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日本は「和解・癒やし財団」解散を非難できない

「慰安婦」問題に対する政府の責務

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

韓国外交省前で、日韓慰安婦合意に基づいて設置された財団の「即時解散」を求めてデモをする金福童さん(中央)=2018年9月3日、ソウル韓国外交省前で、「和解・癒やし財団」の「即時解散」を求めた元慰安婦の金福童さん=2018年9月3日、ソウル

 「慰安婦」問題が日韓間の懸案となって久しい。2015年末に、安倍政権・朴政権の間でこれに関する日韓合意(以下「合意」)が結ばれたが、その後に成立した文政権は本年(2018年)11月21日、「合意」に基づき日本の拠出金10億円を下に韓国政府が設立した「和解・癒やし財団」(以下「財団」)を解散する、と発表した。以降、日本国内では官民を問わず、国家間合意・国際法違反の名の下に、韓国政府に対して強い非難が起きているようである。

 だが、日本は本当に韓国政府を非難することができるのか。否。以下、日本政府関係者の発言等をふまえつつ、その理由を4つにわけて論ずる。付随して「慰安婦」関連問題を念頭に置いて、日本政府の責務にもふれる。

1 検証を欠いた「最終的かつ不可逆的な解決」

 最初に記せば、本来「慰安婦」問題は日韓間のみの懸案ではなく、日本を含む多くのアジア地域に広がる問題である。だが「合意」の性質上、ここでは日韓問題に限定して論ずる。

 さて、「財団」は韓国政府が設立したが、日本政府はそこに資金を拠出しただけである。「財団」は、かつての日本国家が加えた「人道に反する犯罪」の被害者との「和解」、同被害者に対する「癒やし」を目的としているのに、当事者・加害者である日本政府は、その事業を実質的に韓国政府に丸投げしてただ資金を出すだけというのは、いかにも責任意識・誠意に乏しいと言わざるをえない。

 本来は「財団」の設立・事業運営(その問題性は後述する)自体を日本政府が担うべきなのに、これではまるで、被害者との和解、被害者に対する癒やしは韓国政府固有の責務である、と主張しているようなものではないか。

 それでも、「財団」に公的資金を拠出した限りにおいて、「償い金」支給を民間募金に委ねた1995年の「女性のためのアジア平和国民基金」(以下「基金」)よりも前進したと言うべきだろうか。だが「合意」直後に岸田文雄外相(当時)は、拠出金は「賠償金」ではないと明言した。加えて、そもそも日本政府が、「財団」による事業の進展を検証することなく、「財団」への資金拠出をもって、慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」だと釘を刺した事実等は、公的資金拠出の意義を無に帰すものと言わなければならない。

 もちろんここで「事業の進展の検証」とは、単に支援金の支払いができたかどうかの検証ではなく(ここまでは日本政府も行ったからこそ解散に反発できた)、元「慰安婦」との和解、その現実の癒やしが実際にどこまで達成されたかについての検証である。それを怠る以上、支援金の支払いでは和解・癒やしは不可能だという韓国政府の決定について、口をはさむ権利はない。

2 「6項目要求」が無視されている

 結局「財団」から、7割を超える元「慰安婦」が支援金を受けたという。だがそれによって「財団」の設立・事業実施を正当化することはできない。

 そもそも「合意」にあたって被害者は蚊帳の外におかれた。韓国政府は被害者と接触をもったというが、他の事業が一切行われなかった点からすれば、被害者との接触は結局アリバイ作りに使われたと判断しなければならない。そもそも少なくない被害者は、高齢化し、また生活苦あるいは日本政府のかたくなさから、妥協せざるをえなかった、という事情を見落とすべきではない。

 一方、高齢化・生活苦等の悪条件下にありながらも、支援金の受けとりを拒否する被害者がいたという事実の意味も、大きい。これらの被害者にとって何より重要なのは、金ではなく(いや前記7割の元「慰安婦」にとってもこの点は同じである)、従来から一貫して求めてきた事実認定と、再発防止等に向けた日本政府の努力である。

 そのことは、現在存命の元「慰安婦」のみならず、かつて「慰安婦」とされたすべての女性を念頭に置くなら、より明瞭に主張することができる。事実認定と再発防止に向けた努力を真摯に追求しないかぎり、日本政府は、加害者(後述)としての責任(道義的責任ではなく法的責任)を、はたしたとは言えない。

