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[書評]『司馬江漢』

池内了 著

松本裕喜 編集者

すばらしい好奇心のひと

 司馬江漢と言えば日本で最初の腐蝕銅版画の制作と遠近法を使った独自の油絵で名高いが、歌麿、写楽、北斎、広重などの浮世絵師、若冲、蕭白、芦雪などの「奇想の系譜」の画家たちと比べると今は地味な存在ではないだろうか。

『司馬江漢――「江戸のダ・ヴィンチ」の型破り人生』(池内了 著 集英社新書)定価:本体940円+税拡大『司馬江漢――「江戸のダ・ヴィンチ」の型破り人生』(池内了 著 集英社新書) 定価:本体940円+税
 この本を書店で見て、現代科学の最前線で論陣を張る池内了さんが司馬江漢を「江戸のダ・ヴィンチ」に見立てていることにまず注目した。洋風画家江漢のどんな点がレオナルド・ダ・ヴィンチに比肩しうるのだろうか。以下、画家から窮理師(科学者)へいたる江漢の歩みをスケッチすると――。

 江漢は1747年、現在の浜松町あたりの商人の家に生まれた。最初は狩野派に学び、19歳のころ浮世絵師鈴木春信に師事する。春信の住む神田白壁町の長屋に入居してきたのが平賀源内で、江漢は源内からヨンストンの『鳥獣図鑑』などを借りて西洋画の写実を学ぶ。

 1773年、鉱山開発のため秋田に赴いた源内は、陰影法や遠近法などの洋風画の技術を小田野直武や佐竹曙山に伝え、秋田蘭画の基礎を作った。江漢も源内や直武から洋風画の技術を学んだようだ。

 源内の次に白壁町の長屋に来たのが南蘋派(唐画)の画家宋紫石であった。春信の死後江漢は宋紫石に師事、唐画の技法も身に着けた。

 1779年、江漢はオランダ語を学ぶために前野良沢に入門、蘭学社中の一員になった。オランダ語は上達しなかったようだが、そこで知り合った大槻玄沢にオランダ語の辞典から銅版画の制作技術に関する項目を翻訳してもらい、1783年、腐蝕銅版画による「三囲景図」を制作した。銅版画は木版より細かな線と色彩が描け、虫や植物の観察図に向き、江漢が得意とした「眼鏡絵」(眼鏡越しに見ることで絵に遠近がつき立体的に見える)にも適していた。

 1788年4月、江漢は絵画研究の目的で長崎に旅立つ。画家としての盛名も上がっていた江漢は、道中、藩主や富商たちに速筆で絵を描いては画料を得、旅費とした。10月、長崎に到着後は、オランダ通詞の吉雄耕牛、元木良永を訪ね、江戸の商人に変装して出島にも入り、港に停泊していたオランダ船を見物するなど旺盛な探究心を発揮した。平戸では当時の最高の文化人松浦静山から、彼が蒐集したオランダ書を見せてもらった。また生月島で鯨漁と鯨の解体作業も観察した。

 江戸に戻ったのは翌年4月だったが、絵の修行よりも窮理学(西洋科学)に目覚めた旅だったようだ。後年に完成した『江漢西遊日記』(1815年)は日記文学の傑作といわれる。

 長崎旅行を間にはさむ前後20年間が江漢の才能が最も輝いた時期だと著者はいう。この間江漢は自ら創製した精緻な銅版画で世間をあっと言わせる一方、地球は丸く、宇宙は太陽を中心に回っていることなど、地理学・天文学・科学機器の知識を深め、挿絵を使った啓蒙書を多く書いた。

 こうした江漢の窮理学(とくに天文学)がじつに分かりやすく紹介されているのがこの本の最大の魅力だろう。江漢の窮理学は啓蒙の学、趣味の学にとどまり真の科学に脱皮することはなかったが、「時代の科学らしきものを人々が楽しんだこと」自体を評価したいと著者はいう。これは現代でも同じような状況なのかもしれない。

 江漢は1792年に銅版画「輿地全図」とその解説書『輿地略説』、翌93年、「地球全図」とその解説書『地球全図略説』を出した。地球図を描く過程で江漢は地球の姿を客観的な目で眺められるようになったのではないかと著者は推測する。この段階の江漢は天動説に立ち、地球は円球で日月が周りをまわって昼夜をなすとみていたが、『地球全図略説』では月食・日食を図入りで示した後、日本の本では初めて「地動の説」(地動説)を紹介した。

 そして1796年の「天球全図」で「太陽は天の中心にあって場所を変えず、地球は自転して一昼夜をなす」と地動説の立場を鮮明にした。同年の『和蘭天説』では「宇宙の中にはさらに別の太陽があり、また一つの宇宙を成している。そこの太陽も月も星たちもまた宇宙を成している」と恒星宇宙への想像を広げる。また本書で江漢は地球は水から成ると主張、「万物の根源としての水火二元論」を展開した。ダ・ヴィンチも「生命の体液」としての水の観察と分析を続け『水の運動と測定』という研究ノートを残している。

 江漢には医学・生理学関係の著作はほとんどないが、『種痘伝法』(1812年)では種痘は疱瘡に対しては画期的な治療法であり、だれもが種痘を受けるよう説いた。

 最後の著作『天地理譚』(1816年)では天文・地象・気象・生物・水火二元論などを説き、「草木開き、実を結ぶ理」「風の理」「地震の理」「雪降りの理」「虹の理」「海水塩となる理」など、みんなが当たり前だと思ってその理由を考えなかった事柄を解説した。今でいえば、NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる!」である。著者は、江漢が説く「理」にはいい加減なものが多かったが、貴重な試みだと評価する。辞典などでも意味を問う必要もないような普通の言葉・事項の解説は難しいと聞く。

 同じ本で江漢は望遠鏡や顕微鏡(の原理)、温度計や湿度計、気船(熱気球)などを図入りで紹介し、使い方まで解説している。この熱気球は実際には飛ばなかったようだが、江漢は空に浮かぶ船に胸を躍らせたようだ。人が鳥のように空を飛ぶことはダ・ヴィンチの夢でもあった。なんともすばらしい好奇心の人というべきであろうか。

 江漢は広大な天地のなかで生きる人間の小ささについては十分自覚的であった(『和蘭通舶』)一方で、生涯、我の強い目立ちたがり屋でもあったようだ。蘭学仲間から「こうまんうそ八」とまで言われたその傍若無人なふるまい、数え年62歳で年齢を9歳加算して「七十一翁」と年齢詐称に及んだこと、「七十六翁司馬無言辞世ノ語」と書いたチラシを江戸市中だけでなく京・大坂にも配った「偽死騒動」など江漢の型破りな生き方も紹介されている。絵は描き続けた(富士山が好きでよく描いた)が、蘭学仲間とは離反し、友人にも恵まれず、孤独な晩年を送ったらしい。

 窮理師江漢に焦点を当てた上で周到な目次立てで構成された本である。司馬江漢(1747~1818)は死後200年にして、とても素敵な友人(科学の友)に出合えたのではないだろうか。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

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年間2万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

筆者

松本裕喜

松本裕喜(まつもと・ひろき) 編集者

1949年、愛媛県生まれ。40年間勤務した三省堂では、『日本の建築明治大正昭和』(全10巻)、『都市のジャーナリズム』シリーズ、『江戸東京学事典』、『戦後史大事典』、『民間学事典』、『哲学大図鑑』、『心理学大図鑑』、『一語の辞典』シリーズ、『三省堂名歌名句辞典』などを編集。2013年退職後、俳句雑誌『鬼』編集長。本を読むのが遅いのが、弱点。