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ちぐはぐなふたりが可視化した戦後日本

 昭和天皇はマッカーサーとの会見に先立ち、9月25日に二人の外国人記者に会っている。一人は『ニューヨークタイムズ』の記者、フランク・L・クルックホーン、もう一人はUP通信社社長ヒュー・ベイリーである。クルックホーンは9月11日に近衛に会い、拝謁を願うと共に天皇が新聞を通してアメリカ国民にメッセージを送るように勧めている。GHQの指示によるものであることは間違いない。先に述べたように、重光はこの提案に反対したが、加瀬が内大臣秘書官長松平康昌と相談して案文を作成することになった。追ってベイリーも拝謁と回答を求めてきたので、両者をまとめて25日に謁見が行われた。

 メッセージは、クルックホーンとベイリーの提出した質問項目に基づいて書かれたが、そのうち、クルックホーンの第2項が後に問題となる。以下は、第2項について『ニューヨークタイムズ』の記事が打ち返され、『朝日新聞』に掲載されたものである(ベイリーの記事は『毎日新聞』に掲載)。

 「東条大将は真珠湾に対する攻撃、ルーズベルト大統領の言葉をかりるならば『欺し討ち』を行ふために、宣戦の大詔を使用しその結果米国の参戦を見たのであるが、大詔をかくの如く使用することが、陛下の御意図であつたでせうか」
 といふ質問に対し、「宣戦の大詔は東条のごとくにこれを使用することはその意味ではなかった」といふ意味の簡単な御返事があった。(『朝日新聞』、1945年9月29日)

1945年9月29日の朝日1面。昭和天皇とマッカーサーの写真の左横が米紙記者の天皇会見記拡大1945年9月29日付「朝日新聞」の一面。写真の左はアメリカ「ニューヨークタイムズ」記者の天皇会見記

 ちなみに『ニューヨークタイムズ』のこの記事の見出しは「ヒロヒト、だまし討ちを東条のせいにする」。和訳した朝日新聞にはもちろん、こうした煽情的な文言はなかったが、政府関係者と宮中の人々は、昭和天皇が東条という個人名を挙げたことに衝撃を受けた。いやそれ以上に彼らを震撼させたのは、その記事のとなりに大きく掲載された前代未聞の写真だった。南の島から来た元帥と東の島のもと元帥は、まるでちぐはぐなコンビだったからだ。

 ジョン・ダワーは、この“世紀のツーショット”について次のように書いた。

……写真には、マッカーサーと昭和天皇が、マッカーサーの宿泊場所の一室で並んで立っていたが、どちらがより大きな権力を持っているかは一目瞭然であった。マッカーサー最高司令官はカーキ色の開襟シャツに勲章もつけず、両手を腰に当て、少しだけひじを張って、気楽といっていいような姿勢で立っており、しかも昭和天皇を見下ろすような長身であった。他方、司令官の左に立つ昭和天皇は礼装のモーニング姿で緊張して立っている。二人の指導者の年齢の差も、マッカーサーの序列を高める要因であった。当時マッカーサー元帥は六五歳、四四歳の昭和天皇はマッカーサーの息子であってもおかしくない年齢であった。(ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて――第二次大戦後の日本人』、2001)

 この写真は、会見場所であったアメリカ大使館で、会見が始まる前にいわば「だまし討ち」のように撮影された。非公式の訪問でもあり、おそらく日本側には予告されていなかったのだろう。シャッターは3回押されたが、使えたのはこの1枚だけだった。残りの2枚は年長者の方が目を閉じてしまったり、年少者の方が口をぽかんと開けてしまったりしていた。

 ここに写し取られた天皇は、ぎりぎりのところで元首に不可欠な威厳の残影を留めているものの、何か目を背けさせるような負のオーラを発している。間違いなくそれから来る痛覚は、戦後の日本人がある時点まで共有していたものだ。そしてこの「ある時点」こそ、「戦後」という時間に区切りを与えているものである。戦後日本の本質を(おそらく最初に)可視化した図像としてこの写真はかなり大きな意味を持っている。 (つづく)

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筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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