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敵国人に医療を施したイスラエルの病院を訪ねて

徳留絹枝  ブログ「ユダヤ人と日本:理解と友情の架け橋のために」管理者

ジブ・メディカル・センター

ジブ・メディカル・センター(後方はガリラヤ湖)
(Photo from the website of Ziv Medical Center)

ジブ・メディカル・センター( 後方はガリラヤ湖) =(Photo from the website of Ziv Medical Center)
 イスラエル北部にあるセフェドは、北はレバノン、東はシリアとの国境に近い人口3万5000人の小都市だ。ガリラヤ湖を望む丘の斜面に広がるこの美しい都市の歴史は、聖書の時代まで遡る。

 この地にあるジブ・メディカル・センターはこの5年半、1500人あまりのシリア人負傷者や病人を治療してきた。それはやがて、イスラエル軍の「良き隣人作戦」として知られるようになるが、アサド軍が国境地帯を再制圧したこの夏、終了した。

 先日私は、サイモン・ウィーゼンタール・センター副館長のエブラハム・クーパー師とクーパー夫人と共にこの病院を訪れ、二人の医師から実際に起こったことを詳しく聞く機会に恵まれた。迎えてくれたのは、サルマン・ザーカ病院長と新生児科長のエリック・シンウェル医師だった。

筆者  ザーカ病院長  シンウェル医師  クーパー師左から筆者、ザーカ病院長、シンウェル医師、クーパー師
 まずザーカ病院長が、病院の概要を説明してくれた。

 「この病院は350床の中小規模の公立病院で、1700人のスタッフが働いています。ユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒など、文化的にも宗教的にもモザイクのようなイスラエル北部の住民約30万人に医療を提供しています。またこの病院はレバノンとシリアとの国境に近いことから、いつでも戦争の事態に備えなければなりません。2006年の第2次レバノン戦争の時は、病院自体がヒズボラのミサイルの直撃を受ける中、33日間にわたって1000人以上の住民とイスラエル軍兵士の負傷者に治療活動を続けました」

突然国境に現れたシリア人

 ザーカ病院長は続けて、シリア人に医療を提供することになった経緯を説明した。

 「それは2013年2月16日の土曜日に始まりました。重軽傷を負った7人のシリア人がゴラン高原の国境に近づいてきたのです。全く突然のことでした。国境沿いに駐屯していたイスラエル軍の医療班は、全員を病院に搬送する必要があると判断しました。それで軍の救急車に乗せられて、この病院に運ばれてきたのです。手術が必要な患者もいて、彼らは10日間入院した後でシリア側に送還されました。

 これは極秘の治療で、メディアにも知られないようにしました。彼らは入院中、一般患者からは隔離された部屋で、兵士と警官に警護されて治療を受けました。

 私たちは、今後これが続くような場合、どうするのか、方針を決めなければなりませんでした。当時、私はイスラエル軍の中佐で、北部方面隊医療部隊の指揮官を務め終えたところでしたので、まず軍関係者と相談し、地域のパートナーとも話し合いを持ちました。

 2011年に始まったシリア内戦はその時点で、2年が経過していました。イスラエルは、シリアの国内問題には介入しないという政策を取っていました。しかし私たちは、内戦で傷ついた人々はもっとやって来るだろうという結論に達しました。それにどう対応するのか。このような状況下では、国境を閉鎖することも国際法上認められていました。でも私たちは考えました。私たちには彼らに医療を提供するリソースがある。むしろ支援の手を差し伸べるべきではないか、と。

 シリアと聞いて誰もが考えるのは、双方に夥しい数の死者が出たヨム・キプル戦争(1973年)のことです。ゴラン高原は、血塗られたその戦争の記念碑で満ちています。やって来るのが長年の敵国民であることを思えば、簡単な決断ではありませんでした。でも、軍そして政府の意見も、シリア人を受け入れて治療を施すべきというものだったことを、私は本当に嬉しく思っています」

 ここでシンウェル医師が、付け足した。

 「全員が賛成したわけではなかったんですよ。私たちがシリア人を治療していることが公になった後、抗議の手紙や、国境を開くことに反対する社説が新聞に掲載されたりしました」

イスラエル人と同じ医療を

 「彼らがこの病院に運ばれてきてからも、さまざまな問題が起こりました。まず、患者がそれまでどのような治療を受けていたのか全く分かりませんでした。アレルギーがあるのか、どんな薬を飲んでいたのかも分かりません。時には開腹手術をしてみて、やっと、以前受けていた処置が悪化していたことが分かったケースもありました。

 次の問題は、彼らにどの程度の治療を施すかということです。ご存知の通り、これまでイスラエル軍の医療部隊は、世界中の被災地に赴いて緊急医療を提供してきました。通常それは2週間ほどの期間で行われるもので、世界保健機関(WHO)の人道支援の基準に基づいた治療です。目的は生命を救うことで、その後の生活の質を上げることではありません。大規模被災地ではリソースも治療時間も限られています。例えば足に重傷を負った患者への治療は、足を切断することです。残念にも足は失うことになりますが、命は救えます。

 しかし、イスラエル国内の基準は違います。交通事故に遭って足を怪我した患者がこの病院に運び込まれてきたら、私たちは何とか足を残そうと、8回でも10回でも手術を繰り返すでしょう。そして数か月入院させてリハビリテーションを行い、歩いて退院ということになります。それで、手を失いかけた少女がやって来たとき、どうするか議論になりました。彼女の手を切断するだけで、シリアに帰すこともできました。でも私たちは、(手を救う)リソースがありながらそれを使わないと決断することには、倫理的な問題があるのではないかと考えたのです。そして軍と話し合った結果、軍が、イスラエル兵を治療するのにかかる治療費と同額を、私たちの病院に支払うことになりました。こうして私たちは、シリア人をイスラエルの基準で治療できるようになったのです」

 次の問題をシンウェル医師が説明した。

 「次に直面したのは、この病院のリソースをシリア人のために使うことで地元の患者に与える影響の問題です。実際この件ではいざこざもありました。集中治療室がシリア人患者でいっぱいのとき、イスラエル人患者が運び込まれてきて、それぞれの医者が口論していたことを私は覚えています。

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