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名物アナウンサー鈴木健二さんの昭和からの遺言

悲惨な戦争を風化させることなく、次の世代に伝えなければ……。平成最後の思い

梓ゆかせ フリーライター

NHK「面白ゼミナール」の復活番組で「名誉教授」として再登場する鈴木健二さん=2013年7月8日
拡大NHK「面白ゼミナール」の復活番組で「名誉教授」として再登場する鈴木健二さん=2013年7月8日

九死に一生を得た東京大空襲

 “NHKの視聴率男”の異名をとった元名物アナウンサー、鈴木健二さん(90)が、戦争体験やNHK時代の思い出を綴った『昭和からの遺言』(幻冬舎)を出版した。平成が終わり、新たな時代が幕を開けるこの時期にこそ、「悲惨な戦争を風化させることなく、次の世代に体験を伝えなければならない」とペンをとった。

『昭和からの遺言』(幻冬舎)拡大『昭和からの遺言』(幻冬舎)
 前の大戦末期の1945(昭和20)年3月10日未明、米軍のB29が落としたおびただしい焼夷弾によって、帝都・東京は、たった3時間で焼け野原になり、下町を中心に約10万人が亡くなった。「東京大空襲」である。

 国鉄両国駅に近い本所・亀沢町で、自転車部品の製造販売業を営んでいた両親と3人暮らしだった鈴木さんは、空襲のまっただ中で、地獄のような惨状を目のあたりにする。「全身火だるまになって悲鳴を上げている人、赤ちゃんを胸に抱いたまま息絶えているお母さん、男女の区別もつかないほど黒こげになった死体…本当に目を覆うばかりの酷い光景でした」

 鈴木さんは当時、旧制中学の卒業を間近に控えた16歳。6つ上の兄(映画監督の鈴木清順さん=2017年、93歳で死去)は学徒出陣で南方へ行ったまま、消息さえ分からない。四方八方から吹きつける悪魔のような熱風から逃れながら、父と、心臓に持病がある母を支え、必死で両国駅までたどり着く。

 一家3人は停めてあった客車の中に隠れて九死に一生を得た。「翌朝、私が通っていた小学校の校庭を見ると犠牲者でいっぱい。自宅兼工場は跡形もなく焼け落ち、一切を失いました」と振り返る。

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筆者

梓ゆかせ

梓ゆかせ(あずさ・ゆかせ) フリーライター

1968年京都市出身 地方紙記者から、フリーライターへ。事件、スポーツ、文化などの分野で、ノンフィクションを中心に、執筆活動を行っている。