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名物アナウンサー鈴木健二さんの昭和からの遺言

悲惨な戦争を風化させることなく、次の世代に伝えなければ……。平成最後の思い

梓ゆかせ フリーライター

戦争はいまだに終わっていない

 鈴木さんは、この大空襲で多くの同級生を亡くした。志願して戦場に散った若者や、沖縄戦で亡くなった「ひめゆり学徒隊」の少女たちの中には同世代も多い。南方のジャングルやシベリアの凍土にはいまも100万人を超える戦死者の遺骨が残されたままだ。

 だからこそ、「戦闘は終わったけれど、戦争はいまだに終わっていない」という思いが強い。「終戦」ではなく、「敗戦」の言葉にこだわるのもそのためだ。

 「私は、人間にとって何より大事なのは『お母さん』と『ふるさと』だと思う。戦争で犠牲になった同世代の若者たちを故郷の母親のもとへ帰してあげたい。天皇陛下が海外の戦地跡を訪ねられて一片の遺骨でもいいから持ち帰り、遺族にお渡しする。そのときこそが本当に戦争が終わるときだと思います。次の天皇陛下にもぜひ、この思いを引き継いでいただきたい」と力を込める。

「なんとなく」入ったNHKで“視聴率男”に

 NHK入局は、テレビ放送が始まる1年前の1952(昭和27)年。学生時代は、本の虫でラジオを聞いたことさえなく、アナウンサーがどんな仕事なのかも知らなかった。

 「偶然、街で出会った中学(旧制)の同級生がNHKを受けるというので、一緒に願書を出したのです。締め切りの5分前でした」と苦笑する。

1984年NHK紅白歌合戦で、引退する都はるみさん(左)にアンコールを求めるアナウンサーの鈴木健二さん(右)=1984年12月31日拡大1984年NHK紅白歌合戦で、引退する都はるみさん(左)にアンコールを求めるアナウンサーの鈴木健二さん(右)=1984年12月31日
 「なんとなく」で入ったNHKで、鈴木さんはめきめきと頭角をあらわしてゆく。朝のワイドショーを任されれば、たちまち民放のライバル番組を抜いた。7年間担当した「クイズ面白ゼミナール」の最高視聴率は42%超を記録した。昭和30年代後半に、「看板」の夜7時のニュースを担当したときは、当時、やっていなかった「女子アナがニュースを読むこと」や、記者の〝顔出し〟リポートなどを進言。いずれも今では当たり前のこととなった。

 流行語にもなった「私に1分間時間をください」は、1984(昭和59)年大みそかの紅白歌合戦での出来事だ。引退が決まっていた都はるみに、この「決めゼリフ」でアンコールを見事説得。一時、60%台にまで下がった視聴率はこの年、78.1%へV字回復を果たす。まさに〝視聴率男〟の面目躍如である。

 鈴木さんが「36年間のアナウンサー生活で最高かつ唯一の仕事」というのが、実は“沈黙のアナウンス”だ。

 1969年、米アポロ宇宙船の月面着陸の中継シーン。歴史的瞬間に鈴木さんは、あえてまったく言葉をはさまず、お茶の間には、アームストロング船長の声だけが流れた。何というかっこよさ、光るセンスと言えようか。

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筆者

梓ゆかせ

梓ゆかせ(あずさ・ゆかせ) フリーライター

1968年京都市出身 地方紙記者から、フリーライターへ。事件、スポーツ、文化などの分野で、ノンフィクションを中心に、執筆活動を行っている。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです