徳留絹枝 (とくどめ・きぬえ) ブログ「ユダヤ人と日本:理解と友情の架け橋のために」管理者
シカゴ大学で国際関係論修士号取得。サイモン・ウィーゼンタール・センターのアドバイザー。著書に『旧アメリカ兵捕虜との和解:もうひとつの日米戦史』、『忘れない勇気』、『命のパスポート』(エブラハム・クーパー師と共著)など。日本で知られないイスラエルの横顔に関する本を執筆中。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
イスラエル北部にあるセフェドは、北はレバノン、東はシリアとの国境に近い人口3万5000人の小都市だ。ガリラヤ湖を望む丘の斜面に広がるこの美しい都市の歴史は、聖書の時代まで遡る。
この地にあるジブ・メディカル・センターはこの5年半、1500人あまりのシリア人負傷者や病人を治療してきた。それはやがて、イスラエル軍の「良き隣人作戦」として知られるようになるが、アサド軍が国境地帯を再制圧したこの夏、終了した。
先日私は、サイモン・ウィーゼンタール・センター副館長のエブラハム・クーパー師とクーパー夫人と共にこの病院を訪れ、二人の医師から実際に起こったことを詳しく聞く機会に恵まれた。迎えてくれたのは、サルマン・ザーカ病院長と新生児科長のエリック・シンウェル医師だった。
まずザーカ病院長が、病院の概要を説明してくれた。
「この病院は350床の中小規模の公立病院で、1700人のスタッフが働いています。ユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒など、文化的にも宗教的にもモザイクのようなイスラエル北部の住民約30万人に医療を提供しています。またこの病院はレバノンとシリアとの国境に近いことから、いつでも戦争の事態に備えなければなりません。2006年の第2次レバノン戦争の時は、病院自体がヒズボラのミサイルの直撃を受ける中、33日間にわたって1000人以上の住民とイスラエル軍兵士の負傷者に治療活動を続けました」