反時代的ノンフィクションライター・渡辺一史さんインタビュー(下)
2019年01月06日
『こんな夜更けにバナナかよ』が再び脚光を浴びるノンフィクションライター、渡辺一史さんは、寡作の人である。2011年に刊行された2作目の『北の無人駅から』(北海道新聞社)もサントリー学芸賞など高い評価を得たが、3作目の企画にはいまだ着手できていないという。穏やかな風貌に似合わず、頑固な人だ。軽々しい時代の風潮に流されず、独自に定めた頂の高みを、ひたすら目指す。ノンフィクション冬の時代、といわれて久しい中、ますます期待が高まる書き手に、その取材手法や目標とする作品観を聞いた。(聞き手・藤生京子 朝日新聞論説委員)
僕が「こんな夜更けにバナナかよ」を書いたワケ 反時代的ノンフィクションライター・渡辺一史さんインタビュー(上)
――『北の無人駅から』は「文字にしないと消えてしまうものを残したい」という気持ちで執筆したということですね。北海道の鉄道から見える風景を描きながら、産業や自然保護、地方自治と幅広いテーマを扱う。本のあとがきでは、「ウソばかり書きつらねてきた」ことを顧み、それまでの思いのすべてを詰め込んだ、とあります。
だからこそ、ノンフィクションの作品では、自分のやりかたというものに、こだわっているのかもしれません。
――渡辺さんの考えるノンフィクションとは。
渡辺 結論を出すことではない。政策を提示することでもない。メッセージありきではなく、それは「にじみ出る」ものだと思いますね。
自分に方法論らしきものがあるとすれば、こんな感じでしょうか。取材に出かけていって、右往左往する。Aさんに会えば、ああそうだと思い、Bさんに話をきけばなるほどと思う。Cさんに会ったら、全部うそだとわかった。世の中の問題って、ほとんど結論が出ないことばかりでしょう?
そういう僕の揺れを読者に示し、いっしょに考えてもらう。共感、いや「共振」してもらう。それが僕の考えるノンフィクションですね。
――作品が完成するまでの過程を、教えてください。
渡辺 準備は時間をかけますね。不安でたまらないから。文献集め、関係者への聞き取り。それはかなりやるほうだと思います。
インタビューは1回につき6時間くらい苦じゃないですね。他人の家でもくつろげる、あつかましいところがある(笑)。ようやく、ぼんやりと自分なりの全体像が見えてくる。
――書く段では、どうですか。
渡辺 現実ってすべてが含まれている、複雑で混沌として巨大なものだと思うんです。何をどう書けば書いたことになるのか。どこまでやれば全体像をつかめているのか。言葉で書き尽くせない絶望感にかられる。
特に、無名の人の、「言葉にならなさ加減」を文字化することも難しい。言葉で伝わらないことだらけですからね。
そういうわけで、自分の書いた文章を読み返すのが苦痛なんです。そのたびに無残な思いに駆られるから。
――恥ずかしいとか?
渡辺 いや、そんなこと言ってる場合じゃない(笑)。書いたことよりも、「書いてないこと」のほうが気になって。書けていることは現実のほんの少しだ、と。
ズバッと短い言葉でいえれば一番ですよね。でも何度やっても、要領が覚えられない。
「人間、この始末におえないもの」という大原則が僕の中にあります。たとえば野球の大谷翔平選手みたいな「できすぎた人物像」はあやしいぞ、と立ち止まる(笑)。彼のなかの、始末におえないところが見えてくるまでは、書かない。世間に流布している大谷像が崩されていないということは、取材が足りないはずだから。
だって、そんなわけないじゃないですか。大谷選手の番組をつくったことがあるテレビ局の友人は、「いやなところが本当に一つもない人なんだ」っていうんですけどね。
――そういう人もいるかも。
渡辺 確かにいるかも(笑)。でも、もしそうだったとしたら、僕は書かないし、書けない。一癖も二癖もある人にひかれる、というのとは違う。「普通の人」ってことです。だから、大谷選手の「普通の人の部分」が見えたら、書きたいと思うかもしれない。
――普通の人、って何でしょう。
渡辺 さっき言った、始末におえない、という意味です。否定しているのではなくて、揺れ動く幅が大きい人、僕は魅力的だと思う。たとえば鹿野さんは、わがままで人に迷惑かけっぱなしだったところに、人間らしさがあった。これぞまさに、生きてる、ってことだよな、と。
――そういう姿勢で挑む次作を、いまかいまかと待っている読者も多いでしょう。
渡辺 寡作でありたいわけじゃありません(笑)。3年に1冊くらいのペースで本を出したい。ガンガンに書きたい。「無人駅」で賞をいただいたあと、都内にワンルームの仕事部屋を借りたんです。でも結局、仕事はぜんぜん広がらなかった。「好きなテーマでぜひ」という話はずっといただいてますけど、「今やってる仕事が終わったら」と言って、5年たち、10年たち……(笑)。
1968年、名古屋市生まれ。大阪府豊中市で育つ。サラリーマンの父、専業主婦の母。平凡を絵で描いたような家庭の子供だった。
――影響を受けた人はいますか?
