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『日本国紀』百田尚樹に決定的に欠落している認識

福嶋聡 ジュンク堂書店難波店店長

「共産主義」を過大評価?

 百田は、GHQの占領政策、その中での「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」=「戦争についての罪悪感を、日本人の心に植え付けるための宣伝計画」が諸悪の根源だと糾弾する。

これは日本人の精神を粉々にし、二度とアメリカに戦いを挑んでこないようにするためのものであった。東京裁判もその一つである。そして、この施策は結果的に日本人の精神を見事に破壊した。(p421)
共産主義者に影響されたGHQの占領政策は、その後の壮大な「歴史戦」の端緒となった。(p432)

 それは、半世紀後の「河野談話」「村山談話」まで続く、という。

敗れた日本が取り戻せなかったものがある。それは「愛国心」と「誇り」だ。これらは戦後、GHQに木端微塵にされ、占領軍が去った後は、彼らの洗脳を受け傀儡となったマスメディアや学者たちによって踏みつぶされ続けた。(p444)

 GHQが、日本が「二度とアメリカに戦いを挑んでこないようにするため」に施した洗脳(WGIP)を引き継いだのが、戦時中追放されていた学者、知識人、そしてマスメディアだというわけだ。戦後を「素晴らしい歴史」の例外にした元凶である彼らを、百田は「共産主義者」と一括りにする。「共産主義者に影響されたGHQ」というのは、いやはや大胆な形容である。これらの箇所には、百田の強烈な反共意識が表れているといえるだろう。

 余談だが、百田は、日本史上のさまざまな事件の原因を、ほとんどその主要人物の感情・思惑に帰している。

もし清盛が継母の言葉に耳を貸さず、また義経の母の情にほだされなければ、歴史が変わっていた可能性は大である。……その裏に、男と女のドラマ、人間の情愛、欲望と怒りが大きく関係していることもまたたしかだ。歴史の転換点でそうした人間の情念が顔を出した時、流れが大きく変わるというのが面白い。(P87)
大乱のきっかけは、息子を将軍にしたいという母の我儘な思いだった。歴史というものは、しばしばそんな人間的な感情から大きく動くが、応仁の乱もまたその一つであった。(P130)
この事件〔本能寺の変〕に関しては、多くの作家が様々な説を述べているが、私は明智光秀が個人的な恨みから起こした単純なもので、用意周到に練られたものではなかったと思っている。なぜなら、その後の行動がきわめてお粗末だからだ。(P142、〔〕内引用者)
もし茶々が敢えて不義の子を産み、その子が豊臣家を継いだなら、ある意味、復讐を果たしたといえなくもない。真相は永遠に謎だが、戦国の世にはこうした男女の生々しいドラマもまた渦巻いていた。残された証言によれば、秀頼は秀吉に似ず、背の高い偉丈夫であったという。(P161−162)

 日本の歴史を動かしたのは、個々の人間の情愛、欲望、我儘、恨み、復讐というわけだ。作家らしい考えといえばそれまでだが、その奥に、経済構造の矛盾が歴史を動かすという、百田が忌み嫌う共産主義の唯物史観の絶対的な否定が潜んでいると読むのは、穿ち過ぎだろうか?

国労(国鉄労働組合)などでは、共産主義者たちが、共産主義に反対する人々を、逆に共産主義者だと名指しして解雇し、実権を握った。こうして共産主義的な思想は日本社会のいたるところに深く根を下ろしていくことになる。(P436)
占領軍が去った昭和三〇年(一九五五)頃から、新聞は反米路線に舵を切る。これは公職追放後にマスメディアおよび教育界や言論界に大量に入ってきた共産主義者や社会主義者たちの影響だった。(P457)

 確かに、戦後すぐの日本共産党は革命への意気高く、全国の労働運動にも深く入り込んでいたことは現在とは大きく違う。当時は武装闘争路線をとっていたし、その一部がやがて連合赤軍などの「過激派」に流れていったことも事実だ。だが、「共産主義的な思想は日本社会のいたるところに深く根を下ろしていく」「マスメディアおよび教育界や言論界に大量に入ってきた共産主義者や社会主義者たち」という百田の見立ては ・・・ログインして読む
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筆者

福嶋聡

福嶋聡(ふくしま・あきら) ジュンク堂書店難波店店長

1959年生まれ。京都大学文学部哲学科卒。1982年、ジュンク堂書店入社。サンパル店(神戸)、京都店、仙台店、池袋本店などを経て、現在、難波店店長。著書に『希望の書店論』(人文書院)、『劇場としての書店』(新評論)など。

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