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書きたいのは始末におえない「普通の人」

反時代的ノンフィクションライター・渡辺一史さんインタビュー(下)

渡辺一史 ノンフィクションライター

 『こんな夜更けにバナナかよ』が再び脚光を浴びるノンフィクションライター、渡辺一史さんは、寡作の人である。2011年に刊行された2作目の『北の無人駅から』(北海道新聞社)もサントリー学芸賞など高い評価を得たが、3作目の企画にはいまだ着手できていないという。穏やかな風貌に似合わず、頑固な人だ。軽々しい時代の風潮に流されず、独自に定めた頂の高みを、ひたすら目指す。ノンフィクション冬の時代、といわれて久しい中、ますます期待が高まる書き手に、その取材手法や目標とする作品観を聞いた。(聞き手・藤生京子 朝日新聞論説委員)

『北の無人駅から』の取材で訪れた増毛町の海岸風景。高倉健主演の映画「駅 STATION(ステーション)」のロケ地としても知られる『北の無人駅から』の取材で訪れた増毛町の海岸風景。高倉健主演の映画「駅 STATION(ステーション)」のロケ地としても知られる

メッセージありきではなく「共振」してもらう

――『北の無人駅から』は「文字にしないと消えてしまうものを残したい」という気持ちで執筆したということですね。北海道の鉄道から見える風景を描きながら、産業や自然保護、地方自治と幅広いテーマを扱う。本のあとがきでは、「ウソばかり書きつらねてきた」ことを顧み、それまでの思いのすべてを詰め込んだ、とあります。

『北の無人駅から』の取材で訪れた石北本線、上白滝駅(2009年8月の取材当時)。主産業の農林業の衰退で利用者が減り、16年、地元の住民や鉄道ファンに惜しまれつつ廃駅になった。
『北の無人駅から』の取材で訪れた石北本線、上白滝駅(2009年8月の取材当時)。主産業の農林業の衰退で利用者が減り、16年、地元の住民や鉄道ファンに惜しまれつつ廃駅になった。
渡辺 北海道大学を中退して20年ほど、ライターとして広告の仕事をしてきました。北海道なら、豊かな自然、おいしい食べ物、といった、ありきたりのイメージをなぞるフレーズを多用して。ある意味、楽なんです。おとしどころが決まっていますから。最近は道内老舗企業の社史などの仕事をいただいて実質的な生計を立てていますが、いずれにしろ「私」のない文章です。

 だからこそ、ノンフィクションの作品では、自分のやりかたというものに、こだわっているのかもしれません。

――渡辺さんの考えるノンフィクションとは。

渡辺 結論を出すことではない。政策を提示することでもない。メッセージありきではなく、それは「にじみ出る」ものだと思いますね。

 自分に方法論らしきものがあるとすれば、こんな感じでしょうか。取材に出かけていって、右往左往する。Aさんに会えば、ああそうだと思い、Bさんに話をきけばなるほどと思う。Cさんに会ったら、全部うそだとわかった。世の中の問題って、ほとんど結論が出ないことばかりでしょう?

 そういう僕の揺れを読者に示し、いっしょに考えてもらう。共感、いや「共振」してもらう。それが僕の考えるノンフィクションですね。

自分の書いた文章を読み返すのが苦痛

――作品が完成するまでの過程を、教えてください。

渡辺 準備は時間をかけますね。不安でたまらないから。文献集め、関係者への聞き取り。それはかなりやるほうだと思います。

『北の無人駅から』『北の無人駅から』
 取材にいざ出かけると、予断が次々に裏切られていく。それを再構築するために、また、やみくもに取材し直さないといけない。わからないわからない、という思いが募り、取材を深めていって、迷路に迷い込む。その連続です。

 インタビューは1回につき6時間くらい苦じゃないですね。他人の家でもくつろげる、あつかましいところがある(笑)。ようやく、ぼんやりと自分なりの全体像が見えてくる。

――書く段では、どうですか。

渡辺 現実ってすべてが含まれている、複雑で混沌として巨大なものだと思うんです。何をどう書けば書いたことになるのか。どこまでやれば全体像をつかめているのか。言葉で書き尽くせない絶望感にかられる。

 特に、無名の人の、「言葉にならなさ加減」を文字化することも難しい。言葉で伝わらないことだらけですからね。

 そういうわけで、自分の書いた文章を読み返すのが苦痛なんです。そのたびに無残な思いに駆られるから。

大原則は「人間、この始末におえないもの」

渡辺一史さん=撮影・横関一浩渡辺一史さん=撮影・横関一浩

――恥ずかしいとか?

渡辺 いや、そんなこと言ってる場合じゃない(笑)。書いたことよりも、「書いてないこと」のほうが気になって。書けていることは現実のほんの少しだ、と。

 ズバッと短い言葉でいえれば一番ですよね。でも何度やっても、要領が覚えられない。

 「人間、この始末におえないもの」という大原則が僕の中にあります。たとえば野球の大谷翔平選手みたいな「できすぎた人物像」はあやしいぞ、と立ち止まる(笑)。彼のなかの、始末におえないところが見えてくるまでは、書かない。世間に流布している大谷像が崩されていないということは、取材が足りないはずだから。

 だって、そんなわけないじゃないですか。大谷選手の番組をつくったことがあるテレビ局の友人は、「いやなところが本当に一つもない人なんだ」っていうんですけどね。

――そういう人もいるかも。

渡辺 確かにいるかも(笑)。でも、もしそうだったとしたら、僕は書かないし、書けない。一癖も二癖もある人にひかれる、というのとは違う。「普通の人」ってことです。だから、大谷選手の「普通の人の部分」が見えたら、書きたいと思うかもしれない。

