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[書評]『矛盾社会序説』

御田寺圭 著

佐藤美奈子 編集者・批評家

「透明化」された人たちが鬱積させているマグマ

『矛盾社会序説――その「自由」が世界を縛る』(御田寺圭 著 イースト・プレス)定価:本体1700円+税拡大『矛盾社会序説――その「自由」が世界を縛る』(御田寺圭 著 イースト・プレス) 定価:本体1700円+税
 著者はある日、都心部の「汚い運河」で一緒に釣りをしたホームレスのおじさんに、彼が受けられるであろう公的サポートについて説明し、勧めたことがあった。おじさんはその申し出を即座に断ると、「誰かのお世話になったら、今度こそいよいよ世間様に顔向けできなくなる」と返した。その答えに対して著者は何も言葉が出なかったが、「おじさんが世間に向けているほどには、世間はおじさんに視線を注いでいないように思えた」。

 ホームレスという存在は、戦争難民や絶滅危惧種の生物などに比べて、社会の耳目を集めたり周囲の経済的支援を受けたりしにくいだろう、とした上で、ホームレスのおじさんの「これまで誰にも顧みられることのなかった、孤独で小さな祈り」に注意を喚起するところから、本書は始まる。

 社会には、より正々堂々と「かわいそう」と思ってもらえる存在と、そうでない存在がある。著者の言葉によれば「かわいそうランキング」の「上位」と「下位」、ということになるのだが、この「かわいそうランキング」下位の存在が世間から無視され、「透明化」することで起きてきた社会の地殻変動、その「透明化」のありようへの分析・剔抉(てっけつ)が、本書の読ませどころだ。

 誤解のないよう言い添えれば、著者は別に「かわいそうランキング」上位の存在を軽視しているわけではない(それは本書を読むことで確かめてください)。「かわいそう」に上位と下位が生まれる――「弱者の序列化」が起こる――動きを見ようとしないところに現代社会が孕む問題があり、「弱者の序列化」そのものは、私たち自身が望んだ結果として生まれた社会の一構造であることに、力点が置かれ説かれている。そういう視点に気付かせてくれるのが本書の肝である、ということだ。

 「かわいそうランキング」下位の存在とはたとえば、冒頭に述べたホームレスの人のほか、「非モテ(「モテないこと」を意味するネットスラング)」、「ひきこもり」、「ミッシングワーカー(介護などが理由の失職を機に再就職の機会や意欲を無くし、統計上も「失業者」とカウントされない中高年の人々)」の人たちなど。彼・彼女らが堂々と「かわいそう」と思ってもらえないのは、「この状況を作ったのはあなたの自業自得だ」「自己責任だ」といった論理に吸収されやすいからだ。このように「疎外」され「透明化」された人たちはしかし、「そのまま消滅するわけではなく、目に見えにくいところで歪みをつくりだす」。

 アメリカでのトランプ政権発足とその後の状況、「西欧各国における国粋主義・極右政党の台頭」、日本で起きた寝屋川監禁事件(精神疾患を持つ娘が両親に長年監禁されたうえ死亡した事件)や介護殺人事件など、著者のパースペクティブを以て解説されることで、「透明化」された人たちが鬱積させているマグマの威力を目の当たりにする思いだ。

 相模原障害者施設殺傷事件の被告がおこなった、「ネオナチ」的とも受け取れる主張の一部は、いわゆる「ネット底辺層」に支持された。彼・彼女ら「ネット底辺層」も、「透明化」された「かわいそうランキング」下位の者たちだ。ネットへの書き込みを通して他人への恨みや日常への不満を表明している彼・彼女らが事件の被告を英雄視さえした「最大の理由」は、被告が「社会の矛盾」を「メタ的に」暴いたからではないか、と著者は分析する。

 つまり、「『自己責任』『努力不足』などとなじられ、社会から著しく低い評価を与えられて底辺層で燻(くすぶ)ってきた人たちにとってすれば、今回被告が障害者たちにしたことは『社会が自分たちにいままでしてきたこと』の再現のように映った」というのだ。いわく、

 「お前たちはこの事件に心を痛めているようだが、お前たちは(気づいていないのかもしれないが)普段は平気で他人に同じようなことをしている。犯人と違って、お前たちは『できの悪い健常者』に対して行っていることじゃないか。その対象が違うだけだ」と。

 被告の障害者への行為が、「お前たち」の、「かわいそうランキング」下位の「透明化」された存在に対する行為の映し鏡になっているという指摘。そして事件に対しては、「人権」「尊厳」という耳触りのいい言葉を持ち出してきて弱者である障害者を最大限尊重して誇らしげな人たちが、「できの悪い健常者」には平気で「自己責任だ」と追及して憚らないという「矛盾」。ここではおそらく、著者による指摘が真実か否かデータなどを元に証明することに意味はないだろう。読む者がこの指摘にリアリティを感じるか否か、が問題なのだ。少なくとも私はリアリティを感じる。上に言う「お前たち」とは私自身のことではないか。常にこう問い続けることが、既成の硬直した正論を打ち破る手立てではないか、と本書は囁いている。 

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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*三省堂書店×WEBRONZA 「神保町の匠」とは?
年間2万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

筆者

佐藤美奈子

佐藤美奈子(さとう・みなこ) 編集者・批評家

1972年生まれ。書評紙「図書新聞」で記者・編集者をつとめた後、2008年よりフリーランスに。現在、講談社などで書籍編集・ライターの仕事をし、光文社古典新訳文庫で編集スタッフをつとめる。自身の読書の上では吉田一穂、田村隆一といった詩人の存在が大きい。「死と死者の文学」を統一テーマに「古井由吉論」「いとうせいこう・古川日出男論」(各100枚)を『エディターシップ』2、3号に発表。