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コミック・ノベルのデイヴィッド・ロッジ氏に聞く

『作家の運 デイヴィッド・ロッジ自伝』で創作の秘密と文学賞の内幕をつぶさに描く

三浦俊章 朝日新聞編集委員

ブッカー賞の内幕

――自伝の2巻目、今回日本語訳が出たタイトルは、『作家の運』です。

 「私はよい時代に小説を書き始めたと思います。第2次世界大戦後のイギリスでは、新しい世代の作家たちが登場し、彼らから大いに刺激を受けました。1960年に出た私の最初の小説『映画ファン』は、出版社に持ち込んでわずか3社目で認められたのですよ。今では考えられないことです。しかも、私は自分でじかに出版社に原稿を持ち込んだのです。いまでは代理人(エージェント)なしには、不可能でしょう。当時からすると、小説を出版することは、とほうもなく競争が激しくなりました」

デイヴィッド・ロッジさん。バーミンガムの自宅の庭で。拡大デイヴィッド・ロッジさん。バーミンガムの自宅の庭で。
――なぜ、競争が激化したのでしょうか。

 「ひとつの原因は、1970年代くらいから文学賞が小説ブームを引き起こしたことです。特にその年に出た最高の小説に与えられるとされるブッカー賞の効果です」

――なぜ、ブッカー賞がそんなに影響力を持ったのですか。

 「演出が非常にクレバーでした。毎年、審査委員会のメンバーが変わります。欧州大陸にも有名な文学賞がありますが、審査メンバーが固定化して、一種の仲間内で決めているのではないかと批判されている賞もあります。ブッカー賞の場合は、審査委員が入れ替わるので、毎回予想がつかない。しかも、複数の候補作が事前に発表されて、世間の興味を高めます」

 「受賞作は発表当日に決まる。晩餐会で発表され、それがテレビで生中継されるのです。イギリス国民は賭け好きの国民ですから、ブッカー賞は格好の賭けの対象になりました。アメリカ映画のアカデミー賞のようなもの。これは巨大なメディア・イベントです。パブリシティーがすべてを決める。もはやスポーツの乗りですね。ブッカー賞のピークは1980年代で、だいぶ勢いは衰えたと思いますが……」

「ちょっと考えてみれば、おかしなことなのです。その年に出版される無数の小説の中から一番良い小説を選ぶことが、はたして可能でしょうか。よい小説の絶対的な基準などないのです。審査委員の好みもあるし、審査委員同士の関係、文壇の政治も持ち込まれる。嫉妬や反目も影響するでしょう」

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筆者

三浦俊章

三浦俊章(みうら・としあき) 朝日新聞編集委員

朝日新聞ワシントン特派員、テレビ朝日系列「報道ステーション」コメンテーター、日曜版GLOBE編集長などを経て、2014年から現職。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです