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敵国人に医療を施したイスラエルの病院を訪ねて

徳留絹枝  ブログ「ユダヤ人と日本:理解と友情の架け橋のために」管理者

突然国境に現れたシリア人

 ザーカ病院長は続けて、シリア人に医療を提供することになった経緯を説明した。

 「それは2013年2月16日の土曜日に始まりました。重軽傷を負った7人のシリア人がゴラン高原の国境に近づいてきたのです。全く突然のことでした。国境沿いに駐屯していたイスラエル軍の医療班は、全員を病院に搬送する必要があると判断しました。それで軍の救急車に乗せられて、この病院に運ばれてきたのです。手術が必要な患者もいて、彼らは10日間入院した後でシリア側に送還されました。

 これは極秘の治療で、メディアにも知られないようにしました。彼らは入院中、一般患者からは隔離された部屋で、兵士と警官に警護されて治療を受けました。

 私たちは、今後これが続くような場合、どうするのか、方針を決めなければなりませんでした。当時、私はイスラエル軍の中佐で、北部方面隊医療部隊の指揮官を務め終えたところでしたので、まず軍関係者と相談し、地域のパートナーとも話し合いを持ちました。

 2011年に始まったシリア内戦はその時点で、2年が経過していました。イスラエルは、シリアの国内問題には介入しないという政策を取っていました。しかし私たちは、内戦で傷ついた人々はもっとやって来るだろうという結論に達しました。それにどう対応するのか。このような状況下では、国境を閉鎖することも国際法上認められていました。でも私たちは考えました。私たちには彼らに医療を提供するリソースがある。むしろ支援の手を差し伸べるべきではないか、と。

 シリアと聞いて誰もが考えるのは、双方に夥しい数の死者が出たヨム・キプル戦争(1973年)のことです。ゴラン高原は、血塗られたその戦争の記念碑で満ちています。やって来るのが長年の敵国民であることを思えば、簡単な決断ではありませんでした。でも、軍そして政府の意見も、シリア人を受け入れて治療を施すべきというものだったことを、私は本当に嬉しく思っています」

 ここでシンウェル医師が、付け足した。

 「全員が賛成したわけではなかったんですよ。私たちがシリア人を治療していることが公になった後、抗議の手紙や、国境を開くことに反対する社説が新聞に掲載されたりしました」

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筆者

徳留絹枝 

徳留絹枝 (とくどめ・きぬえ) ブログ「ユダヤ人と日本:理解と友情の架け橋のために」管理者

シカゴ大学で国際関係論修士号取得。サイモン・ウィーゼンタール・センターのアドバイザー。著書に『旧アメリカ兵捕虜との和解:もうひとつの日米戦史』、『忘れない勇気』、『命のパスポート』(エブラハム・クーパー師と共著)など。日本で知られないイスラエルの横顔に関する本を執筆中。