――普通の人、って何でしょう。

渡辺 さっき言った、始末におえない、という意味です。否定しているのではなくて、揺れ動く幅が大きい人、僕は魅力的だと思う。たとえば鹿野さんは、わがままで人に迷惑かけっぱなしだったところに、人間らしさがあった。これぞまさに、生きてる、ってことだよな、と。

寡作でありたいわけじゃないけど……

――そういう姿勢で挑む次作を、いまかいまかと待っている読者も多いでしょう。

渡辺 寡作でありたいわけじゃありません(笑)。3年に1冊くらいのペースで本を出したい。ガンガンに書きたい。「無人駅」で賞をいただいたあと、都内にワンルームの仕事部屋を借りたんです。でも結局、仕事はぜんぜん広がらなかった。「好きなテーマでぜひ」という話はずっといただいてますけど、「今やってる仕事が終わったら」と言って、5年たち、10年たち……(笑)。

1968年、名古屋市生まれ。大阪府豊中市で育つ。サラリーマンの父、専業主婦の母。平凡を絵で描いたような家庭の子供だった。

――影響を受けた人はいますか?

渡辺 大阪府立北野高校時代は、坂口安吾や檀一雄ら、無頼派にはまりました。人間、始末におえないもの、という人間観は、その頃の読書体験が大きいと思う。

 その高校時代、小説を書いてみたら、まったく進まなかった。そのとき、自分があまりにも平凡で、書くべきテーマがないからだと気づいたんですね。

 そこから、ノンフィクションに興味がいくようになって。最初が本多勝一さん。次が沢木耕太郎さん。とくに沢木さんの初期の作品にひかれ、本多さんのような“反権力・反体制”こそがジャーナリズムの使命というようなスタイルを相対化していく上で、大きな存在でした。

 それから、自分をかたちづくる上で重要だったのは、山田太一さん。ドラマ「ふぞろいの林檎たち」が人気のころ。自分と同じような平凡な若者の描写、感情の行き違い、屈託が、腑(ふ)に落ちた。こんなのがドラマになるんだと、強烈な印象を受けました。

 北大を選んだのは、椋鳩十さんや畑正憲さんが好きで獣医になりたかったことと、やっぱり決められたレールの上を行くのがイヤだったんでしょうね。でも獣医学部には、成績が及ばずで。どうしようかと思っていたころ、キャンパス雑誌を創刊し、その編集を始めたら話題に。中退して、ライターになり、現在に至っている、というわけです。

何げない日常的な表情を見つけるしかない

『こんな夜更けにバナナかよ』の取材で出会った筋ジストロフィーの障害者、鹿野靖明さん。42歳で亡くなるまで、自立を求めて奮闘した。ボランティアの人たちと過ごした日々は、「戦場」のようだったと、渡辺さんは振り返る=撮影・高橋雅之
『こんな夜更けにバナナかよ』の取材で出会った筋ジストロフィーの障害者、鹿野靖明さん。42歳で亡くなるまで、自立を求めて奮闘した。ボランティアの人たちと過ごした日々は、「戦場」のようだったと、渡辺さんは振り返る=撮影・高橋雅之
――平成が終わります。

渡辺 実感はないですね。50歳ですが、バブルも縁がなかったし、時代はあまり意識しません。

 もちろん、時代状況というものはある。「バナナ」だったら、取材していた2000年から02年、あの時代の大学生、あの時代の障害者の制度が浮かび上がってくる。人の営みを描けば、意識しなくても、にじみ出てくるものでしょう。「無人駅」も、取材を通じて、明治から昭和初期の北海道開拓の時代や、高度成長期前後の時代状況を感じ取ることができました。

――地方の現状をどう見てますか。

渡辺 「地方創生」といわれますけど、いまのままで、何がダメなんだろうと。

 相変わらずの成長主義でみれば、危機かもしれません。でも、過疎地で生まれた「枯れ葉ビジネス」の成功を学べ、なんていわれると、それが何で成功?といいたくなる。

 最近、とある講演会で、たまたまネットで読んだ山田太一さんのインタビューを紹介させてもらいました(「山田太一氏が語る脚本、映画、そして仕事術」/2016年2月3日東洋経済オンライン)。

 山田さんは川崎市の自宅近くの公園を毎日通るそうです。なんてことない普通の公園だけど、毎日違った表情をみせてくれる。老人が一人たたずむ姿に胸をうたれることもある。そういう風景を誰しもがもっている。今は1回見ただけでステキだと言い過ぎるけれど、住んでいないとわからない美しさに対する価値観が、もう少しあってもいいのではないかと。山田さんのドラマって、まさに、そういう世界ですよね。

 僕も「無人駅」で書きたかったのは、何げない日常的な表情を見つけるしかない、ということ。自分は十分しあわせだ。それ以上望まない。そう思えれば早いのに、どうしてそうなれないんでしょうね。

ニュースにのれないライター

――ご自身は? メディア環境が変わり、厳しさを増す出版界の近況は気になりませんか。

渡辺 SNSもやらないですし、瞬時に言葉を受け止め変換するのが苦手だし、大きなことは考えず、自分にできることをやっていこうと思っています。

 さっきもいったように、求められるペースで仕事できるものなら、書きたい。カツカツの生活から抜け出したいとも思う。べつに、お金がたくさん欲しいわけではないけど。

 でも、多作とスピードが求められる世界からは、降りました。取材費が出なくなったと、不況を嘆く同業者の声があるけど、取材はぜんぶ自腹です。そのほうが縛られることなく、気楽だから。

 こういうスタンスでやるしかない、と決心できた一件が道内でありました。

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