渡辺 大阪府立北野高校時代は、坂口安吾や檀一雄ら、無頼派にはまりました。人間、始末におえないもの、という人間観は、その頃の読書体験が大きいと思う。
その高校時代、小説を書いてみたら、まったく進まなかった。そのとき、自分があまりにも平凡で、書くべきテーマがないからだと気づいたんですね。
そこから、ノンフィクションに興味がいくようになって。最初が本多勝一さん。次が沢木耕太郎さん。とくに沢木さんの初期の作品にひかれ、本多さんのような“反権力・反体制”こそがジャーナリズムの使命というようなスタイルを相対化していく上で、大きな存在でした。
それから、自分をかたちづくる上で重要だったのは、山田太一さん。ドラマ「ふぞろいの林檎たち」が人気のころ。自分と同じような平凡な若者の描写、感情の行き違い、屈託が、腑(ふ)に落ちた。こんなのがドラマになるんだと、強烈な印象を受けました。
北大を選んだのは、椋鳩十さんや畑正憲さんが好きで獣医になりたかったことと、やっぱり決められたレールの上を行くのがイヤだったんでしょうね。でも獣医学部には、成績が及ばずで。どうしようかと思っていたころ、キャンパス雑誌を創刊し、その編集を始めたら話題に。中退して、ライターになり、現在に至っている、というわけです。
渡辺 実感はないですね。50歳ですが、バブルも縁がなかったし、時代はあまり意識しません。
もちろん、時代状況というものはある。「バナナ」だったら、取材していた2000年から02年、あの時代の大学生、あの時代の障害者の制度が浮かび上がってくる。人の営みを描けば、意識しなくても、にじみ出てくるものでしょう。「無人駅」も、取材を通じて、明治から昭和初期の北海道開拓の時代や、高度成長期前後の時代状況を感じ取ることができました。
――地方の現状をどう見てますか。
渡辺 「地方創生」といわれますけど、いまのままで、何がダメなんだろうと。
相変わらずの成長主義でみれば、危機かもしれません。でも、過疎地で生まれた「枯れ葉ビジネス」の成功を学べ、なんていわれると、それが何で成功?といいたくなる。
最近、とある講演会で、たまたまネットで読んだ山田太一さんのインタビューを紹介させてもらいました(「山田太一氏が語る脚本、映画、そして仕事術」/2016年2月3日東洋経済オンライン)。
山田さんは川崎市の自宅近くの公園を毎日通るそうです。なんてことない普通の公園だけど、毎日違った表情をみせてくれる。老人が一人たたずむ姿に胸をうたれることもある。そういう風景を誰しもがもっている。今は1回見ただけでステキだと言い過ぎるけれど、住んでいないとわからない美しさに対する価値観が、もう少しあってもいいのではないかと。山田さんのドラマって、まさに、そういう世界ですよね。
僕も「無人駅」で書きたかったのは、何げない日常的な表情を見つけるしかない、ということ。自分は十分しあわせだ。それ以上望まない。そう思えれば早いのに、どうしてそうなれないんでしょうね。
――ご自身は? メディア環境が変わり、厳しさを増す出版界の近況は気になりませんか。
渡辺 SNSもやらないですし、瞬時に言葉を受け止め変換するのが苦手だし、大きなことは考えず、自分にできることをやっていこうと思っています。
さっきもいったように、求められるペースで仕事できるものなら、書きたい。カツカツの生活から抜け出したいとも思う。べつに、お金がたくさん欲しいわけではないけど。
でも、多作とスピードが求められる世界からは、降りました。取材費が出なくなったと、不況を嘆く同業者の声があるけど、取材はぜんぶ自腹です。そのほうが縛られることなく、気楽だから。
こういうスタンスでやるしかない、と決心できた一件が道内でありました。
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