 被害者らが実現を求めてきた要求とは、より詳しく記せば次のとおりである。

(1)歴史的事実(政府および軍が軍の施設として慰安所を設置したこと;女性たちが本人の意思に反して「慰安婦」にされ、「慰安所」等において強制的・性奴隷的な状況におかれたこと)の認定
(2)国家責任・法的責任を認めた公式の謝罪
(3)謝罪の証としての被害者個人に対する国家賠償
(4)責任者の処罰
(5)記憶の継承・再発防止のための、歴史的事実の学校教育・社会教育への反映
(6)同上目的のための追悼事業の実施
(第12回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議の日本政府への提言「日本軍『慰安婦』問題解決のために」;徐京植『日本リベラル派の頽落 徐京植評論集Ⅲ』高文研、2017年、154頁、等)

元慰安婦を支援する「和解・癒やし財団」の第1回理事会。右端が金兌玄(キム・テ・ヒョン)理事長=28日午前、ソウル、韓国女性家族省提供 20160年7月28日「和解・癒やし財団」の第1回理事会=2016年7月28日、ソウル 提供・韓国女性家族省

国連機関による厳しい批判

 これらの切実な要求を何ら配慮せずに、金の問題に、しかも存命の元「慰安婦」および一部の遺族に対するそれに矮小化した(「和解」と「癒やし」はそのようにして選ばれた言葉である)のが、「財団」事業の本質的な問題である。(1)~(6)のうちいくつかは93年の「河野談話」で配慮されたのに、ここではそれさえ無視された事実に、被害者・支援者・世論は反発したのである。

 そして6項目要求は、国際的な求めと一致する。各種国連機関が、「財団」への資金拠出を含む「合意」に厳しい批判の目を向けたのは、けだし当然である。国連の女子差別撤廃委員会も、同人権理事会(正確にはその「特別手続の任務保持者」)も、同自由権規約人権委員会もそうである(中野敏男他編『「慰安婦」問題と未来への責任――日韓「合意」に抗して』大月書店、2017年、59-61頁、 90-99頁)。

 今回の「財団」解散は、韓国政府なりのぎりぎりの選択だったろう。これは、「合意」が形式的にも内容的にも政治的な妥協・決着であることに伴う必然的な結果でもある。この点で決着を受け入れた韓国政府(朴政権)の瑕疵(かし)は明らかだが、加害者でありながら被害者に「寄り添う」(これは後述する終戦70周年にあたっての「内閣総理大臣談話」での安倍首相自身の言葉である)こともせず、従来の方針(河野談話)をかなぐりすてた日本政府は、韓国政府の決定を批判できる立場にはない。

3 韓国世論への無配慮

(1)植民地支配への無反省

 そもそも「財団」の設立・事業実施は、被害者のみか韓国の国民感情をも傷つけた。日本政府は、いかに韓国世論を軽んじたか。文政権が「財団」の解散を決めざるをえなかった最大の理由が、おそらくこれである。

 第2次安倍政権以降、首相が内政において世論を軽視する傾向は非常に強いが(説明責任をはたさず、また法案の強行採決を誘導してきた)、同じ姿勢が国際関係においても示されたという事実は遺憾である。日韓関係に関わるかたくなな姿勢が韓国世論の反発を招き、結局のところ日韓関係を悪化させてきた事実に対して、首相にはなんら反省がない。

 韓国の国民感情を傷つける第1の要因は、日本による植民地支配の事実を、日本政府が無視してきた点である。

 日本はかつて、軍事的圧力下で締結を強いた「韓国併合条約」(1910年)によって、35年におよぶ植民地支配を断行した。今日の韓国および北朝鮮はその被害国である。戦後70周年が過ぎたが、両者は実にその半分の時間を日本によって支配されたのである。

 なるほど植民地支配の過程で利益をえた朝鮮人もいただろう。だが、日本人による激しい差別にさらされ、貧困へとおとしめられ、氏名を変えさせられ、母語を奪われ、民族性まで抹殺されそうになった多くの人々の傷は、あまりに深い。それを――加えて戦時徴用にかり出され、「慰安婦」にまでさせられた人々の塗炭の苦しみを――、日本政府は分かろうとしていない。

 しかも植民地支配がもたらす問題は、1945年の「光復」(解放)とともに終わったのではなく、その後今日まで朝鮮半島(出身)の少なくない人々を苦しめてきた。

(2)「請求権協定」問題での不誠実さ

 第2に、1965年の「請求権協定」(以下「協定」)によって請求権問題は「完全かつ最終的に解決された」と、日本政府がかたくなに主張してきた事実が、問われる。

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