難することから離れ、受容に向けて歩んで欲しいと願っています。しかしその道のりは長く大変な道のりで、突発的で、そうスムーズには進まないのです。
▼原作本「FAR FROM THE TREE」の日本語版は、2019年に出版社「海と月社」より発売予定。
▼映画公式サイトはこちら
※後編は「障がいって言うけれど…若い世代の叫び」です。若い世代が障がいについて朝日新聞に投稿した内容を紹介しつつ、この映画のレイチェル・ドレッィン監督から投稿してくれた若い世代へのメッセージを伝えます。
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