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拡大築地市場から豊洲市場に移動するターレ=2018年10月7日午前5時15分、東京都江東区

 都営大江戸線の勝どき駅から地上へ出て築地市場を眺めたのは、10月20日の土曜日、良く晴れた秋の日だった。墨田川の向こうに無人になった市場があった。10月11日、築地市場から豊洲市場へ市場が移転した。築地市場で働く人々がターレに乗りまだ開通していない環状二号線の築地大橋を渡り豊洲へと移動する風景は壮観だった。新聞各社は豊洲市場のマグロの競りなどを、このニュースを報じる写真として使っていた。が、英字新聞スチューデントタイムスは一面に築地大橋を渡るターレの列の写真を使っていた。私はその写真を切り抜いて持っている。ターレの行列は凡庸なお決まりのニュース写真ではない。

 築地市場の営業権を主張する仲卸さんと茶屋番さんが市場門前でお店を開いていると聞いて出かけた。勝鬨橋を渡って場内を覗くと、5メートルほどの間隔でガードマンがものものしく並んでいた。

豊洲市場には「茶屋」がない?

 豊洲移転で、おやっと首を傾げたのは豊洲市場に「茶屋」がないと聞いた時だ。築地市場で「茶屋」と呼ばれていた施設は、市場で買った品物をそれぞれの目的の場所へ届けるために集められる場所で、「茶屋」には「茶屋番」さんがいる。横浜の金沢八景で料亭「千代本」を営んでいた伯父から「築地は仕入れたものを届けてくれる人がいるんだ」と聞いていたのが「茶屋番」さんのことだった。「茶屋番」さんは個人営業をしている業者だということを今度の豊洲移転で知った。医師や歯医者、弁護士などと同じ専門知識を持った個人事業者。多種多様な水産物を質の良い状態で届けるのが仕事。新市場に荷を集める「茶屋」がないとはいったいどういうことだろうと不審になった。

 数年前に豊洲市場では床に海水をまけないと耳にした時と同じくらいの不審だった。私の家は平潟湾のほとりの釣船屋だったから、海の魚に真水は禁物と幼稚園へあがる前から教え込まれていた。釣客が釣果を真水で洗おうとしているのを見つけた時は「おじさん、魚は水で洗っちゃいけません」と断固言い張る子どもだった。だから、海水が床にまけない魚市場とはいったいどんな市場なのだろうとびっくりしたものだ。

 いよいよ豊洲移転となったからには、魚介類を扱いに適した状態に改良されたのだろうとタカを括っていたところが「茶屋」がないという話になった。さらには豊洲市場の建物が市場としての機能に不備の指摘があることを知った。豊洲市場の建築物の不備についてツイッターで呟くと、速効で豊洲はコールド・チエーンでドライ・フロア方式の最新式の魚市場でHACCP承認を目指した施設だとレスをつける人が現れた。正直に言うと、このレスのためにこれはいよいよおかしな話だと感じたものだ。ごく常識的な疑問に素人には分からないだろうとばかりに専門用語を用いたレスが付く時は、何か意図的かつ組織的なものが動いている場合が多い。レスをつけてきた人のツイートを読んでみると、数日前まで日本政府の戦闘機購入が必要であることを呟いていた。

 また別の人は「ドライ・フロア方式は給食施設などではすでに採用されています」と言ってきた。これには、なんだかその昔、海の魚を水道水で洗おうとする釣客を見つけて咎めた幼児の頃の気持ちに戻ってしまったような気分になった。「へえ、今時の給食はおが屑の中でぴんぴん跳ねる車海老や200キロを超える生マグロや水槽を泳ぎ回るヒラメを使っているのですか」と意地悪な返事をしてしまった。

 餅は餅屋と言う。玄人衆の仕事のことは玄人にしか分からないことがあるからと、築地市場移転は、強く反対というわけではなく、やや距離をとった気持ちでニュースを読んでいたのだが、どうもこれは市場で働く人の話をまるで聞いていない新市場ができたようだと呆れたのと同時に、机上の空論で丸め込もうとする根性が気に食わないと、釣客の間を赤い長靴で歩き回っていた頃の利かん気がひょいと頭をもたげた。

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筆者

中沢けい

中沢けい(なかざわ・けい) 小説家、法政大学文学部日本文学科教授

1959年神奈川県横浜市生まれ。明治大学政治経済学部政治学科卒業。1978年「海を感じる時」で第21回群像新人賞を受賞。1985年「水平線上にて」で第7回野間文芸新人賞を受賞。代表作に「女ともだち」「楽隊のうさぎ」などがある。近著は「麹町二婆二娘孫一人」(新潮社刊)、対談集「アンチ・ヘイトダイアローグ」(人文書院)など。2006年より法政大学文学部日本文学科教授。文芸創作を担当。

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